最期までお騒がせ!?「三浦和義」死人に口なし、事件の真相は「闇」の中?
全く理解できない事件だったし、「無実」を争うなら争えばよい。
全くヨウとして知れずの「自死」である。
ご本人との面識があったワケではないが、その昔、一緒に仕事をした事があるという人物から耳にした話では、「ヘェ~!?」と驚かされたり、この御仁(ごじん)に関わる「不可解なテーマ」には事欠かなかった。
その人の話では、ある時、客先から取扱商品に対するクレームを受けた。
その対応を買って出た御仁(ごじん)は、なんとも小型のテープレコーダーを持参し、相手の主張(話)を全て録音してきたそうだ。その上で、「強請り」に該当する部分を探し出し、アッと言う間に「攻守ところを変え踏み込みクレームを覆す」能力を誇っていたとの事らしい。
その対応力を見せつけられ驚愕させられたと、その人は解説してくれた事をいま想い出している。
だから、御仁(ほじん)はロジックの組み立てには注意して臨んでいた事が容易に想像できる。
独特の思考技術と、様々な特徴を散りばめた「感情的反発力や言い回し」で、様々な危機を乗り越えてきたんじゃないかな。
争点の事件では、米国の治安が如何に悪いかを言い募り、米国、特にカリフォルニア州を非難し、大仰にロスアンゼルス非難を展開した。その結果、米国大統領の心情に訴えその琴線を奮わせ、(銃撃被害の)亡き妻の遺骸と御仁(ごじん)の搬送に「米国空軍機」を提供させた事はつとに有名である。
この騒ぎで、御仁(ごじん)は、日米で同情を集め、一躍時の人になった。
(今となっては、『モンスター・クレーマー』に過ぎない人物なのだが)
やり過ぎは、同情を呼ぶ傍ら、同時に反感も呼ぶ。
長い時間をおくことなく、「ロス保険金詐欺疑惑殺人事件」と名誉な称を受ける事になった。
週刊文春は、殊の外熱心だったなぁ!
その頃である、件の人から「耳に残る評判」を聞いたのは。
週刊誌は、いずれもネタが怪奇な事もあり、「疑惑」の目を向け当に洪水ともいえる集中報道を繰り広げていた。もう真犯人は決まり!みたいなニュアンスを感じ取らせる記事が多かった。
凄まじい、報道合戦と警視庁の内偵、ロスアンゼルス市警との情報交換、司法手続きなど様々な手続きを行い。1985年9月のある日(「つくば博」の終盤だったと微かに記憶している)、「銀座東急ホテル」だったか「銀座東武ホテル」だったかで、御札を持った警視庁の捕り手により「御用」となった。
何たって、テレビ中継もある大騒ぎだった記憶が鮮明に残っている。
あれこれ、つべこべ、法廷で闘い、ご承知のとおりの結果だった。
世間は忘れかけていた。いや、(ハッキリ言って)忘れていた。
ときおり、書店か何かで「万引き」して捕まった、などという「オチ(バナシ)」みたいな話題も飛び込むと、「オォ!そうか、また注目を集めようとしてんのかなぁ?」と笑い飛ばしていた。
ところがドッコイ、今年の2月に「サイパン」から、今度は米国の御札で拘束されたってんで、米国って凄い国だなぁ!と改めて思い起こさせられる事になった。
またもや件の人に、ハナシを聞く事にした。中身は同じだった。
しかし「ご禁制のモノも、結構お好きだった事が、新たに分かった」。
「御札」+「御用」に囲まれて生きてきた人なんだろうなぁ~!
絶対に身辺が綺麗な人物ってワケじゃないんだろうなぁ~!
米国も大統領がコケにされた事に対する面子ってあるよねぇ~!
ロスアンゼルス市警のジミー佐古田刑事の執念もあるよねぇ~。
刑事コロンボみたいに頑張ってたよねぇ~。勿論、そのイメージは、日本の取材陣が写し撮った映像をテレビ画面で見て形づくるんだけどね。
彼は、完全主義者だから、元ポルノ女優が裏切ってペラペラ喋るなんて事は想定外(間抜け)だったんだろうけど、それでも自信満々だったなぁ。
日本での追究では逃げ切った。一応、お白州ではシラを切りとおして勝利した。
ところが「サイパン」でお縄になっちゃった。
サイパンで「一事不再理」だって、グダグダ言ってりゃ逃げおおせると踏んでいたんだろぉ。ところが、「一事不再理」を主張しグダグダ言い張ってみても、とうとう「ロスアンゼルス移送」が決まっちゃった。
米国・カリフォルニア州では「共謀罪」が規定され、これを認定されると「死刑」もあり得るとの事らしいって、「無罪」はあり得ないと考えたのだろうかな・・・・・・・
事件は「闇の中」だねぇ~! 死人に口なしって言うからねぇ~!
日本で、親族から配布されたというビラ、実に手際よく、それなりに完成度も高くできているよねぇ!スゴイ!
<ビラは下記引用紹介産経MSN記事関連写真>
人権派の法律学者や法匪ドモは、米国・ロスアンゼルス市警(検察)の、人権保護に対する不手際を早速非難している。興味深い現象だねぇ~。
こういう時の「人権」ってとってもいい便利な言葉だねぇ!
引用開始→ 三浦和義元社長が自殺 ロス疑惑銃撃事件 (産経MSN 2008.10.11 18:53)
【ロサンゼルス=松尾理也】ロス疑惑銃撃事件で、米自治領サイパンで逮捕され、米ロサンゼルスに移送、拘置されていた元会社社長、三浦和義容疑者(61)=日本で無罪確定=が10日午後9時45分(日本時間11日午後1時45分)ごろ、ロス市警本部の拘置施設で首をつって自殺した。元社長の死亡で、訴追手続きは停止される見込み。事件から27年、世間を震撼(しんかん)させた「ロス疑惑」は、事件発生地で三浦元社長が自殺する衝撃の結末を迎えた。
関係者によると、三浦元社長は拘置施設内で、Tシャツで首をつっており、搬送先の病院で死亡が確認されたという。
三浦元社長は10日、サイパンからロスに移送されたばかりだった。14日には罪状認否のため、ロス郡地裁に出廷する予定だった。三浦元社長はロスでの裁判に前向きな姿勢をみせていた。
ロス疑惑では、三浦元社長の妻、一美さん=当時(28)=が1981(昭和56)年8月、ロス市内で、頭部を殴られて負傷(殴打事件)、同年11月には頭部を銃撃されて重体となり(銃撃事件)、翌年死亡した。三浦元社長は事件後、一美さんにかけられた1億6000万円の保険金を受け取っていた。
警視庁は昭和60年、殴打事件の殺人未遂容疑で、63年には殺人容疑で三浦元社長らを逮捕。殴打事件では平成10年に実刑が確定したが、銃撃事件では15年、最高裁で無罪が確定した。
ロス市警は事件から約27年後の今年2月、三浦元社長を旅行先のサイパンで逮捕、訴追手続きを進めていた。←引用終わり
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