京都・祇園祭の鉾建神事に招かれて!
京都の夏といえば、なんと言っても「祇園祭」ですね。
10日(金)から「鉾建」が始まった。京都を東西に貫く四条通は、東から巡行の先頭を飾る「長刀鉾」、烏丸通りを渡ると、「函谷鉾」、さらに西には「月鉾」が組立中の姿を見せていました。
この三基は、既に鉾頭(地上・約25メートル)を屹立させています。
後は、屋根を付け、破風を飾り、祇園社の神紋を染め上げた綱隠で鉾柱を巻く。鉾の胴衣としての天水引、胴懸、裾幕を付ける、車輪を嵌め込むと、曳き鉾が完成します。
鉾の頂上から、鉾頭、天王台、榊、これらは真木にとりつけられる、綱隠、屋根、破風、天水引、胴懸、裾幕、車輪かな。
山と鉾は、合計32基だ。鉾は9基(長刀鉾・函谷鉾・月鉾・菊水鉾・鶏鉾・放下鉾・船鉾・綾傘鉾・四条傘鉾)で、そのうち7基は、曳方が綱を引き大きな車輪を動かし巡行します。残りの2基は小振りの傘鉾です。
山は、本来、小型で人が肩で担ぎ上げる飾り山(舁山)だったわけですが、山にも鉾と同じ大規模になった北観音山・南観音山・岩戸山の3基があります。南観音山は後祭りのしんがりを務めます。
いわゆる祇園祭の山鉾巡行のイメージを描かれる、天を貫く巨大な飾りもの巡行イメージを形成するのは7基の鉾と3基の山です。
宵山には、こっそりお邪魔する予定だけど、「鉾建するから、時間があれば?!」と、室町やら新町に広がる山・鉾町に関わる幾人かの知人から、お声をお掛け頂いて「とても、嬉しい気分」でした。
そこで、厚顔にもお邪魔し、拝見する事にしようと考えました。
しかしながら、そんなに巧く事が運ぶワケもナシ。
そんなこんなでしたが、「菊水鉾」の「鉾建」を拝見する事ができました。知人が詳細に解説してくれる事を理解しながら、慎重に進められる「鉾建」をつぶさに見守る事ができました。「祇園祭」は「山」や「鉾」を組み建てる事そのものが「神事」なのだと。
「鉾柱」の中程に位置する「榊」に「御幣」 というか「紙垂(しで)」を付けます。「鉾建」を見守る人にも「紙垂(しで)」が配布され、それぞれの人が、それぞれの願いを込めて「紙垂(しで)」を付けます。
「厄除けと幸福」を願い「菊水鉾」の扁額「菊水」の正面左際に、ささやかな「祈念」を込めて二枚付けさせて貰いました。
(↑写真は、榊に紙垂(しで)を付け終え、いよいよ鉾を立てる作業が始まるところ)
(徐々に、菊水鉾が立ち上がっていく)
(←ほぼ、菊水鉾が立ち上がったところ)
いずれの写真も携帯電話のカメラなもので、鮮明さに欠ける点が残念ですが。
「菊水鉾」の「鉾建」が終わった瞬間に万雷の拍手が湧き興りました。
「祇園祭」を世界文化遺産へ登録しようという動きが強まり、山鉾保存会の腕章を付けてはみたものの、一目で「山・鉾町」の人とは異なる学究の方々が、写真を撮り、測定し、様々な記録をしておられました。
確かに、「ユネスコで『世界文化遺産』登録」を目指すなら、仕方がない事だろうと思います。「菊水鉾」の「鉾建」にも、多くの外国人観光客の姿がありました。
どのように映ったのでしょうねぇ~。
14日から16日の宵宮、いよいよ室町や新町界隈の山・鉾町には、「コンコンチキチン、コンチキチン」と祇園囃子で充たされ、それぞれの山・鉾町は「秘伝(歴史的)の屏風を公開する屏風祭」も行われます。
17日は、午前9時に長刀鉾を皮切りに「山鉾巡行」が執り行われ、午後2時前には、後祭りを含め全てが巡行を終える。
夕方には「八坂神社」の三基の神輿(東御座・中御座・西御座)が、神社から担ぎ出され、町内を巡行した後、四条御旅所へ渡御が執り行われます。
24日には、「花傘巡行」と、神輿が四条御旅所から八坂神社へ戻る還幸祭へと続くわけです。
「祇園祭」は「芸術・文化」そのものです。
丁寧にご案内を下さいました知人や山・鉾町の皆様へ、謝辞を申し上げ、足早に京都駅へ向かい新幹線で東京へ移動しました。東京駅から「約2時間少し」西に、こんなにも歴史に培われた文化の香りを保持する大都市の中の地域があるわけですから、日本の社会や文化は本当に優れものですね。改めて感じ取る事ができました。
巡行に先立つ「宵宮」は、大切な大切なヒトを伴い、こっそりお訪ね申し上げたく存じます。
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コメント
「コンコンチキチン、コンチキチン」の祇園囃子
を聞きますと、なんだか胸が静かに騒ぎます。
投稿: S | 2009/07/13 22:53