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2009/04/04

ベトナムへ帰る兄(分)へ、敬意を込め「惜別の辞」を贈る!

最大の兄(分)が、日本(東京大使館)での勤務を終え、今日、母国へ帰国する。

得がたい人財である。余人を以て代え難い人財とは、兄(分)のことを指すのだろう。
長い長い交わりである。
特に、この17年はとても短く、しかし極めて充実した年月であった。
多くを教えられ、多くを助言する事ができた。
同年齢である事もあり、当に兄弟の交わりで、お互いがお互いを支援し合う事ができた。

双方が、双方を通じ「相互の考え方や、基本の思考論理、あるいはその後の論理展開」を交換し合えた。
家族も交えた深い深い交流を重ねた歳月だった。

兄(分)の東京(日本)勤務終了に伴い、大使が帰国する公使・参事官の送別会を主催された。自分も長いこと外交関係に携わってきたが、異例の事である、と松田岩夫参議院議員は思わず言葉を漏らされた。
"とらえもん" も初めての経験のように思う。

兄(分)の「送別会」には、年度末にも関わらず、約300人ほどの人達が名残を惜しむかのように駆けつけ参加した。
「送別会」では、兄(分)の功績が、いかに大きかったかを述べ讃える発言が相次いだ。
超党派の議員(実力者)が駆けつけ、様々な立場の違いを乗り越え送別の辞を述べた。

20090331185309←グェン・フー・ビン駐日特命全権大使による開会の辞
20090331190000←日本共産党・志井委員長の送別の辞
20090331190437←自民党・武部元幹事長(日越友好議員連盟会長)の惜別の辞

他に、いつも超党派日越友好を支えて下さる松田岩夫参議院議員が、送別の杯を上げる音頭をとり、会は賑やかで明るかった。
茨城県の友好協会はステージを独占し惜別の言と気持ちを山のように伝え、出席者からも大きな拍手を浴びていた。

兄(分)の公使・参事官と初めて出逢ったのは、ベトナム外務省新聞報道局勤務の頃だった。VOV(Radio the Voice of Vietnam「ベトナムの声」放送)に関わる側(日本で支援する者)としてであった。すぐに打ち解け友人になった。
その後、東京大使館勤務、帰任帰国、大阪総領事館開設、大阪総領事館副総領事、帰任帰国、本省・日本担当責任者、駐日大使館参事官、そして公使・参事官として、八面六臂の大活躍だ。

よく質問を受けるので簡単にご理解頂くために、
①大使館と領事館は基本的に機能と役割が異なります。
②次に「大使」は、国家主席・大統領だと考えて頂く方が分かりやすいでしょう。
③そうすれば「公使」は首相です。「公使・参事官」は副首相兼担当大臣に該当すると考えて下さい。
④その他「参事官」は担当分野の国務大臣と理解されると分かりやすいでしょう。
⑤その下位に、書記官が実務事務を取り扱う事務官と考えれば分かりやすいのじゃないでしょうか。
実際には国の行政機構の一部ですから、国と同じではなく異なりますが、分かりやすく言えばということで。

本邦の外務省、衆・参議員、経団連、各地の友好組織、文化交流団体、報道機関、多くの市民も含め、日本とベトナムの友好関係に関与した人なら、必ず兄(分)から有形無形の協力支援を受けてきた筈だ。

日比谷公園で始めた普通に市井の市民との日越交流を考えた青空交流会は、代々木公園での青空交流会へ拡大変化したし、ホントにいろいろ様々な市民社会の皆さんには、ベトナムが身近になった事だろう。
「ベトナム」に対するイメージを大きく変えた。
同様に「日本」のイメージも「ベトナム」で大きく変えた。
両国は、この10年ほどの間に、一気に距離を詰め、何千年もの友人・兄弟のような交わりを得ているように思う。

思い返し、静かに考えれば、本当に激論の山ばかりだった。
まだまだ、両国には双方が対等に理解し合わなければならない事が山積している。
しかし、これまでの間に「兄(分)」が築き上げた「強く深い友情と信頼」は、そう簡単に崩れないだろう。

いくつかの「トライ・アンド・エラー」を繰り返しながら、
ボー・バン・キエット元首相(故人)の公式訪日で皇居へ天皇陛下をお訪ねした頃から、日本とベトナムの関係は上手くいくのではないかと、"とらえもん" は、ボンヤリ考えるようになった。
故・小渕恵三元首相の自民党葬にグェン・マイン・カム副首相・外務大臣が日本武道館へ列席された時にも感動した。
ファン・バン・カイ前首相による多くの訪日(公式、非公式、実務)。
日本の歴代首相の公式訪越(村山、橋本、小渕、小泉、安倍、福田の各総理)。
綿貫衆議院議長(当時)の公式訪越など。
グェン・タン・ズン首相の公式訪日(公賓)、引き続き、グェン・ミン・チェット国家主席(大統領)の国賓訪日。
これ以外にも、多くの相互交流訪問があった。
特筆すべきは、秋篠宮殿下の公式訪越、そして本年(2009年2月)の皇太子殿下の公式訪越である。
文化交流やスポーツ交流(特にサッカー)を加えると枚挙に暇がなくなるほどだ。

短時間では描ききれない。

「日越投資保護協定」、「日越共同イニシャティブ」に至る、投資環境保護については、日越間で激論になった。
両国は、静かに乗り越え、今日の協力関係を築き上げる事ができた。

結果は、将来、歴史が決めることだろう。その判断に委ねたい。

しかし、一人の偉大な人財が、超人的な努力で「日越間に架橋」した事を、両国の民は忘れてはならない。
橋を渡るときには、橋を架けた人に思い致す事が必要である」、
"とらえもん" は、兄(分)が捧げてくれた尽力に深く敬意を払い、その日々を改めて想い致している。

間もなく、ノン・ドク・マイン党書記長の公賓訪日が控えている。
福岡総領事館の正式開設が控えている。
グェン・タン・ズン首相の実務訪日も宿題だ。
8月には、世界文化遺産都市である「ホイアン」での「日本フェスティバル」も控えている。

まだまだ、ベトナムと日本の協力友好関係の発展のテーマは山積している。
兄弟が、日本に課題として残すテーマに対し、粛々と取り組み地道に解決に協力する考えである事を、惜別の辞に代わり述べておきたい。

ハノイ在住の皆様へ、兄(分)が4日に帰国します。
親愛なる謝辞と慰労」を、よろしくお願い申し上げます。
"とらえもん" は、現在のところ、担当業務の都合もあり、どうしても訪越は8月になる予定です。
兄(分)からは、もっと早くと誘われていますが、その場合でも6月か?
その場合には、土曜日夜半(ハノイ)到着、火曜日発・水曜日早朝帰国(日本)以外は不可能です。

武部会長も頑張って下さい!お願いしますよ!

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