10年目を迎えた「2000円札」を、もっと幅広く流通させよう!
2千円札は「にせぇ札」ではない!
国が発行を決定し、日銀が供給する「日本国の紙幣」である。
故・小渕恵三(元)首相が、渾身の願いを込め、2000年のG7サミットを沖縄で開催する事に踏み切った際、それを記念する形で発行したが「記念紙幣」ではなく「通常紙幣」である。
故・小渕恵三(元)首相は慈悲深い方だった。
自民党の首相であったが、「弱い立場」への理解、「困難な立場」への理解に心を砕かれていた。
それは「同情」ではなく「自立への支援」であったと捉えている。
「沖縄」への思いや「ベトナム」への思いは、歴代の首相の中では群を抜いていた。
様々な思いがあり「2000年のサミット」を沖縄で開催すると英断し、手厚く抜かりのない準備に取り組まれた。
小澤一郎と首相官邸で政権運営についての会談中、無理な要求に対し、一瞬言葉に詰まった(脳の血流に重大な損傷を受け)まま死に追いやられた。
その結果、自らの願いを見届けることは叶わなかったのである。
会談中の出来事である。
小澤一郎が無理難題を突きつけ、誠実な故・小渕恵三(元)首相は応えようとし、必死に言葉を探す過程で脳の血流に障害が生じ不帰の人となったのである。
つまり、故・小渕恵三(元)首相は、首相官邸で小澤一郎に言葉で殺られたと言えなくもない。
「平和」を希求した、故・小渕恵三(元)首相は粗野な野望の固まり、政治暴力的とそれによるゼニ儲けが唯一の趣味である小澤一郎に殺られたと理解している。
爾来、小澤一郎は天敵である!
「平和」を象徴する紙幣「2000円札」。
「平和」を希求する紙幣「2000円札」の流通量が伸び全国に行き渡ることを願ってやまない。
引用開始→ 「平和の紙幣」2千円札10周年 復権願う沖縄の思い
(asahi.com 2010年7月18日9時9分)2千円札が19日に発行10周年を迎える。一時は流通量が5千円札を超えた時期もあったが、いまや1億枚余でピーク時の5分の1。ゆかりの地、沖縄では「平和希求紙幣」の復権を願い、さまざまな取り組みが続いている。
2千円札は、九州・沖縄サミットと西暦2000年を記念して同年7月、42年ぶりの新額面紙幣として発行された。沖縄の復帰運動にもかかわった故・小渕恵三元首相の肝いりで、表には那覇市の首里城の入り口にある「守礼門」がデザインされている。
日本銀行によると、流通量は04年8月がピークで5億1300万枚。4種の紙幣のうちの流通割合は4・7%と、5千円札を0・5ポイント上回った。しかし、それ以降は減少。今年6月には1億1100万枚、流通割合は1%にまで落ち込んだ。
発行当初は2千円札を使える現金自動出入機(ATM)設置の遅れなどが指摘されていたが、現在はおおむね解消されたという。日銀担当者は「映画チケットやタクシー代など便利に思える場面はあるのに、使い勝手が悪い印象が広がってしまった」と話す。
一方、沖縄県内での流通量はほぼ右肩上がり。今年6月の344万8千枚は9年前の2倍。毎年12月に増える傾向があり、お年玉としても定着している、とみられている。
払い出し時に「2千円札優先」を選べるATMが地元銀行に設置されるなど、利用を呼びかける地道な取り組みが功を奏しているようだ。05年4月には経済界を中心に「二千円札流通促進委員会」が発足。「二千円札大使」制度では「自ら積極的に利用する」「周囲に利用を呼びかける」などを任務とした認定証を発行し、大使は13万5千人にのぼる。10周年記念のイベントも活発で「二千円札満腹セット」を始めたホテルもある。
普及運動の中心となってきた元沖縄海邦銀行頭取の湖城英知さん(76)は「財布にはいつも20枚ほどあり、祝儀はすべて2千円札」。2千円札への思いは筋金入りだ。
16世紀に創建された守礼門は太平洋戦争末期の沖縄戦で焼失。戦後まもなく再建された。銃火の中を逃げ惑い、祖父を失った湖城さんの目には「平和の象徴」と映った。だからこそ、「平和希求紙幣」の2千円札を通じて、沖縄を見つめ直す動きが広まってほしい、と思う。
「経済大国の紙幣の一つに平和を願う心が詰まっている。これを生かさない手はない」(木村司)←引用終わり
(朝日新聞社asahi.com)
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コメント
はじめまして。当方2000円札の普及に努力している者です。よくぞ言っていただきました。
お礼にリツイートとリンクをさせていただきます。
よろしくお願いします。
投稿: 2000円マスター | 2010/07/22 06:01