« 竹原信一阿久根市長の傍若無人は、投票した側に責任がある!「愚者愚者珍民」ドモの選挙での無責任な投票行動は恐怖だ! | トップページ | 大相撲も、ナンでこんな事に?! 貴闘力に残念無念な気持ちやなぁ 悲しいねぇ~! »

2010/06/28

日本振興銀行いわゆる”木村銀行”は「ヤブの中のカネ貸し業務」が得意だった?!

高杉良氏が、日本振興銀行と木村剛の挫折について興味深い所見を述べている。

まず、日本振興銀行いわゆる”木村銀行”が誕生できたのは、狂権ゴミズミ・ドンイチロォが猛威を振るったお陰である。
狂権ゴミズミ・ドンイチロォの狂気を後ろから、ドンイチロォの尻を掻き唆し支えたのが、何を隠そうタケチン・ヘェクセェゾォだった。

既に、ゴミズミ・ドンイチロォもタケチン・ヘェクセェゾォも、表の「永田町クラブ」から追い払われ表面上は静かになったが、陰では相も変わらず「オオカミが来るぞぉ~!」と厚顔無恥にも物知り顔で吹聴し、モノ知らぬ「愚者愚者珍民」相手にカネやらゼニやらを巻き上げ続けているともウワサされている。

「永田町クラブ」は、この呆けたゴミヤロウドモを消し去ったものの、その後遺症が大きく未だに立ち直れないまま、やれ「ミンチトォ」が先に足を踏んだの、「ジブントォ」が唾をかけただの、「ダミントォ」がオムライスを零しただの、「コクチントォ」はシズカにせずヤカマシイだけだのと、実に下らない言い争いを繰り広げ藻掻き苦しんでいる。

「市井の志民」は、この醜い争いを外から眺め、「あぁ~ア、日本も遂にこうなってしまったのか?!」と嘆き悲しむ日々である。

「永田町クラブ」は、「ミンチトォ」が総崩れ寸前で踏み止まり、元は「ゼンキョォトォ~」仲間が、ネコゼ・ズルカンを押し立て、センゴク・イチバン、チバ・ケムコ、コブタ・エダノを飼い慣らし、小鳩を追い払うクーデターを画策していたガラガラ・ヘビコシらの寝首を掻く逆クーデターを仕掛け、アッと言う間もなく「永田町クラブ」の全権を掌握してしまった。
さすがは、見せ場でイシやらビンやらを投げつけ逃げるのだけは速いモノドモの仕業だナ。

その結果、ネコゼ・ズルカンは、ご褒美のカナダはトロントへ妻毒(おシンコ)に率いられ晩婚旅行中である。

「永田町クラブ」の跡目争いが熾烈を極めていた頃というか間、日本振興銀行いわゆる”木村銀行”は、いよいよ「マチ金」も顔負けの「まちばのカネ貸し」業として、その世界では「ツッパリ」通していたそうな。

某メトロポリタンク知事が提唱した「バケツ・オブ・メトロポリタンク」もほとんど「青息吐息で虫の息」っていうじゃない。
仮にも「銀行」っていうからには、素人が手慰み発想がてらに強固な理論構築をしてみたところで、現実の圧倒的な進行を前にすると「為す術がない」っていうのが実際だろう。

事業者には「資金」こそヒトの「血液」と同じである。

ヒトの躰が、高度にシステム化された役割分担が完全に集積され稼働しているのと同様に、様々な市場を背景に役割やポジションに応じた金融の揺るぎない制度が機能している中へ割り込もうというワケだから、それ相応の実力(知力と体力)が必要な事は当たり前だワ。

「赤門大学」を出て日本橋本町の元・金座に職と席を得たからって、「金融の神様」ってワケじゃぁねぇんだよな。
日々、市場で切った張ったを、テメーの度胸と才覚で「命も財産」も賭けて切り抜けてるヤロウの方が実際の才覚は備えてるってモンだ。
「赤門大学」出たからって、実際の度胸と才覚がなきゃぁ、「金融」は難しいんだよな。

狂権ゴミズミ・ドンイチロォとタケチン・ヘェクセェゾォが、猛威を振るっていた頃、ブログの世界じゃ、「木村剛」の名は轟いていたナ。
ハナタレ坊主が、聞きかじりの「先端的金融論」をブチ上げ、何でも飛びつき喰らい付く「愚者愚者珍民」ドモの支持を集め人気絶頂だったじゃぁねぇか?!

その頃、いまは「落ち目の三度笠」へ追いやられちまった、一方の「テカガミ・シェンシェ~」は狂権ゴミズミ・ドンイチロォの命を受けタケチン・ヘェクセェゾォが放った、十手持ちの手で「言いがかり」をつけられお縄になっちゃったヨな。

でも「テカガミ・シェンシェ~」は、最近ニフティーのココログで語る「シンジツ」がダントツ、ブッチギリの人気一番だとか。
相変わらずツルツル光るキモイ・ヅラに磨きをかけて頑張ってるらしいナ。

そんなこんなの状況で、日本振興銀行いわゆる”木村銀行”が、十手持ちに踏み込まれたワケだ。

まぁ、日本振興銀行いわゆる”木村銀行”は、米国金融界の手先=タケチン・ヘェクセェゾォが、ゴミズミ・ドンイチロォを唆し、狂気の「構造改革」を表向き成し遂げるために「金融改革=金融のブッ潰し」から始めたワケだが、その本質を目眩ませする狙いから、メガバンクを悪者=巨悪に仕立て上げる一方で、(一応)志の高い起業家への資金供給は「日本振興銀行(いわゆる”木村銀行”)」に代表される金融秩序を新たに創出した、と大見得を切るために、一過性でも役割を与えられた謂わば「アダハナ」に過ぎなかったと、「コラコラコラム」は考えている。

十手持ちに踏み込まれた事を機に、高杉良氏が「日本振興銀行いわゆる”木村銀行”」についての所見を「週刊朝日」に述べたって事だ。

イロイロあるよね、そう考えりゃぁ、「朝日」って、「築地をどり」しかできねぇくせに、「正義」を振りかざし、いつも上手い立ち回りをするなぁ~?!

引用開始→ 竹中平蔵と木村剛の大罪
日本振興銀行事件 作家・高杉良が斬る
(週刊朝日 2010年07月02日号配信掲載) 2010年6月24日(木)配信

小泉政権下に鳴り物入りで新規参入した日本振興銀行に、捜査のメスが入った。竹中平蔵元金融担当相の盟友、木村剛氏が築いた“木村銀行”はなぜ挫折したのか。「金融腐蝕列島」シリーズで金融機関の闇を描く作家の高杉良氏が、小泉-竹中路線のあだ花である日本振興銀行と「小泉構造改革」を断罪した。

日本振興銀行が開業する前、私は月刊誌「現代」(2003年11月号)誌上で、

〈新銀行が設立されたとして、その末路は不良債権を積み上げて破綻するか、商工ローンと同質化していくしかないだろう〉

と予言しました。地道に中小企業を支える銀行としてスタートしたはずなのになぜ変質したのかと新聞は書きますが、私にいわせればハナからおかしかったのだから、変質したわけではありませんよ。

日本振興銀行の開業は04年4月。中小企業への無担保融資を看板に掲げたが、融資は伸びず、06年度まで経常利益は赤字を続けた。業績が上向いたのは、サブプライム問題をきっかけに資金繰りに困った商工ローンの債権を安く買い取れるようになった07年後半から。しかし、サラ金まがいの商法に頼ったことで、法令違反が次々に発覚。さる6月11日、金融庁の検査を妨害したとして、銀行法違反(検査忌避)の疑いで警視庁の家宅捜索を受けるにいたった。

やる気はあるのに融資を受けられない中小企業を助けようという設立趣旨がウソだったと断言するつもりはありません。しかし、それは絵に描いた餅だったことは、当初からわかっていたはずです。

銀行や信用金庫の中小企業向け貸出金利の相場が2~5%であるところ、日本振興銀行は金利の「空白地帯」を開拓するとして、5~15%の金利を設定しました。しかし、もともと薄利の中小企業が、5~15%の金利を支払って、事業を継続できるはずがありません。また、高金利を支払わなければたちいかないような中小企業に既存の銀行が貸し出すのは困難です。金融庁の厳格な検査で「要管理」以下とされる蓋然性が高いからです。この厳格な査定をルール化したのが木村剛さんです。唯一貸し出せるのは、ルールを適用されない“木村銀行”だけでしょう。金融庁と密約ありと疑われても仕方ない。

日本振興銀行の経営を主導してきたのは、小泉政権下で竹中平蔵金融担当相のブレーンとして金融庁顧問も務めた木村剛氏だ。木村氏は04年9月に筆頭株主、翌年1月に社長就任。同年6月に会長に転じたが、行政処分を受ける直前の今年5月、会長を退任した。

木村さんも竹中さんもこうなることはわかっていたと思いますよ。途中ではたと気がつくなんてありえない。それにもかかわらず、日本振興銀行の開業は、予備免許の申請からわずか8カ月後でした。異常ともいえる速さです。なぜこんなことが可能になったのか。

そこで思い出していただきたいのが金融庁が02年10月に発表した「金融再生プログラム」、いわゆる“竹中プラン”です。そのなかで、不良債権処理を進めるにあたって中小企業の金融環境が悪化しないようセーフティーネットを講じなければいけないと、

〈中小企業の資金ニーズに応えられるだけの経営能力と行動力を具備した新しい貸し手の参入については、銀行免許認可の迅速化を積極的に検討する〉

という一文が盛り込まれました。

この竹中プランを作ったプロジェクトチームの主要メンバーこそが金融コンサルタントの木村氏です。その木村氏が東京青年会議所の例会に呼ばれて「いまなら銀行をすぐに作れる」と発言し、それを消費者金融の資金元である卸金融を手がけていた落合伸治氏が聞いて資金を用意したことから、動き出した計画であることはご承知のとおり。

その後、社長につくはずの落合氏をクビにして、木村氏が銀行を乗っ取る形になった経緯を考えれば、竹中プランをつくった当初から、日本振興銀行設立の青写真を描いていたのではないかと勘ぐらざるをえません。しかも木村氏は、金融庁顧問の職にあったときに銀行免許を取得するコンサルティング料として落合氏から1億円を受け取ったことも明るみに出た。とんでもない行政の私物化ですよ。

作家の江上剛さんが社外取締役になっていますが、こんな銀行の客寄せパンダとして利用されっぱなしで、痛恨の極みです。

日本振興銀行と木村氏の不透明な関係を巡っては、05年に木村氏の妻が代表取締役となっている会社に約1億7千万円を融資したこと、その際、融資が可能になるように内規を変更したうえ、他の融資と比べて極めて低い3%の金利で貸し出していたことも判明した。

しかし、これだけ問題が噴出しても、振興銀行には預金が第二地銀並みの6千億円近くあるのだから、潰せませんよ。潰せない規模にした木村氏はしたたかです。だからこそ最初に簡単に認可を与えた罪は重いのです。つまり竹中プランを進めた竹中さんの罪は深く重い。あえてそのことを強調しておきたいのは、竹中さんが今でも自分のおやりになったことが正しかったとあちこちで主張されているからです。

確かにサブプライム問題が火を噴く07年上期まで日本は景気拡大を続けましたが、それはあくまでも円安を背景にした輸出企業が牽引したもので、恩恵は大企業に集中しました。竹中プランは景気回復に何ら寄与しなかったばかりか、デフレ不況下に強引に不良債権処理を進め、かつ緊縮財政を断行したばかりに国内需要を根こそぎ破壊してしまい、地方の商店街をシャッター通りに変えてしまったことを忘れてはいけません。

また、不良債権処理を進めるにあたり、「厳格」という名を隠れ蓑にした、金融庁の罪深い資産査定が行われましたが、その査定がどれだけ不適切であったのか、04年以降のメガバンクの決算を見れば、火を見るより明らかでしょう。

竹中氏率いる金融庁に追いつめられ、東京三菱銀行に実質吸収され「消失」したUFJ銀行は巨額の貸倒引当金戻り益を計上しましたね。そのとき一部の新聞は「三菱UFJフィナンシャル・グループの収益がトヨタを超えた」とバカなことを書きましたが、正常債権を不良債権に落とすことを目的とするかのような資産査定によって必要のない引当金を積まされたことが明らかになったわけです。銀行の過剰な不良債権の処理で、ハゲタカ外資が巨利を貪った一方、数多くの中小企業が資金繰りに行き詰まって倒産し、失業者があふれたのです。投入するまでもなかった公的資金の原資は、私たちの血税でした。恣意的な裁量行政によって弱者を切り捨て、国を破壊した竹中氏の犯した罪は途方もなく大きいのです。その片棒を担いだのが木村氏ですよ。そして、この二人のやりたい放題を許した小泉政権は史上最悪、最低の内閣だったということです。 構成 本誌・中村 裕 ←引用終わり
Copyright (C) 2010 朝日新聞出版
Copyright(c) NIFTY 2010 All Rights Reserved.

|

« 竹原信一阿久根市長の傍若無人は、投票した側に責任がある!「愚者愚者珍民」ドモの選挙での無責任な投票行動は恐怖だ! | トップページ | 大相撲も、ナンでこんな事に?! 貴闘力に残念無念な気持ちやなぁ 悲しいねぇ~! »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 竹原信一阿久根市長の傍若無人は、投票した側に責任がある!「愚者愚者珍民」ドモの選挙での無責任な投票行動は恐怖だ! | トップページ | 大相撲も、ナンでこんな事に?! 貴闘力に残念無念な気持ちやなぁ 悲しいねぇ~! »