国家観を欠く政治のリーダーは、要らない! 民主党も、自民党も、真剣さがない!
「21世紀政治臨調」が主催した、昨日(8/12)の「党首討論」は全く噛み合っていないじゃないか。もっと焦点を絞り込み、そのテーマ以外へ逃げられない方法で縛った上で、本質を議論すべきではないか。
支持するワケではないが、北川元三重県知事がコメントするように、「50万円の収入しかないのに80万円の生活をするのか、50万円の収入に見合う50万円の生活をするのか」この点を明らかにすべきではないか?
いずれの側も、無責任である!無責任以外の何ものでもない!イライラさせられる!
櫻井よしこさん(気軽に呼ぶのは憚りもあるが)が、衆議院総選挙を前に発した、叱咤の意見表明が報じられている。
読み込んで、「なるほど」と同感できる点が多い。
与野党(第一党)のいずれかが中心になり、政権を担当し運営するワケだが、その根底には「確たる『国家観』が必要」だ。
民主党の主張は、基本的に「学生のサークル遊び」の気配しか感じられない。
地方分権は間違っていない。こんなハナシは当たり前の事だ。
それでも、それをローカルから積み上げるのではなく、一刀両断で押し付ける方向だ。
この声の主は、「橋下大阪府知事」が主導する主張に引っ張られての事である。
しかし、報じられるところでは、近畿の知事会で「嘉田滋賀県知事」は性急な進め方に反対姿勢を表明している。
「井戸兵庫県知事」も同様の意見を表明している。
橋下大阪府政は、「不整の山」とも揶揄されている。
その理由は、「(その時その場で)思いついた事を述べているに過ぎない」ため、整合性を保つ事ができないのである。
首長連合で「自・公」と「民主」の「地方分権に伴う政権公約」を評価し、支持政党を打ち出すなんて、実に珍奇な提案を繰り出し、自治体の首長がする事ではないと、世論の反発を受けるや否や、いきなりトーンダウンする始末だし。
その後、基本的な潮流が「民主」へ流れそうだと見るや否や、首長連合で「民主」支持を打ち出してみる。しかし、自らの支持基盤である「自・公」両党と支持者の怒りや反発を受け、「民主」の(応援)マイクは握らない。同時に「自公」の(応援)マイクも握らない。と茶を濁す発言で逃げ込みを計ろうとしているが、そうはいくか!
そんな無責任な事は許されない。
自らの政治スタンスから、袂を分かつ必要があるなら、そうすべきだ!
ここが、心情「民主」系の「逃げである」。胆のない肝の据わらない情けないハナシだ。
だから、「学生サークルのお遊び」に過ぎないのだ。
「学生サークルのお遊び」は、大学の中でやってくれ!
大学の中などで寝言を振りかざしバーチャル世界で遊ぶのは一向に構わない。
しかし、現実の政治は、お遊びではない。
国の政治を司るには、明確な「国家観」が求められる。
衆議院選挙で集票(買収)するために、「カネのバラマキ」を競い合い、国家財政を破綻させる事を競い合う前に、この国の「将来像」をハッキリ示して貰いたい。それからだ!
引用開始→【櫻井よしこ 麻生首相に申す】名誉挽回に死力尽くせ
(産経MSN 2009.8.13 02:39)今月末の総選挙に向けた自民・民主両党の主張は日本における政治の矜持(きょうじ)の喪失と保守勢力の凋落(ちょうらく)を痛感させる。日本はいま、歴史を重ねて蓄えてきたすべての力を使い切ろうとしているかのようだ。
日本のすべての力は、歴史のなかで先人たちの苦労によって培われてきた。にもかかわらず、麻生太郎首相も鳩山由紀夫民主党代表も、あまりにも日本の土台を構築する価値観や歴史に無神経である。両党首の下の自覚なき政治で、先人の残した諸々の価値観がいまや消し去られてしまいそうだ。
8月15日、麻生首相も鳩山代表も靖国神社には参拝しないらしい。首相の言い分は「国家のために尊い命を捧(ささ)げた人たちを政争の具にするのは間違っている。(靖国神社は)政治やマスコミの騒ぎから最も遠くにおかれてしかるべきもの。もっと静かに祈る場所だ」というものだ。
本気であろうか。靖国神社参拝は長年「政争の具」にされてきた。中国が靖国参拝を日本抑圧の切り札とし、切り札を突きつけられた日本側が砕け続けてきた。政争の具にしないためには、まずこの構図を打ち破り、靖国参拝を巡る状況を正常化することだ。日本の首相が「国家のために尊い命を捧げた人たち」を慰霊するのに、外国政府に言われてとりやめるという異常からの脱出が正常化への第一歩だと気づき、熱い心をもって全力で臨まなければならない。そのこともなしに参拝を避けるとしたら、それは、無気力の極みである。異常を是として、異常を継続することにほかならない。
吉田茂以来、不幸にも戦後日本に根を張った政治風土の最も深刻な欠陥は、この種の、異常を正常と思い込む価値観の倒錯である。総選挙を前に国民に訴えるべきは、返済不要の奨学金や農家への戸別補償の効用ではなく、靖国参拝に象徴される日本人の心の問題である。
だが、首相が国民に語りかけていることのほとんどが金銭、物質に関する事柄でしかない。国家の基本的な問題点、たとえば安全保障、増大する中国の脅威、激変する米国外交こそを訴えるべき時、バラ撒(ま)きから透視される有権者への迎合こそ見苦しい。首相は日本の最も深刻な欠陥である安全保障の不備に関して、集団的自衛権さえも打ち出せていない。
占領下、吉田は日本の再軍備に抵抗し、ついにまともな軍隊を作らせずして引退した。米国のダレス特使に対しては、「日本を広い意味で米国にインコーポレート(合体)してほしい」とさえ述べ、米国の庇護(ひご)の下での経済優先を貫いた。吉田は引退後、軍事をないがしろにしたことを悔いたが、冷徹に言えば、それは繰り言にすぎない。物事をなすべき地位にあるとき、政治家は国益だけを考えて全力で事をなさなければならない。それなくしては、辞した後の言葉は虚(うつ)ろである。
麻生首相は、就任直後の2008年9月、ニューヨークで集団的自衛権について「基本的に解釈を変えるべきものだ」と語った。
◇
だが、首相は集団的自衛権の解釈を変更するどころか、その件に触れることもなく、選挙に臨もうとしている。首相は祖父と同じ間違いを犯し、後世に憂いを残すのか。
そのうえ、「静かに祈る場所」と言って、靖国神社には近づかないのか。静かな祈りは口実か。「保守」の首相のそんな祈りを英霊たちは喜びはしないだろう。
首相以上に、鳩山代表の靖国についての考え方は奇妙である。氏は8月11日、党本部で、「(靖国神社に)参拝するつもりはない」、民主党内閣が誕生する場合、「閣僚にも(参拝を)自粛するよう言いたい」と明言した。
「村山談話」に関しては、「尊重し、談話の思いを十分に受けた政権にする」と強調した。先の大戦について、日本が間違っていたとし、ひたすら「心からのお詫び」を強調する「談話の思い」を鳩山氏は「十分に尊重」するそうだ。
次期政権をうかがう二大政党の党首がいずれも、国家のために努力し、戦い、敗北し、命を落とした人々の魂を、慰め、鎮め、感謝の祈りを捧げることを、他国に気兼ねして行わないと表明したことに、私は深い喪失感を抱く。日本はここまで大事な価値観を失ってしまったのか。精神の支柱を腐らせたかのようなこんな国がほかにあるだろうか。
鳩山氏はまた、非核三原則について、8月9日、「法制化を党としてしっかり検討する」と述べた。2日後には「本当に(法制化が)なじむかは検討の中で議論したい」と後退したが、そもそも「非核三原則は法律を超えた国是」というのが氏の考えだ。
北朝鮮が核を保有し、日本を射程にとらえ得る中国の核ミサイルはすでに1000基を超えた。核抑止の担保は日本の安全保障上、死活的重要事だ。結果、非核三原則はいまや守るのではなく、見直しこそが必要である。鳩山氏の三原則論は日本を脅威の前に裸で立たせるようなものだ。
一方、政と官の関係を新たに規定する公務員制度改革について、麻生、鳩山両党首の言葉は共に、国民を騙(だま)すものである。麻生内閣の改革案は、結局、政治に対する官僚支配を強める内容となった。同案は廃案となったが、民主党案は、おそらく、自民党案より酷(ひど)い内容になる。鳩山氏は、幹事長だった今年6月30日、政権をとれば「局長クラス以上は辞表を出していただき」、民主党の大胆な官僚改革を行うとした。だが、いま「法的には難しい。辞表という形に必ずしもならない」と語る。長年、人事院と労組の連合の間には協調関係があった。民主党はその連合の支持を当てにする。大胆な公務員制度改革を阻む構図のなかに民主党が存在するのであり、事実、改革案の後退が早くも始まっているのだ。
こうしてみると、民主党の政策には多くの疑問符をつけなければならない。だが、麻生首相のふがいなさゆえに、自民党に期待することも難しいのだ。そのふがいなさを、首相はいま、だれよりも深く肝に銘じよ。名誉挽回(ばんかい)に死力を尽くせ。←引用終わり
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