御巣鷹の尾根に消えたJL123(JA8119)と犠牲になられた方を追慕する!
「コラコラコラム」の主宰者・管理人です。
少し症状が安定していますので、御巣鷹山への日航機墜落について、図らずも犠牲になられた520名の方々を追慕させて頂きたく存じます。
あの日、25年前も晴れていた記憶があります。
当日も、いつもと同様に夕方の便で羽田から伊丹へ移動しました。
帰省客も大勢で、羽田のターミナル(旧ビルの国際線ターミナルを改造)は大混雑でした。
キャンセル待ちの方も多くおられたように記憶しています。
いつもながら、キャンセル待ちの方の大部分は、ビジネスマンの常時利用者が殆どです。
当然、日本航空のキャンセル待ち番号を確保する傍らで、全日空のキャンセル待ち番号も確保するというのが慣わしでもありました。
当時は、羽田へ足を運んだ以上、19:00発の全日空NH39便はもとより19:35発の日本航空JL125便(最終便)まで気合いを入れて粘るのが半ば常態化していました。
また、これがほぼ叶えられるから不思議でした。
搭乗できるとなれば、どちらかの会社の航空券は、発券会社でエンドース(搭乗変更の書き換え承認)スタンプを押して貰い、搭乗が確保できた側の便に滑り込むワケです。
週末(木・金)は、羽田も伊丹もこの光景が続いておりました。
おそらく、あの日のJL123便にもこの競争を勝ち抜き搭乗されたビジネス戦士があったはずです。
主宰者・管理人は、幸いに、この日は当初から便の予約を確保していた事もありもう少し早い便で伊丹へ移動したワケです。
事故機JA8119は墜落事故まで、JA8124と共に東京と大阪の移動、あるいは札幌への移動で、よく搭乗した機材でした。自らの問題でもあったワケです。
当時は、週末のNH35、NH37、NH39、JL123、JL125には顔見知りが多く搭乗していました。
週明けの月曜日なら、JL102、NH16が多くの顔見知りと搭乗する便でした。
その中に、現在の業務でも関係性の深い諸先輩と同乗する機会が多かったワケで、従って、事故を知ったとき、親しくさせて頂いていた、いつもの顔が浮かびました。
当日のテレビ報道、翌日の新聞報道で、おぼろげながら知人の何人かが巻き込まれ犠牲になられた事を確認しました。
残されたご遺族やご親族へ、どのような言葉を申し上げるべきかと思い致しました。
やがて、事故は想像をはるかに超える圧倒的な現実で迫ってきました。
翌日も暑い夏の日でした。
知人のご遺族は、用意されたバスで御巣鷹の尾根へ向かわれたと記憶しています。
確か、伊丹へ集合した後に、御巣鷹の尾根へと向かわれたハズです。
悲しみの中で、胸が張り裂けんばかりの辛さを秘めての事だったと記憶しています。
昨夕(8/12)、尊い犠牲となられた知人を含む520名の方々のご冥福を祈り、改めて「合掌」させて頂きました。
| 固定リンク


コメント