統一地方選挙は幕開け前の終盤戦!様々な候補者がいるものだ!
2月10日と11日は、PCシステムのメンテナンスを行いました。
そのため、スレッドの更新を差し控えました。
いつもアクセス頂いている、たくさんの方に、ご心配をおかけしたようで、問い合わせのメールや心配されたメールを頂戴しました。
「ご心配をお掛けし、申しわけございません。ありがとうございます」。
東アジアの「正月(2月3日が元日)休み」を利用し、一気にPCシステムをアップグレードする事を含め、オフショアで展開中の業務を滞りなく進める上で、「正月休み明け」と「日本の連休」を組み合わせ切り替え実施したため、個々のPCは生きていても、新システムが遅滞なくバグを起こさず無事に稼働する事を確認する必要がありますので、仔細にウォッチするために大幅な時間を費やす事になりました。
間もなく、ベトナムへ長期派遣した”恵比須矢笑太”が帰国します。
何だか分かりませんが、メールでは「エジプト」へ行ってみたいとの事でした。
「いいかも知れませんね」。
2月に入り、「統一地方選挙」への立候補を予定する、様々な「御仁」が直接間接に接触してこられるようになりました。
地方行政(基礎自治体)とはいえ、シッカリした「政策」を考え組み立てた新人立候補予定者は、思わず積極的に「応援」してやりたくなります。
接触して来られたのは、①現役が1名、②新人が3名、です。
中間自治体(都府県)の立候補予定者は、①現役が2名、②前職(落選中)が1名、③新人が2名、です。
中間自治体の候補予定者は、シッカリした政策を保持する者が3名、政策のような事を脈絡もなく漠然と語る者が1名でした。
その内の一人(候補予定者)の周辺にいる人物から、支援要請を受けました。
何度も顔を合わせている知り合いです。しかしながら、当の御仁から直接の話ではありませんでした。(まぁ、直接話をするには、ハードルが高いのかも知れませんが)
面談してみましたが、当の御仁は「確たる政策を持ちません」。残念な事、残念の一語に尽きます。
面談を仲介してこられた方との関係を考慮し、要請を聞き入れ、当の御仁との面談後に「政策」を、「まとめ」てみました。
地域社会が求めるテーマを軸に、当の御仁の漠然とした主張に沿い、少し掘り下げる方法で編成し渡しました。
しかしながら、一定の時間が経過した後にも、当の御仁を始め、周辺に位置される仲介者からの反応はありません。
まず、身近に応援を依頼し、(周辺者が無理矢理だったかも知れませんが)支援作業を依頼し、その結果、一定の「まとめ」を受け取った後に、提供者に対し何の反応も示さないような鈍感な御仁は政治を語る資格がありません。
ヒトとしての思考や行動ができない御仁への支援や応援は、今後お断り申し上げます。
当選されると「地域社会」のボス支配を顕すのではないかと考えます。
落選されると「地域社会」の健全性を顕すといえるのではないかとも思います。
現況では、立候補者の技量や総合的な能力からして、「当選」の確立が高いと下馬評のようですが。
定数に対し、まともな候補者がいないようですナ。
(立候補しても「仕方がない」と考えさせる風土があるワケで)
当の御仁は、たくさんの団体を回り、団体による後援会を組織し、それを軸に有力者を後援会に集める働きかけは「選挙の地上戦」では重要な事であります。
しかしながら、それは「地域社会のボス」の下へ膝を屈し、「地域への利益誘導(談合政治)」を醸成する行為に過ぎず、それが政治だと称するのは笑止千万と言わねばなりません。
それこそが、今日の破滅的な「行財政赤字」を産み出した現況ではないですか。
こんな「地域(ボスの)利権に左右される」走り政治屋の立候補を許す政治風景は、およそ21世紀の政治が目標にすべき「民主主義」とは、最も懸け離れた「地方ボス」による「専横政治・横領政治・背任政治」として糾弾されなければなりません。
「大都市圏」と「中途半端なローカル市域」では、政治の支配構造は似通っても、市民の政治意識が異なりますから、「大都市圏」では政治のスタイルを変える事ができますが、「ローカル市域」では「地方(ボス)利権」の擁護が第一の政治スタイルを変える事は至難の業と言わねばなりません。
現在の政権党も、前の政権党も、現実の政治に対する「反省がない」。
自分達の「政治的無能」に対する「反省がない」。
本郷赤門大学を出ても、そこかしこに転がる学校を出ても、「政治の資質」を持てばよいが、生業として「政治」を語られたのでは、「候補者は自らの失業対策(議員にしてくれ)を訴えている」のであり、投票させられる市民は「暗黒」でしかない。
「政策」を持たない者は、基礎自治体も、中間自治体も、もちろん国政の場にも、議員候補として立候補するな!
バッキャロォー!ヅラを洗って、出直して来い!
その意味で、「チュニジア」の市民は偉大であり、「エジプト」の市民はさらに偉大であったと考えます。
翻って、日本の国民は、「たいへん優しい」「忍従の民」であると思い致します。
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