倒れちゃったM兄を、姐御が見舞ってくれた! その報告メール!
倒れて意識不明のM兄を心配し、入院先へ姐御が訪ねてくれたとの事。
M兄の状況を手短にまとめたメールが届けられました。
ありがたい事である! M兄は、別に出会いが良かった友人である。
思えば、2002年10月だった記憶がある。商業ミッションが訪日してきた。
そのミッションが、神戸で開催した実務セミナーに”とらえもん”がメイン講師として招かれ、日本人向けに下手なネイティブを加えながら講演しに行った時の出会いだった。
訪日者に混じり、日本語のイントネーションが日本語発話でネイティブ音声のM兄がいた。ニコニコ笑いながら・・・・・
突然、「ワタシは日本人ですよ!」と言い放ち、関係先から要請されて訪日ミッションに参加し受注をとるのだという。
まだ事情が飲み込めず「それじゃ、日本のどちらにお住まいですか?」と間抜けな質問をしたワケだ。
すると、「イヤぁ~、ワタシは日本には住んでいませんよ」ときた。
「じゃぁ、どこにお住まいなのですか?」と更に間抜けな質問を返してしまった。
「この人達と、一緒ですよ!」ときたから、
「じゃぁ、ホントに、一緒に、ミッションで帰日されたワケですか?」ということになった。
「そうですよ!日本で、少し息抜きをして、東京へ立ち寄ってから戻ります」という事情説明を受けた。
「それじゃ、次の訪問時に機会を作って、ぜひお目にかかりましょう」という話で締めた。
それ以降、年に幾度か、訪問時に時間を作って他愛ない雑談を交わす事で、細く長く友情を保ってきた。
詳細は、個人的な事情であるため掲出は控えたい。
いつの時か、”とらえもん” の友人達にも紹介したし、M兄が知りあった有力な人物を引き合わせてくれもした。
そのうち、ひょんな事から、帰国した政府高官と「共通の知り合い」が現れた事もあり、件の高官と再開し、歳月を乗り越え他愛ない東京在勤中の想い出やら雑談やらを忙しく繰り広げた。
また、東京の勤務を終え帰国したジャーナリストのT兄を紹介し、何か、どこか息の合う友情が自然に育まれたように思う。
国を代表するジャーナリストとして活躍する、そのT兄が、今回は見舞いに駆けつけてくれた上で、M兄の事情を姐御に教えてくれたワケで、姐御からのメールでM兄の事情を知る事ができたワケだ。
本当に感謝します!ホントに!
T兄、ありがとう!
姐御、ありがとう!
人の情を、心から、どれほど「ありがたい」と感じた事でしょうか。
日本国内で、M兄に関わりがあったと思われる理解ある少数の人物には、電話でM兄の事情を連絡しておいた。
このスレッドが、どなたかの目に触れ群馬のM兄のご家族に届きますようにと、ささやかな願いを込め謹んで掲出したいと考えます。
引用開始→ ”とらえもん” さま
(mail on 2010/06/16. 1002)昨日、思い切ってFホスピタルに行ってきました。Mさんは集中治療室で手厚い介護を受けていました。食べる・出す、すべて看護師さんの手によるものですが先週から話せるようになり意識もはっきりしていました。ここまでくればあとはリハビリなので普通の場合家族が面倒みるのですが彼の場合、そういう人がいないので・・と周囲も困っていました。
在留ビザは私と同じ3カ月更新の延長なので(最近はBKで更新)時間が限られるしい。
保険がきくとはいえ1日、900ドルのICUに一カ月以上というのは他の患者との関係でそう長くは居られないし・・いろいろ大変のようです。やっぱり日本の家族と断絶していることがネックでしょう。「なにかできることがあれば・・」に対して「何もしなくていい、もう2回目だよ(倒れた回数)」
「退去させられたらどうする?」「そんなことしないよ。オレはこの国に貢献してきたんだから・・」とゆっくり話していました。そんなことをいうくらいならまた復帰するかもしれませんね。少なくとも意識不明からは回復しました。ただ自分で食事も排せつもできないので今後のことが心配です。ほんとに他人事ではありません。以上、ご報告まで。
姐 ←引用終わり
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