バンコクでの反政府デモによる衝突で犠牲者が出た事を憂う!東北部では蜂起へ!
タイ王国政府(機関)との友好関係を保持する事もあり、一昨年の暴動混乱のときに一方の政治的責任を述べ、問題の根元をいくつかの角度から指摘した。
昨年のプーケットでのASEAN首脳会議議場占拠についても、その混乱の背景を総括的に指摘するに止め、今回の一連の動きについては「沈黙」を守ってきた。
しかし、遂に、双方共に譲らず「流血」の事態となり、19人に及ぶ犠牲者を生んでしまった。
基本的には、バンコクの繁栄と東北部の貧困をいかに埋めるかが、タイの政治における絶対命題である。
追放されたタクシン元首相は、強圧的な政治指導で東北部へ巨額のバラマキを行った。
それが故に、バンコクでタイの経済を動かす側は不満を募らせ、クーデターによりタクシンを追放し妥協的に政権を担った元タクシン一派の政権も、一昨年の「民主化要求」暴動(空港占拠)を展開し、現在のアピシット政権を生み出した。
しかし、東北部で根強い人気を保つタクシン元首相(海外亡命中)の政権復帰を掲げる層は、アピシット政権こそ「不公正、不透明」であり「民主的」ではないと主張し、バンコクに結集し長年にわたる不満を爆発させた。
タイは伝統的に「微笑みの国」である。
そのタイが、経済発展を手に入れた結果、バンコク首都圏だけが所得を増やし、東北部に代表される農村地域は繁栄の恩恵を受けていない状況が、今日の混迷を生み出す要因にもなっている。
バンコク首都圏が享受する繁栄から取り残された農村部の怒りは凄まじい。
それではタクシン元首相の政策は、東北部の農村地域に有益であったかと問えば、それは、どこぞの国と同じで「カネをバラ撒いた」だけに過ぎない。
例えば農業の効率化とか高収益化を目指した政策振興を行ったワケでもない。
ただ、「単にカネをバラ撒いた」だけである。
直接的に「カネをバラ撒かれる」と、純朴な農民はタクシン元首相を「王国の長」のように崇め、中にはタクシン元首相の姿に両手を合わせ拝礼するまでになったといわれている。
これが、タクシン元首相が「バンコクで不興を買う原因」になったとされる。
タイは王国である。
タイの民は「フミポン国王」へ絶大なる尊敬を顕し心の平安の拠り所としている。
タクシン元首相が東北部へ「カネのバラ撒き」を繰り広げた事で、「フミポン国王」の権威を冒される行為に見えた事もあり、タイ全体でタクシン元首相は怒りを買うことになった。「王の権威」を冒してはならないのである。
ここに、バンコク首都圏でタイ経済を支配し権益を握る側が、タクシン元首相一派の一層を画策し、クーデターによるタクシン元首相の打倒、一昨年の民主化要求デモによる政権転覆へ繋がり、それへの対抗軸として昨年来のタクシン元首相一派の決起や蜂起が繰り広げられているワケである。
これまで、「タイの内政」ゆえに、また友人を多数抱えるため踏み込まずに見守ってきた。
しかしながら、衝突により「死者」を出した事は重大な局面と考える。
とりわけ、犠牲者の一人が、ロイター東京支局の村木博之さんという日本人ジャーナリストが含まれている点が、問題を難しくするだろう。
事態はかなり深刻だ。
いくつかの事情を考慮し、このスレッドはここまでに止めておく。
引用開始→ タイ騒乱、死者19人に 元首相派、軍兵士を「人質」に
(asahi.com 2010年4月11日10時6分)【バンコク=藤谷健】タイの首都バンコクで10日夜、治安部隊とタクシン元首相派が衝突した騒乱で、病院関係者によると、11日朝までに少なくとも19人の死亡が確認された。また負傷者は825人に達している。死者の内訳は、ロイター通信のテレビカメラマン、村本博之さんのほか、軍兵士が4人、元首相派の支持者らが14人だという。
一方、治安当局者によると、元首相派の支持者らが、騒乱のさなかに複数の軍兵士を拘束し、「人質」としており、現在解放するよう元首相派を説得しているという。また北部チェンマイとピッサヌローク、東北部チャイヤプームの3県の県庁舎が元首相派によって占拠されていることを明らかにした。←引用終わり
(朝日新聞社asahi.com)
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