祇園祭あれこれ ボランティア学生の輝く目に想う事
今年は祇園祭についてのスレッドを立てなかった。
その理由を問うメールが何本かあった。少しだけ、おかれた事情を説明しておきたい。
「コンコン チキチン コンチキチン」は「祇園祭」を音で彩る「心音」でもある。
宵々宮、宵宮、巡行といずれもベストな日程だったが、プロジェクト推進の重要会議やら、研究会やら、関係先で生じた難しい事態やら、次々に起きる様々な案件へ素早く対処する事が何よりも優先された。
今年は、招かれた「鉾建神事」にも日程上の都合でお邪魔できなかった。
そのため旧知の皆さんと楽しい歓談を共にできなかった。
そんなこんなの間に「宵々々宮、宵々宮、宵宮、巡行」と一気に進んでしまい、やっとの思いで「巡行」の朝、日頃、お世話になっている「鉾町」の皆様をお訪ねする事ができた。
とおり一編、型どおりの「ご挨拶」だけになってしまったのが心残りである。
「巡行」は晴れ渡る暑い中、「長刀鉾」を先頭に始まった。
友人知人は、四条通で巡行の順を待つ。
インターンシップっていうか、社会体験学習っていうか、ボランティアとして「巡行」を支える多くの学生諸君が緊張の表情で待機している。
「そなぃに緊張せんかて、エエ。そなぃ緊張したら、アカンでぇ」と声をかけるが、
「ハイ」と応えるものの、緊張の表情は一層「凜」としている。
京都(出身)の学生は、卒業後も「祇園祭」は身近な存在である。
他の地域から京都の大学へ進学してきた学生には、基本的に「4年間限定の体験」である。貴重な経験だし「想い出」として蓄積される。
その経験を大切にしようと、「祇園祭」の一つひとつの時間を大切にしている事が伝わってきたように思う。
京都の大学へ進学してきた学生は、ある意味で幸せであるといえる。
「祇園祭」は、24日に「花笠巡行」と、四条御旅所へ鎮座している神輿(東御座・中御座・西御座)の「還幸祭」が残されている。
余計な事だが「四条御旅所」は、「祇園祭」が終わると「四条センター」の名で「京都のお土産処」に変わる。
その昔、「四条御旅所」を前に「巡行」は寺町通りを北上した。
「寺町通り」がアーケードで覆われた事で、「巡行」ができなくなり、東の「河原町通り」が新しい「巡行」の道筋となった。
「祇園祭」も京都の町の変遷に合わせて変化しているのである。
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