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2008/09/19

日本の「公」「規範」「躾」「規律」「教育」「私」を連続して考える!

9月18日に掲出した「日本の躾と教育は崩壊している!」の続きです。
今日のこの掲出は、昨日の掲出に比べ、短くします。

日本経済新聞(夕刊)一面左下に囲み「あすへの話題」があります。
そこに、9月17日に作家の長部 日出雄さんの手による記事が掲載されました。
「お見事!」の一語です。

物事の本質というか、生じている事象の本質を「人の倫理観」の持ちようによると、ズバリ指摘し解析されました。
ここまで直球を投げられると、俎上の三人(福田総理、北の湖前理事長、星野仙一氏)の言い分の摩訶不思議さが浮き彫りになるので、思わず吹き出してしまいました。
鋭いですね!

これらの事象を創出したのも、日本人のメンタリティーですから、その点も短文ながら見事に指摘され、(間抜けな論評など)言う事なし状態です。

日本の「公」「規範」「躾」「規律」「教育」「私」を連続して考えて頂きたく存じますが、
下記に引用させて頂く「心情倫理」と「責任倫理」をご一読頂き真摯に、ご一考頂ければと切望致します。

引用開始→ あすへの話題 (日本経済新聞 2008年9月17日夕刊 一面)
           作家 長部 日出雄
           「心情倫理」から「責任倫理」へ

政権を投げ出してから「あなたとは違うんです」と、たしかに他人には真似のできない無類の独善性を表明して見せた福田総理。検査の結果が出た後も「二人(弟子)は一貫して否定しているんだから」と、温情を楯に取って強引に押し切ろうとした北の湖前理事長。北京五輪の野球で「金メダル以外は要らない」という宣言を正直に守り通した星野監督。この三人には顕著な共通点があって、それは行動の基準を「心情倫理」に置いていることである。
「愚かで卑俗なのは世間であって私にではなく他人にある」というのは、典型的な心情倫理のモットーとして、M・ウェーバーが『職業としての政治』で挙げた言葉だ。かれはそのように未熟な考え方の持ち主を政治家とは認めず、自分がどのような心情で或る行動を取ったかではなくて、それによって生じた結果の責任を痛感する人間--すなわち「責任倫理」によって行動する成熟した人間のみが「政治を天職にできる」と、強い信念に基づいて説いた。
今の日本では政治の結果の責任を誰も取ろうとしない。わが国はいつからこんなに情けない無責任国家になったのか。じつは心情倫理を行動の基準にしている点では、国民もメディアも全く同様なので、何か問題が起こるたび、心情倫理の洪水に押し流され、いちばん表面的に見え易い所を集団でバッシングして、流れが引いた後は何も見えなくなっており、問題はちっとも解決していない。いい加減こんな混迷に終止符を打つためにも、まず政治家と官僚に責任倫理の徹底を、根本的に厳しく求めることが自前の急務であると考える。Copyright 2008 Nikkei Inc. All rights reserved.←引用終わり

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