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2009/05/08

ベトナム独立への大転換、ディエン・ビエン・フー(奠辺府)の劇的勝利55周年を祝す!

ベトナムに関わるニュースが連続します。5月7日はベトナムにとり、とても大切な日です!

「JV-LOTUSat」についての報道で、多大のアクセスを頂戴し、ありがとうございます。
昨年打ち上げました通信衛星「VINASat」についての、報道確認を求めるアクセスも増加していますので、2009年5月7日のスレッド内に、「VINASat」について掲出したスレッドへのリンクを貼り付けておきます。
そちらも、ご確認下さい。

今日は、ベトナム北西部(ラオス国境近く)、ディエン・ビエン・フー(奠辺府)の抗仏戦での劇的な戦勝記念を伝えます。
5月7日は、もはや歴史の一コマか、ベトナムを住処にした少数民族を含む多くの民族が、ベトナムを支配するフランスを追い払い、自らの「主権」を確立するために、ベトナム独立同盟(ベトミン)の下で9年にわたる過酷な抗仏戦争を戦い抜き、1954年に、まさに歴史的な最終決戦の場である「ディエン・ビエン・フー(奠辺府)」の戦いで劇的な勝利を収めた輝かしい記念日である。

ハノイの姐御は、7日に先立ち、ディエン・ビエン・フー(奠辺府)での戦勝55周年記念日をスレッドに上げている。

ベトナムは「ディエン・ビエン・フー(奠辺府)」で勝利し、勇躍、ファン・バン・ドンをジュネーブ会議へ送り込み、ベトナムの完全な独立を求めたが、後退するフランスに代わりインドシナ半島での覇権確立を試みる米国の戦略により巧妙に交わされ、北緯17度線(分かりやすくベンハイ川)で南北に二分されてしまう。
二分されるなら、「ハイバン峠」でとの主張も無視され、北緯17度線が固定され、クァンチ省から南に「ベトナム共和国(いわゆる南ベトナム)」が、米国の後押しを受け建国され、ホー・チ・ミンとベトミンの「ベトナム民主共和国」は北側へ押し込まれてしまう。

およそ5年の雌伏を経た1960年、南を支配する稚拙なゴー・ディン・ジェム政権への抵抗運動を担う組織を構築し、幼稚で稚拙なジェムの圧政を打倒するための組織的抵抗を始め、多大の民族的犠牲を払い1975年4月30日に、悲願の南部解放を成し得るまで、1945年日本の敗戦撤収により、9月2日に、ホー・チ・ミンがバディン広場で「ベトナム民主共和国」の独立宣言を行ってから、29年7ヶ月近い苦闘の連続を求められた。

ディエン・ビエン・フーでの抗仏戦争勝利を報じるニュースは、敬意を込め「産経MSN」から引用紹介させて貰うが、4月29日には、自称「ワケ知り、モノ知り」の自慢の権化ともいえる古森義久氏が、実にこの御仁ならではの満ち溢れる偏見満艦飾の、米国へ渡った「ベトナム難民」成功者を讃え、彼らが父祖の地、故郷を考えているとの記事をワシントンから労している。
古森義久氏は優秀なジャーナリストだと考えるが、ベトナム政府は「米国に居住しようが、米国籍であろうが、『ベトナムの血を受けたベトナム人に違いはない』と、2年前から、ベトナム国籍の二重取得も認め、自由に一時帰国する、永住帰国する事の自由を保証」している。
既に、米国籍を取得し、艱難辛苦を乗り越え、米国の下院議員や司法省の上級者となった人達がどのように考えるか、それは各人の自由であると考えるが、ベトナム政府は、かつては敵対した側に位置し、なおかつ、それゆえ海上の難民となり国を捨てたベトナム人に対する政策変更を施行している。

これとは別に、かつて南ベトナムの権力者であり、悪の権化と嫌われても、最後まで政権にしがみつき、国が崩壊する直前に、国を捨て米国へ逃げ出した、かつては航空兵でパイロットだった、グェン・カオ・キ 南ベトナム副首相(最後の地位)は、カリフォルニアで酒屋を経営しているらしいが、望郷の念捨てきれずで、父祖の地である北部のハタイ省(現ハノイ拡大首都圏)へ墓参帰国し、ハノイでは現在の政権から手厚く歓迎され、ハノイでもサイゴンでも自由な時間を満喫し、「米国から、ベトナムへの投資を呼び込む、先頭に立つ」と、これまた政権を握っていた頃と変わらない「軽口」を叩き廻ったと伝えられている。
現在、ベトナムは、人民軍の将来を担う高級幹部(予定人材)を、米国のウェストポイントの士官学校へ留学させ、軍事人材交流を活発化させている。

旧弊な線引き思考や、手垢に塗れた線引き論理は、現代社会の政治力学の前では、何らもというか、さほどというか、大きな意味を持たない。
古森義久氏には、もう旧弊で手垢に塗れた手法による「色分け、線引き」論理による思考はお捨てになる事をお勧め申し上げたい。

引用開始→ 抗仏戦勝利から55年 ディエンビエンフーで式典
(産経MSN 2009.5.7 19:46)

Asi0905071951005n1sankeiベトナム革命博物館では、「ディエンビエンフーの戦い」を記念する展示が行われている=7日、ハノイ(AP) 

第1次インドシナ戦争でベトナム人民軍がフランス軍の敗北を決定的にさせ、インドシナ半島の植民地支配を終結させた「ディエンビエンフーの戦い」から55年の7日、北西部ディエンビエンフーで戦勝記念式典が行われた。

式典には政府幹部ら1万人以上が参加、地元の共産党委員会書記は「ベトナムの勝利は世界の反植民地運動を勢いづけた」とあいさつした。

政府は最高司令官だったボー・グエン・ザップ将軍ら英雄の記念碑を新たに建てるなど戦跡を整備。ベトナム戦争後に生まれた世代が半数を超える国民への啓発に力を入れている。

フランスは盆地のディエンビエンフーに大要塞(ようさい)を構築。人海戦術で対抗するベトナムは1954年3月から一斉攻撃し、激戦の末、5月7日に陥落、勝利した。(共同)←引用終わり
Copyright 2009 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

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