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2010/03/31

日本の国債は安全か? 国債の暴落はないのか?

27日に、ちょっとした会合があり、その際「国債の一部を解約(売却)し、新たな国債を契約(預け替え)した」との説明を受けた。
それを受け、銀行預金から国債の保有へ切り替える事を提案し、積極的に推し進めた前任者が、「自分は安全性を考え『3年もの国債』の保有を提案し推進してきた」。
「なぜ、中途売却しなければならないのか?」と執拗な質問を繰り返していた。

前任者は「日本の『国債』は万全」であるとの基本認識を保つためだが。
この程度の人物が多数を占めているため、「日本の国債」は、一般論としてまだまだ信用されているのだろう。

債券市場での評価は、何も知らない脳天気野郎の希望的観測とは異なり、基本的には信用崩壊中である。

"まるでのうそまろバカセ" は、
「低い金利の国債を保有し続けるより、目前の債券市場で旨味のある半年国債があれば、一部をシフトし買い換える事は、金融商品市場では別に無茶苦茶なハナシではない」と考えている。
従って、少しでも有利な運用を考える志を持つなら、有利な国債へヘッジするのは当然だと、現任者を擁護した次第である。

これらの点(事実)を指摘した記事が「VOICE」にあったので、よくご覧頂ければと、引用紹介してみたい。
何が真実で、何が虚飾か?

引用開始→ 国債の現状はすでに「暴落なき暴落」
浜 矩子(同志社大学教授)

◇いま、そこにある危機◇

「いま、そこにある危機」。映画がお好きな向きには、おなじみのフレーズだろう。麻薬組織とCIAの攻防を描いた大型アクション作品のタイトルである。主役のCIA幹部をハリソン・フォードが演じた。

今回のテーマについて考え始めたら、たちどころにこの一文が頭に浮かんだ。日本国債をめぐる危機は、いま、まさしくそこにある。

もっとも、いま、そこに危機はないという説もある。国債暴落懸念は杞憂で、いまこそ、財政出動が大いに必要なのだという考え方である。こんなときに、財政赤字のことを気にして政策の腰が引けているようでは、埒が明かない。そんなことでは、いつまでたっても経済成長は戻ってこない。積極的な財政スペンディングが待望される。このような主張は少なくない。

この主張に対して、筆者は半ば同感、半ば反対である。同感できるのは、いまが財政出動を要する場面だという点についてである。この指摘はもっともだ。オーソドックスな政策論である。言い換えれば、民間経済が十分に需要を生み出しえていないとき、その空白を埋める役割を財政が果たすのは、至って当たり前のことだ。その限りでは、財政出動論はオーソドックスというよりは、むしろ、たんに自明のことをいっているにすぎない。

ただし、需要の穴埋めのために財政が何をするかという点については、大いに議論の余地がある。公共事業なのか。補助金型の分配政策なのか。はたまた減税なのか。

政策選択に関しては、現状の正確な読みと的確な対応をマッチングさせる力量が問われる。この観点からいえば、いまの時点でひたすら成長狙いの政策対応に走ることには、疑問がある。成長戦略さえあれば、すべての問題が解決するがごとき言い方は、方向感覚がずれている。何よりも、そもそも事実誤認であると思う。

ただ、この話題に突っ込んでいくことは、本稿に与えられたテーマから少々外れる。政策選択の問題と借金財政の許容限度問題とは、むろん無関係ではない。だが、それを論じることが今回の直接的な課題ではない。したがって、この問題はひとまずさて置くとしよう。

そこで、問題は「いまそこに危機はない」説の「国債暴落懸念は杞憂だ」という考え方である。これには、どうも同意できない。

杞憂派の論拠はさまざまあるようだが、概ね、次の3点に集約されていると考えてよさそうである。第一に、そもそも日本国の借金負担は、じつをいえば、巷間いわれているほど大きくはない。第二に、日本の国債はその大半が日本人によって保有されているから、心配はない。第三に、日本には1500兆円の個人金融資産があるから、政府部門が赤字でも、それを吸収して余りある経済的余力がある。それぞれについて、考えてみよう。

まず、第一点の日本国の借金の規模の問題については、たしかに、債務残高の総額と純額を区別して考える必要がある。これは間違いない。総額ベースでみれば、日本の公的債務残高は突出して大きい。測り方いかんで、GDP比180%あるいは190%超というとてつもない数字に達する。だが、これはあくまでも借金の側だけを見たときの話だ。債務があれば債権もある。債権側を考慮して、純債務ベースでみれば、債務残高の数値は直近で対GDP比概ね100%だというのが、OECD(経済協力開発機構)の算出結果である。

こうしてみれば、たしかに債務残高の実質的規模は一般に考えられているほどは大きくない。だが、それで安心していていいのか。そもそも、純債務ベースで見ても、なお、GDPとほぼ同規模の借金があるということをどう見るか。ちなみに、この概念で見て日本と同程度の債務状況にあるのが、イタリアとギリシャである。

ギリシャが、政府の借金問題でいまどのような立場に追い込まれているかは、周知のとおりだ。まさしく、国債相場は暴落し、国家破綻の現実的な可能性に直面している。ギリシャにとってこそ、間違いなく、危機はいまそこにある。イタリアにしても、その財政規律の軟弱さはつとに知られるところだ。こうした国々と純債務の状況がほぼ同じだということが、はたして安心の材料になるのか。

さらにいえば、純債務を算出するに当たっての債権側について、質の問題を考えておく必要があるだろう。債権側の大きな項目が、外貨準備高である。日本の外貨準備はたしかに大きい。中国とつねに外貨準備大国としてのトップの座を争っている。だが、その中身にはいささか問題がある。なぜなら、日本の外貨準備のあらかたがドルないしドル建て証券である。

日本の借金問題も心配だが、それに勝るとも劣らぬ心配の種がアメリカの借金問題である。借金大国アメリカのドルは、はたしていつまで、どれだけの価値を保持しつづけることができるのか。ドルが紙切れになる日はそう遠くないのではないか。ドルという通貨には、いまや、つねにこれらの問題が付きまとう。そのような通貨をたくさんもっているからといって、借金はあるが、金持ちでもあるといって喜んでいていいのか。

債権側のもう一つの項目が、公的機関の金融資産である。これもたしかに重要な資産項目だ。民間金融機関の貸し渋りや貸し剥がし行動がなかなか払拭されないなかで、公的融資の残高はこのところ増加傾向にある。それを考慮に入れることは必要だ。ただし、これについても、質の問題はある。不良債権化の可能性を十分に考慮に入れておかなければならない。そもそも、民間金融機関が二の足を踏む先に融資しているわけであるから、規模が大きければいいというものでもないのである。

こうしてみれば、純債務ベースでみれば様子が違うという考え方も、それなりに割り引いて受け止めておく必要がある。少なくとも、これをもって国債暴落懸念は杞憂だと断言するわけにはいかないだろう。

◇「怖くて売れない」は本末転倒◇

第二の日本の国債保有構造の点についてはどうか。たしかに、日本の国債はいまなお、そのおよそ9割が国内の投資家によって保有されている。何といっても、金融機関の保有高が大きい。彼らが日本国債を売るはずはない。したがって、国債相場は安泰だ。この保有構造が変わらないかぎり、国債暴落も国家破綻懸念も幻想だ。このような指摘はしばしば聞かれる。はたして、そうか。

日本の投資家なら、なぜ、日本国債を売らないのか。その理由は、結局、自分の首を絞めることになるからだという。ある金融資産の大量保有者がその資産を放出すれば、その金融資産の値段は下がる。したがって、売り手は大きく損をする。本当は手放したくても、売るに売れない。そういうことである。

これは理屈ではある。そこには、外貨準備としてドルを大量に保有している日本が、ドルをけっして売れないのと同じ力学が働く。

そのとおりではあるのだが、これをもって国債暴落の懸念なし、というのはいかにも本末転倒ではないか。ほとんど詭弁だといったほうがいいかもしれない。「怖くて売れない」の論理にしか頼れない資産の価値は、すでに事実上崩落している。そのように考えるのが筋ではないのか。

ちなみに、「怖くて売れない」にも、二種類の怖さがあるだろう。その一が、文字どおりの損失大量発生懸念だ。自らの売りが国債の流通価格を暴落させて、購入時の価格との差額で大幅なロスを被ってしまう。それが怖くて売れないというケースだ。自らの売りで招いた崩落でなくても、国債相場が崩れていけば、おのずと含み損が発生することになる。それを顕在化させることが嫌なら、やっぱり怖くて売れないということになる。

もう一つの「怖くて売れない」は、いわば国賊化の恐怖というようなものである。国債を売ることは国家に対する裏切り行為だ。そんな心理的プレッシャーが働けば、これもまた「怖くて売れない」の金縛りに遭うこととなってしまう。いまの世の中、このプレッシャーはあまりないはずだとは思う。だが、それでも、国債の最初の売り手にはなりたくないという心理は、大なり小なり働くかもしれない。

いずれにせよ、「怖くて売れない」効果を当てにして国債暴落の懸念なしというのであれば、これはあまりにも情けない。情けないし、聞き捨てならない。いわば貸し手の弱みに付け込んで、開き直った借り手の論理だ。どうせ、怖くて売れないだろう。そうタカをくくっているも同然である。この論理にあぐらをかくようでは、そのこと自体がすでにして事実上の破綻国家だ。モラルハザードもいいところである。

第三の個人金融資産という頼みの綱についても、注意を要する。この場合にも、不良債権問題を考慮する必要がある。1500兆円の資産のうち、どれだけが実際に流動化できる資産であるのか。

そもそも、この数値のなかにも、国債で運用されている部分が含まれているはずだ。直接保有にせよ、金融機関に預けられた資金の運用を通じてにせよ、巡り巡って結局は国債市場に流れ込んでいる部分については、これを国債の受け皿として当てにするのはおかしな話だ。ちなみに、こんな状況のなかで、政府が個人向け国債の販売を強化しようとしているところに、どうも一抹の不安を感じる。

こう見てくると、どうも、国債に暴落の懸念なしとして、安心している気にはなかなかなれない。むしろ、現状はすでにいわば暴落なき暴落状態に入っているのではないだろうか。そう思えてきてしまう。

怖くて売れない心理が、暴落の顕在化を防いでいる。知らぬ間にその構図に組み込まれてしまっている個人投資家や小口預金者もいるかもしれない。無風状態の表向きとは裏腹に、国債市場の姿見えぬ実態はすでに大いにギリシャ化しているのではあるまいか。

◇長期金利の上昇で恐怖の均衡が崩れるとき◇

暴落なき暴落。破綻なき破綻。こうした陰の実態がもし顕在化することとなってしまえば、そのとき、何が起こるか。国家というものが現実に破綻するとはどういうことなのか。

そのような実体験を味わわずに済むことを祈るが、状況としては、企業や個人が倒産するのと同じ事である。端的にいえば、やりたい事をやりたいようにできなくなる。そういうことだ。支援を得ながらの再建か、資産を投げ売りしての債務清算か。いずれにしても、不自由な日々を強いられることになる。

IMFの管理下で、かつて1960年代に英国が体験し、1990年代に東アジア諸国が味わい、リーマン・ショック後のいま、ハンガリーやエストニアやアイルランドが噛みしめている世界である。公的サービスの一部を停止せざるをえなくなる。年金をまともに支給できなくなる。生活保護についても、十分な手当てができない。税金の使い道について、外からやって来た管財人たちにとやかく指図されることになる。破綻国家には、そんな暮らしが待っているはずである。

それが嫌なら、自力更生の道もないことはないだろう。ただ、それは外からの関与を排除するために、内にあって国民に大きな犠牲を強いるやり方だ。預金封鎖、愛国税の強制導入、国債の強制割り当て。こんな怖いオプションも頭によぎる。こうなれば、要は統制経済である。

さもなくば、インフレである。インフレを起こせれば、話は簡単だ。国が何兆円の借金をしていても、物価が天文学的に上がってしまえば、今日の国の借金は、明日のおにぎり1個の値段にすぎないかもしれない。

奇策としては、デノミというのもあるだろう。デノミ自体は、たんなる通貨価値の読み換えだ。100円を1円と言い換えるだけの話である。

だが、それをやることをきっかけに、それまでの借金を期限付きで反故にする。そのようなかたちでデノミを使おうと思えば、それができてしまう。旧紙幣の新紙幣への交換は、明日いっぱいですよ。明後日からはもう旧紙幣は紙切れですよ。旧紙幣建ての借金については、明日までしか責任をもちませんから、どうぞご承知を。これで逃げ切れれば、国家破綻状態からも脱出はありうる。だが、これこそ、完全に国民を犠牲にしてのなりふり構わぬ辻褄合わせだ。先ごろ、北朝鮮がこれをやろうとして頓挫した。

インフレにせよ、デノミにせよ、これはある種の粉飾だ。進退窮まった国家による国民に対する裏切り行為だ。これには気を付けなければいけない。

かくして、国家破綻の悪夢が現実化した事態を想定すれば、次々と各種の怖い情景が思い浮かんできてしまう。ただ、現実問題としてみれば、本当に怖い事が別にもう一つある。それは長期金利が本格的に上昇しはじめることである。いまは、差し当たりまだその方向に向かって事態が大きく動いているわけではない。だが、いつまでもそのときを先延ばしすることができるわけでもない。

そのときが来ればどうなるか。そのときこそ、「怖くて売れない」は「あきらめて損切り」の心理に転化するかもしれない。いくら、国債への忠誠心が強い日本の投資家たちが売りを手控えていても、何らかの外的要因で長期金利が上がりだせば、もはやこれまでの感が市場に広まることになるだろう。そうなれば、含み損が表に出るのを承知でも、国債を手放す動きが広がる可能性はある。この期に及んで、なお国債を持ち続けているような投資家には、財務内容が悪すぎるということで、市場が制裁を下すことになりかねない。

いずれにせよ、長期金利の上昇によって、国債市場をめぐる恐怖の均衡が崩れるというのが、当面のもっとも現実的な懸念材料だ。それが怖いからこそ、日銀もなかなか政策金利の引き上げに踏み切れない。日銀のおかげで、国家破綻に陥ったと糾弾されるようなことになってはたまらない。おのずと、金利政策の変更には慎重にならざるをえない。

その意味で、アメリカが金融大緩和からの出口をそろりと模索しはじめたことは、大いに気掛かりな展開だろう。金利環境の変化がきっかけとなって、暴落なき暴落の秘められた構図が明るみに出る。これこそ、まさしくいま、そこにある危機だ。←引用終わり
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