ご苦労様、JALのジャンボ機!ありがとうJALのジャンボ機!
JALのクラシック・ジャンボ機、本当に、長い間よく飛んだものだと思います。
DC8から、B747へ、頻繁に利用するようになったのは1973年の秋からだった。
当時の国際線は、羽田からだった。
現在のビッグバードではなく、国内線も国際線も手狭なターミナルビルに同居していた。
乗り継ぎも歩いて移動できる距離に収まっていた。
羽田のターミナルは、いつもごった返していたが、
国内線のチェックインは長閑な空気に包まれていた。
国際線のチェックインは、晴れがましく幾分緊張した人の表情があった。
いま思えば、よくあんなに狭いターミナルビルで乗客を捌いていたものだと思う。
(当時の日本は発展途上国そのものだった)
その中を、各国から飛来する国際線の機材に負けず、JALのジャンボ機は、白地のボディーに赤と紺のストライプをまとい尾翼に「鶴丸」を輝かせ威風堂々だった。
やがて、国際線が成田へ移動し、羽田は国内線専用空港になった。
いきなり国内線の便数が増加した事もあり、国際線のビルへ主要幹線は移動したが、それらの路線で輸送を担ったのがB747のジャンボ・ファミリーだった。
国内線でも、最初の頃は、アッパー・デッキ(二階席)に席を取る事が一種のブームでもあったような記憶がある。
JALの国内線用のジャンボ機のアッパー・デッキは幅も広く大きい2列シートが左右に2配分4配列だったから合計16席だった。
当時は、いまのように事前座席入力はできなかったから、チェックインを早く終えた乗客がその幸運を手にする事ができた。よく分からないが、チェックインが始まると16席は瞬く間に配分された。
なおかつ、客室乗務員が広い座席を占める16人に一人~二人なのだから「極楽気分」だった。普通料金で最近のファースト気分を味わえた事もあり、人気に拍車がかかったのだろう。思えば実に長閑な時代だったワケだ。
その後、B747ジャンボ機は改良が施され、一部ではアッパー・デッキが増加した。
さらに改良され、ストレッチ・アッパー・デッキ型の(SUD)機材が供給されるようになると、いきなり70席(3列シートの2配分12配列=YS11と同じ乗客数)ほどの容姿になった。
そうなると、今度は天井が低く若干の圧迫感を受けるようになると共に、乗降時に二階席への狭い後方階段に人が集中する事で、利用価値はいきなり低下した。
それでも、何となくアッパー・デッキの二階席は人気があったように記憶している。
当時の国内線でよく利用したのが、記録ではJA8119(御巣鷹山事故機)で、次がJA8124だった。あの事故から間もなく25年だ。幸いにして事故には巻き込まれず生き延びている。「さくらラウンジ」で顔を合わせていた何人かの知人が犠牲になった。
あれから、「鶴丸」は残されたが、機材は赤紺のストライプを止め白一色のボディーカラーへ、またJALのロゴは右上から左下へ流れるようなタイプのモノから直立型の愛想のないモノへ切り替えられた。事故のイメージを払拭するため「鶴丸」の廃止も検討されたと漏れ聞こえてきた。
以前にも記述したが、最初の頃、遙かに遠いヨーロッパの地で、巧く溶け込めない日々が続いた時、よく空港へJALの機材を観に出かけた。羽田からアンカレジを経由しパリへ到着するJALの機材を観ると止めどなく涙がこぼれ溢れてきた。
「帰りたい!帰りたい!」と、一方で「帰れない!帰れない!」と。
その当時、「生きる」勇気をくれたJALとB747クラシック・ジャンボ、いつも「運んでくれた」JALとクラシック・ジャンボに深い感謝を込めて。
引用開始→ クラシックジャンボ:最後のフライト 放水アーチで出迎え
(毎日JP2009/07/31.)
ホノルルからの最後の飛行を終え、セレモニーで放水の中を進むB747-300型機=成田空港で2009年7月31日午後3時23分、本社ヘリから手塚耕一郎撮影大量輸送時代を支え、海外旅行を身近なものにした「クラシックジャンボ」が31日引退し、成田国際空港で記念セレモニーがあった。ラストフライトは航空ファンら乗客406人を乗せ、ホノルルから到着したJALウェイズ73便。成田空港会社(NAA)の消防車2台が迎え、放水のアーチを作った。ボーイング社で747の主任設計技師を務めたジョセフ・サッター氏(88)らが乗員に花束を贈り、乗客や関係者らは引退を惜しんだ。
日本航空は70年に747シリーズの初期型「747-100型」を羽田-ホノルル線に就航させ、これまでに延べ109機の747を導入。航空機関士が乗務する「300型」までの在来型65機がクラシックジャンボと呼ばれた。その後、機長、副操縦士の2人で運航する「400型」の導入が進み、原油高で燃費の良い中小型機にシフトしたこともあり、在来型の引退が加速した。
72年に入社し、総飛行時間1万3038時間という航空機関士の広瀬正一さん(55)は「長い間、世界を一緒に旅してきた仲間。本当にお疲れさま、と言ってあげたい」と話した。【山田泰正】←引用終わり
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