朝日は色々様々なメディアを持つから、政権を擁護するにも批判するにも便利な事だ。
一方のメディアでは、政権が掲げる政策や施策を擁護し擦り寄る事もできるし、また別のメディア上では、政権が掲げる政策や施策に徹底的な批判を加え、時には「政権打倒」のキャンペーンを打つこともできる。
世間から、仮に「二枚舌」ではないかとの指摘を受ければ、
「いやいや、編集権はそれぞれ『独立』していますから、編集者の裁量ですよ」とかなんとか言い逃れる。
ホントに便利なコトだし便利なモノである。
朝日は、「活字メディア」と「電波メディア」を総動員し、全体として「民主党」による政権交代へ積極的なキャンペーンを張っていた。
そして、朝日を始め朝日的な主張が「民主党」による政権交代を実現させた。
鳩山が転けるや否や、ハトヤマらの内閣を形成したオ・バ・カさんドモへ徹底批判を加えている。
「どの口が言うのか」あるいは「どの口で言えるのか」と、思わず叫んでやろうかと思うけれど、多数のメディアを抱える「朝日」は「天上天下・唯我独尊」なのだから致し方なしってコトだな。
でぇ、「AERA」の記事である。
学級崩壊オコチャマ内閣と揶揄されたハトヤマの内閣の断面を実に上手く捉えまとめている!
多少の敬意を込め「AERA」の記事を引用し紹介してみよう。
マエをハラハラの前原に政策がないコトは有名な事実である。
ニセメール事件でも見せたように、騒いで負ければ辞めればヨイという無責任さも含め、
京都の支持者なら、そんなコトは承知の助であろう。
ミスター年金コトジャァネ長妻は、幅広く奥深い厚生労働行政を「年金」だけで差配できるか、普通に考えれば分かる事だろうに。
ジャァネ長妻の場合は、「年金」追究の過程で、厚労省の官僚を全て敵に廻してしまったのが「四面楚歌」を産み出したのじゃないかな?
正面から正義を振りかざし議論して追い詰めても、最後まで追い詰めちゃぁダメで、逃げ場というか糊代の部分を残してやらないと人は破綻しちゃうよね。
何よりも、ヒラメのヒラノがA級戦犯第一号だろう!
何もしなかったんだから、最後はシカトする事でマスゴミ各社を睨み返したと本人は考えているのだろうけど、所詮は「松下電器産業の労組代表」に過ぎぬワ。
「電機労連」代表という程度で官房長官が務まるワケがない。
*この点では、「東レ労組」代表の川端達夫文科大臣も同じだ。
*更にもっとダメ男「トヨタ労連」代表の直嶋正行経産大臣も、そのオツムの構造やそこから導き出される思考方法は、全てダァ~メである。五十歩百歩だし目くそ鼻くそである。
マズイ工事と揶揄された松井官房副長官は、良くも悪くも、まぁ霞ヶ関の自信過剰ワル官僚の代表チャンプみたいな存在だった。
だって、ヒラメのヒラノが「普天間」で舞い上がり論理的にも頓挫し、明らかに難しい局面に立たされても、調整力を利かせる事すらしなかった(ように見えていた)。
また、オコチャマ閣僚が勝手放題に好き放題に発言し続ける事を制止もせず、学級崩壊に輪をかけた。
馬淵澄夫に至っては、すっかり辻元姐さんの陰に隠れて、ほとんど何もしなかったんじゃないかな。元来、自らの狭い得意分野では有能みたいに振る舞えるが、所詮は素人の手慰みだったワケでガナリ続ける根性も決意も欠いていた。
茶番の典型だったのが大塚耕平だ!「ホラも休み休み言え」って言ってやりたい心境だ。
ヤカマシ・カメの毒に当てられ、「郵政民営化」教からスッカリ宗旨替えしちゃったワケで、「郵政国営化」の先兵となり、審議もせずに強行採決で恥を恥とも思わず考えずの大馬鹿野郎だ。
最大のアァ~勘違いは、ナンと言っても、アンポンタン・ミズホだろう。
独りゴチて、ドイ・カタコ以来の伝統的思考停止をいかんなく発揮し、独り名を上げ巧妙を成功させたワケだ。
「AERA」はA級戦犯5人としているが、「コラコラコラム」は10人を特別法廷へ推薦できるゾ!
9人目は、閣僚じゃないけど、ミンチトォの国会対策委員長と威張りくさっていた山岡賢次ゾンビ・ジャマオカ・ウソハチを忘れちゃぁイケナイ。
テメーの功名心だけで無責任に日本を混乱させた点では、アンポンタン・ミズホといい勝負だ!小澤一郎とともに消去されちゃった。
最後の一人は、言わずと知れたポッポ・トリガラ宇宙人の鳩山由紀夫である。
罪状を改めて記述する必要もないだろう。
引用開始→ 鳩山政権5人のA級戦犯
政策通「大ウソ」だった
(AERA 2010年6月14日号掲載) 2010年6月10日(木)配信
日本を変えたい。そんな有権者の期待は踏みにじられた。
鳩山政権の閣僚たちも鳩山同様、期待はずれだった。A級戦犯たちの責任を問う。
官房副長官の松井孝治は首相辞任に伴う代表選前日の6月3日、首相官邸内の執務室の後かたづけに追われた。
昨年暮れ、その執務室を訪ねた際には書棚に政治や経済の近刊本がずらり並び、以前はなかったスピーカーが据え付けられていた。在任わずか約9カ月で主の鳩山由紀夫が退任するとは予想できなかったに違いない。
「影の副総理」の正体
鳩山政権の敗北を考えるとき、松井の存在は無視し得ない。彼は政権を象徴する人物だった。
麻生政権末期、民主党への政権交代が確実視されていた。鳩山と菅直人は、政権掌握時、官邸の采配が重要になると予期していた。2人は昨年6月、東京・芝の料理屋に、その1カ月半後にみんなの党を結成することになる江田憲司と渡辺喜美を招き、「お二人は政権を担った経験があるので、ぜひ民主党に入っていただきたい」と執拗に勧誘した。江田は故・橋本龍太郎の総理秘書官として、省庁再編や旧大蔵省の財金分離に辣腕を振るった元通産官僚だ。菅は江田を高く買い、彼に官邸を差配してほしかったようだ。
しかし、すでに新党結党に動いていた両人は固辞し、代わって鳩山と菅が頼ったのが、松井と古川元久(内閣府副大臣)という2人の「過去官僚」だった。松井は、江田と同じく元通産官僚で、内閣副参事官として官邸勤務の経験もある。古川は元大蔵官僚だった。
松井が起用されたのは、官僚出身の彼が霞が関の有職故実に詳しく、細かな制度や仕組みに精通していたからだ。政策課題をたずねれば、滔々と知識を開陳する。政権若葉マークの鳩山にとって重宝な人材だったろう。
官房長官に松下電器産業労組出身の平野博文が起用されたのは、「鳩山さんが落ち着ける人だから。あの人は清涼剤なんだ」(経産省官僚)といわれ、利害が錯綜する問題の調整能力が買われてのことではなかった。松下労組や電機連合といった労使協調の世界における調整力は、たかが知れていた。普天間問題で平野が迷走するのも無理はなかった。平野が早くから空洞化するなかで、政権発足直後から実権を握ったのが、「影の副総理」との異名を拝するようになる松井だった。
民主党政権は自民党時代の経済財政諮問会議に代わる組織として総理直属の「国家戦略局」を設け、ここに国家ビジョンの策定や財務省が牛耳ってきた予算案の骨格策定を担わせるつもりでいた。そのことは彼らの「マニフェスト」に麗々しく掲げられてもいた。薬害エイズ問題で旧厚生官僚を敵に回して活躍した菅が担当相に起用され、いやが上にも期待は高まった。
「改革派」は仮面だった
ところが、国家戦略局を設ける設置法案は昨年秋の臨時国会に諮られず、格下の「室」として発足した。うるさ型の菅を平野や松井、古川は煙たがった。国家戦略局を小さな存在にし、菅の暇つぶしに学者たちをあてがい、勉強会を開かせた。菅は唯一の持ち味の、牙を抜かれた。菅自身もおとなしくしていれば、鳩山の次は自分という打算が働いていたのだろう。
民主党が掲げる安易な「霞が関叩き」にエリート官僚出身の松井は与せず、結果的に霞が関に擁護的だった。民主党政権が今国会に提出した公務員制度改革関連法案には、総務省の行政管理局を内閣人事局に統合する組織再編案や公募による幹部職員の数値目標など、事務方の改革派官僚が用意した先鋭的な案は消え、宥和的な内容に変じた。「あれは、松井さんの差し金だった」。事務方の官僚は、そう打ち明ける。
通産官僚時代の松井の人事考課をつけた同省秘書課OBは、こう指摘した。
「秀才の彼には『鳩山さんはやる気がない』って冷めて見えているんだ。だから彼がやろうとしているのは実に官僚的な霞が関改革だ。そんな彼を責めても仕方がない。だって、そもそも民主党に人がいないんだから」
主の覚悟が定まらなければ、部下はついていけない。その点では同情の余地はある。しかし、竹中平蔵や渡辺喜美のブレーンで、特別会計の「埋蔵金」を発掘した元財務官僚・高橋洋一の松井評は、「改革派の仮面をかぶった官僚」という辛辣なものだった。
官僚に救いの手求めて
官邸主導が形骸化しても、つかさつかさの閣僚がエンジンとなって政権を浮揚させることはできたはずだ。長妻昭や馬淵澄夫といった野党時代の勇者たちが、相次いで政権の幕閣に入っている。だが彼らは、政権に就くや否や、切れ味の鋭かった舌鋒を封印してしまった。
その象徴が長妻の沈黙だ。
年金問題を発掘した彼は厚生労働相就任前の昨年6月、
「官僚機構の腐敗に毎日ビックリしている。自分が決めた原理原則からぶれずにドリルで穴を開け続ける。そうでないと、ぶ厚い官僚機構に穴が開かない」
と言っていた。官僚の手綱を握って馬に乗る。そう力説していたのに、いざ乗り込むと、なかなか手綱を握れない。
長妻は、自身を敵視する厚労官僚に囲まれる恐怖を早くから感じていたようだ。政権交代前の同7月、改革派官僚と密かに面談したが、そのとき長妻に会った官僚はこう振り返る。
「意外にナイーブな人でした。経産省や財務省の官僚に救いの手を求める印象を受けました。あれでは官僚にころっと騙されてしまうでしょう」
長妻が陥ったのは、誰を信じればいいのか分からない官僚不信だったのだろう。竹中が高橋や岸博幸ら古巣に弓をひくことも辞さない覚悟の官僚を起用し、不良債権処理や郵政改革を推進したように、手足となるブレーンがいればよかったのに作れなかった。週刊朝日の今年5月7日号のインタビューで、彼は官僚の仕事に締め切りを設けたことや、担当課の課長名を明記する政策背番号制を採用したことを実績として語っているが、彼が期待されたのはそんな些事ではないはずである。
国土交通相に就いた前原誠司は、長妻とは対照的に口は達者だったが、実行力は伴わなかった。空の特別会計の廃止や空港着陸料の引き下げは言ってみただけで実現していない。八ツ場ダムの決着もつかない。成果は10年度予算案の概算要求で公共事業費を14%削減したことと、JALを法的整理(倒産)に追い込んだことである。
「前原という人は、ばーんと打ち上げ花火を上げるんですよ。だけど、後はなんにもしない人なんですよ」
民主党内で高速道路整備を担当してきた有力議員はこう話し、前原と小沢一郎幹事長との間でもめた高速道路の料金問題の「真相」を打ち明けた。
平気で真逆の方向転換
「小沢さんの提案は1千億円程度の建設だったのですよ。それが1兆円を超えるものになった。前原さんが国交省の官僚を抑えられなかったのです」
前原は小沢がまとめた民主党の党要望に屈し、高速料金の値下げのために使う「割引財源」を道路建設に振り向けることを余儀なくされた。あてにしていた割引財源は減るため、前原と馬淵は4月、近距離は値上げとなる新料金体系を発表したが、これに小沢が「マニフェストでは無料化にするはずだった」と反発し、前原のつくった道路の新料金体系は見送られた。
表面的には小沢の要望に前原が屈したと見られてきたが、この有力議員によると、真相は微妙に異なる。むしろ前原は、道路をたくさん造りたい国交省の道路官僚たちの手中にある、というのだ。彼ら道路官僚が業界や自治体、地方選出の議員をたきつけ、「道路は必要」という大合唱がおきる。かくして東京外環道建設や上信越道などの拡幅工事が決まった。小沢が悪者視されたが、敵は実は省内の道路官僚だったのかもしれない。
郵政民営化の逆コース化で、内閣府の金融担当副大臣・大塚耕平が犯した罪も大きい。彼は郵政選挙のあった05年、小泉と改革を競い合った民主党の郵政改革調査会事務局長として、郵便貯金の残高を8年以内に半減させると数値目標を掲げ、郵貯への預け入れ限度額も現行の1千万円から500万円に引き下げる対案を立案した責任者だった。小泉の民営化路線に対して、民主党は公社という組織形態こそ維持すると掲げたが、肥大化した郵貯と簡保を縮小することは明確に打ち出していた。
それなのに、連立を組んだ国民新党の亀井静香をボスに戴くと、大塚は瞬く間に「転向」した。ゆうちょ銀行の貯金残高が5年間で37兆円減ったことは、本来なら民主党のかつての主張通りに進み、歓迎すべきことなのに、彼は逆に残高の減少を問題視し、預け入れ限度額を2千万円に引き上げる拡大の方向に舵を切った。真逆の方向転換に対して、彼が十分な説明責任を果たしたとは言い難い。
甘えた言い訳うんざり
長妻も前原も大塚も、「政策通」という前評判は大嘘だった。民主党の政治家たちは「まだ政権をとって半年しかたっていない」などと甘えた言い訳をしてきたが、半年間もあってできないことを、彼らが今後達成できるとは思えない。
政権交代直前の昨年8月下旬、後に環境相に任じられる小沢鋭仁は「(政権交代の)最大のポイントは人だよ、人。諮問会議が機能したのは竹中のときだけだったでしょ」と言って、竹中を買った。民主党には、非難囂々の中でも突き進む竹中のような仕事師がいなかった。
彼ら民主党の政治家たちは有権者の期待を裏切った。昨年の政権交代は「裏切られた革命」として記憶されよう。問題なのは、衆院で圧倒的な過半数を握る彼らの党が、衆院議員の任期が満了する3年後の2013年まで政権を掌握し続ける可能性が高い点にある。(文中敬称略) ←引用終わり
編集部 大鹿靖明、佐藤 章
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