« 不思議政党「国民新党」のヤカマシ・カメと摩訶不思議政党「社民党」アンポンタン・ミズホが「そして誰もいなくなった」と吼えたとか?! | トップページ | 倒れちゃったM兄を、姐御が見舞ってくれた! その報告メール! »

2010/06/17

「安保闘争」50年か?!長い歳月か、短い歳月か? 激しく劇的な日々が連続したな

1960年6月16日「安保闘争」の激突から、ざっと18250日だろうか?

日本人は、相変わらず感傷的だな。
記念日が好きなんだ!

大きな歴史の転換点だった事は間違いない。
樺美智子の死は、岸信介を首相の座から確実に引きずり落とした。

政治権力の側が、市民を圧殺した事で岸信介は首相の座にしがみつく事はできなかったと言われている。
しかしながら、安保闘争の高揚を前に、岸は条約の国会批准成立(強行採決)以降、1ヶ月後の自然成立を見届け退陣を決意していた、とも述べられている。

すると、樺美智子の死はナンの意味というかポジションを与えられるのか?

50年前、日本人の多くは、「日米安全保障条約」に怒っていたのか?
官僚として「戦争を積極的に企案」する側に位置し、戦後は戦犯として「巣鴨」に拘留された国家主義者・岸信介の政治手法に怒っていたのか?
いや、「ヤッパリ岸は!」という、漠然とした根拠のない不安からなのか?
何が、あれだけのエネルギーを産み、いきなり爆発しいきなり収束したのか?
そして、その後、大半の市民は「日米安全保障条約」を受け入れ、その庇護の下に「平和で安穏とした小市民生活」を享受しているのか?

日本人は、まだ、論理的に整理できないままである。

だって、「普天間基地」の件を正面から突きつけられ、5月までは「百家争鳴」だったではないか?
それがどうだ?
鳩山由紀夫が退陣し、菅直人に代わると「何事もなかった」かのようじゃないか?
沖縄の基地負担は続き、極東とりわけ北東アジアの軍事的緊張は休まるどころか、拡大しているではないか?
その状況で、「安保闘争」から50年の節目を迎えたワケだ。
何も特別な日ではない!

1960年6月15日から18250日「日本の営み」が繰り返されたワケだ。
この間、何度も、「日米安全保障条約」を問い返す機会は多数回あった。
しかし、ほとんどの日本人は「正面から向き合わなかった」のである。
これは、左右の陣営とも「責任を放棄」したと言われても抗弁できないのではないか?

「朝日」は、日本の防衛政策や「日米安全保障条約」の可否を提議する事なく、1960年6月15日だけを象徴敵に捉え報じているが、実に「朝日」らしい感傷的な手法だと考える。

「コラコラコラム」の立場は、「自主防衛」+「日米安全保障条約」である。
「日米同盟」は、極東とりわけ「東アジア」の安全と安定に不可欠であり有効であるとの見解に基づいている。
最も分かりやすい点としては、日本が依って立つ「国際貿易」の観点から見ても当然の理解だろう。

自国の防衛は自国の力で行う事は自明の理である。

周辺地域の安定に果たす役割は、周辺地域国家に対する当然の貢献であり責務である。
従って、「日米同盟」を軸に大陸周辺国家が参加する「東アジア地域安全保障体制」へ発展させる事が求められると考えている。
その観点から「日米同盟」の基盤である「日米安全保障条約」を捉えるべきである。

その観点で、感傷的に6月15日を捉えても大きな意味はない。

引用開始→ 安保闘争50年、樺美智子さん命日に献花 50人参列
(asahi.com 2010年6月15日22時47分)

Tky201006150501asahi 樺美智子さんをしのび、国会前で黙祷する人たち=15日午後9時22分、東京都千代田区、安冨良弘撮影
1960年の日米安保闘争で、警官隊との衝突で亡くなった東大生の樺美智子さん(当時22)の命日にあたる15日、樺さんが倒れたとされる東京都千代田区の国会議事堂南通用門で、追悼の花がささげられた。

午後9時すぎ、雨の中を反戦平和を訴える市民団体「声なき声の会」の呼びかけで集まった約50人が参列した。赤やピンク、オレンジの花をたむけ、傘を閉じて黙祷(もくとう)。「1年後にまたここで会いましょう」と声を掛け合った。

献花前に東京都豊島区で開いた集会では、当時のデモ隊の映像を流し、同会50年の活動を振り返った。哲学者の鶴見俊輔さん(87)、作家の小宮山量平さん(94)らのメッセージも読み上げられた。

同会の柳下弘寿さん(74)は、安保闘争でデモ隊の1人として国会南通用門で、もみくちゃにされた恐怖を覚えている。「鳩山前首相が抑止力という漠然とした言葉を持ち出したように、日本の防衛とは一体何なのか、正面からの議論が深まらないまま50年が過ぎたと感じる」と話した。←引用終わり
朝日新聞社asahi.com

|

« 不思議政党「国民新党」のヤカマシ・カメと摩訶不思議政党「社民党」アンポンタン・ミズホが「そして誰もいなくなった」と吼えたとか?! | トップページ | 倒れちゃったM兄を、姐御が見舞ってくれた! その報告メール! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 不思議政党「国民新党」のヤカマシ・カメと摩訶不思議政党「社民党」アンポンタン・ミズホが「そして誰もいなくなった」と吼えたとか?! | トップページ | 倒れちゃったM兄を、姐御が見舞ってくれた! その報告メール! »