市民運動家上がり、労組のダラ幹上がり、口先政治家、自民党から刎ね飛ばされた利権政治屋、などが蝟集するだけで「風」が吹いたため議員になったような手合いには、真面目に政策を研究しようなんて気構えもないワケで、政策利権分取りだけが目当てだったとしか言いようがナイ。
そんなヤカラが大挙して当選し、何よりも国家観すら欠く民主党が政権の座に就いた。
その準備を怠ったまま、政権を奪取し、これまで営々と積み上げてきた「政策制度」をひっくり返し、「官僚を悪者」に仕立て上げ「全ての権力を官邸に」と政策立案と政策決定および政策執行を採り上げ放り出した。
引用開始→ 【官邸機能せず】(上)
「開かずの扉」のその奥は…
(産経MSN2011.4.10 00:29)
首相官邸に「開かずの扉」がある。5階の首相・菅直人の執務室。3月11日の東日本大震災発生後しばらくは早朝から深夜まで怒号が響いていたが、震災から1カ月を迎える最近はトンと静かになった。中の様子はどうなっているのか。
官僚の足遠のく
「やっと精神的な安定期に入った」「気力がうせているのではないか」-。そんな臆測が乱れ飛ぶ。各国外交官も政府関係者に「首相は本当に大丈夫なのか」と真顔で問い合わせてくるという。
なぜ扉が開かないのか。理由は一つ。よほどの緊急時でない限り、誰もノックしようとしないからだ。官僚であろうが、政務三役であろうが、誰かれかまわず怒鳴り散らす。ある官僚は東京電力福島第1原子力発電所の事故の最新状況の報告に入ったところ、菅から頭ごなしにこう言われた。
「そんな話は聞いていないぞ!」
日本の官僚は「首相がすでに知っている話を報告したら恥だ」と教育されてきた。マスコミに政策をスクープされることを嫌う最大の理由はここにある。ところが菅には通用しない。
官僚の訪問は絶えた。4月に入り、官僚が首相執務室を訪ねたのは7日まででわずか8組。ある官僚は吐き捨てるように言った。
「民主党政権であろうと大連立であろうと何でもいい。とにかく首相だけは代わってほしい。もう官邸を見るのも嫌だ…」
さすがの菅もまずいと思ったらしい。3月26日、前国土交通相・馬淵澄夫を首相補佐官に起用したあおりで首相補佐官を外された衆院議員、寺田学の机を首相秘書官室に置かせ、「開かずの扉」の“開閉係”を命じた。34歳の寺田は64歳の菅と親子ほど年が離れているせいか、腹も立たない。腰が軽く頭の回転が早いところも気に入っているようで妻・伸子と並ぶ「精神安定剤」となっている。
もう1人、頻繁に首相と会っている男がいる。内閣情報官・植松信一。官邸の裏通路を使い首相執務室に出入りするので新聞などの「首相動静」に載ることはないが、週に2~3回は報告に入っているという。
植松の報告で菅がもっとも神経をとがらせているのは政界の「菅降ろし」の動き。次に気になるのは内外メディアが自らをどう報じているかだという。
ある官僚は執務室に山積された新聞や雑誌の切り抜きを見て愕(がく)然(ぜん)とした。記者団のぶら下がり取材に応じないどころか、災害対策基本法に基づく中央防災会議さえ開こうとせず、執務室に籠もって一人で新聞や雑誌を読みふけっていたとは…。そこに未曽有の国難にどう立ち向かおうかという発想はない。
「現場見てないだろ」
「どんなことがあっても原発の異常を食い止めるんだ。みんな覚悟はできているだろうな!」
3月11日午後4時25分すぎ。東電福島第1原発の異常を伝え聞いた菅は、首相官邸地階の危機管理センターから執務室に移ると、官房長官・枝野幸男ら官邸スタッフを前にこう命じた。鬼のような形相に一人はこう感じた。「死者が出ることを覚悟しているな…」
東工大応用物理学科卒で「ものすごく原子力に強い」と自負する菅はさっそく執務室にホワイトボードを持ち込み、原子炉の格納容器への海水注入などを次々に指示。午後10時に経済産業省原子力安全・保安院から炉心溶融の可能性を指摘されると菅は12日午前1時半に炉内の蒸気を排出するベントを急ぐよう指示した。
ところが、東電の反応は鈍かった。しびれを切らした菅は午前6時14分、陸上自衛隊のヘリに乗り込み第1原発の視察を強行。「こっちは人命を考えてやっているんだ。早め早めにやらなきゃダメだ」と東電副社長・武藤栄に詰め寄った。
「東電の見通しは甘い。どうなってるんだ!」
菅の意気込みはますます空回りし、秘書官らに当たり散らした。保安院幹部らの説明にも「お前たちは現場を見てないだろ!」。面識もない官僚に突然電話で指示を出し「何かあったらお前らのせいだぞ」と責任をなすりつけた。
そして東電が第1原発からの撤退を検討していることを聞きつけると15日午前4時15分、東電社長の清水正孝を官邸に呼びつけた。
菅「清水さんだったらどうしますか?」
清水「残ります…」
菅は言質を取ったとばかりに5時35分に東京・内幸町の東電本社に乗り込み、「撤退などありえない。撤退したら東電は百パーセント潰れる」と恫(どう)喝(かつ)した。
感情まかせの行動にしか見えないが、菅は「原発問題は官邸主導でやれる」と確信したようだ。政府と東電の統合連絡本部を設け、東電本店に経産相・海江田万里と首相補佐官・細野豪志を常駐させた。主要官庁の閣僚不在により政府機能はますます失われた。
説明に逆ギレ
「助けてくれないか!」
3月16日夜、元防衛政務官、長島昭久の携帯電話に細野の悲痛な声が響いた。
長島「何を?」
細野「『何を』なんて次元じゃないんですよ…」
菅は自衛隊にヘリからの放水を指示したが、自衛隊は放射線量を気にしてなかなか応じない。地上からの放水のオペレーションも自衛隊、警察、消防の調整がつかないという。
その間も菅からは「早く放水させろ」と矢のような催促が続き、細野はすっかり参っていた。
原子力災害対策特別措置法を適用すれば、首相はいろいろな指示が出せる-。これを説明すべく2人は17日に菅と面会した。
「指示はとっくに出した。なぜ進まないんだ!」
菅は逆ギレした。ところが菅の「指示」とは口頭で個別の官僚に命じただけ。これでは官僚組織は動かない。長島らは慌てて指揮系統を自衛隊に一元化させる関係閣僚への「指示書」を作成させた。これがその後の放水作業につながった。
それでも菅は納得しなかった。18日に官邸を訪ねた元連合会長で内閣特別顧問・笹森清にこんな不満を漏らしている。
「現場の意思疎通がうまくいっていないんだ…」
「セカンドオピニオン」
菅の官僚機構と東電への不信は深まるばかり。東工大教授で原子炉工学研究所長の有富正憲らを次々と内閣官房参与として官邸に迎えたことは証左だといえる。
その数はすでに6人。「セカンドオピニオン」を背後に付け、菅はますます高飛車になった。東京電力や原子力安全・保安院などが自らの指示に抵抗すると「俺の知ってる東工大の先生と議論してからこい」と言い放った。
ところが、3月末になると菅はすっかり淡泊になった。細野が日課となった東電福島第1原発の状況を報告しても「そうかあ…」「それでいい」-。どうやら事態の長期化が避けられないことを悟り、気合を持続できなくなったようだ。
菅は4月1日の記者会見で「専門家の力を総結集しているが、まだ十分安定化したというところまでは立ち至っておりません」と長期化をあっさり認めた。
淡泊になったのは理由がある。東日本大震災の発生後、菅の頭は原発でいっぱいだったが、ようやくガソリンや物資供給など被災者支援が後手に回っていたことに気づいたようだ。
政務三役も無言
実は首相官邸の指示がなくても各省庁は阪神・淡路大震災を先例にさまざまな被災者支援や復旧策をひそかに準備していた。ところが政務三役の「政治主導」が障害となった。
ある局長級官僚は「官邸も動かないが、政務三役も何も言ってこない」といらだちを隠さない。民主党政権になり政務三役に無断で仕事をやってはいけないという「不文律」ができた。「勝手なことをやりやがって」と叱責されるのを覚悟の上で官僚機構は黙々と対策を練ったが、実行のめどは立たない。政治不在がいかに恐ろしいか。官僚らは思い知った。
自衛隊に多大な負担
自衛隊も官邸の機能不全の被害者だといえる。
「遺体の搬送や埋葬まで自衛隊が背負わされているんだぞ!」
3月23日、防衛相・北沢俊美は厚生労働省に怒鳴り込んだ。自衛隊の本来任務は行方不明者の捜索だが、遺体を発見すれば市町村に渡す。ところが市町村は被災で動けず葬儀業者も見つからない。やむなく遺体安置所から埋葬地までの遺体搬送や埋葬までも自衛隊が請け負った。救援物資輸送やがれき撤去などの任務にも影響が及んでいた。
北沢は3月18日に枝野に調整を求めたが、官邸の最終的な返答は「関係省庁でよく協議してほしい」。そこで北沢は埋葬を所管する厚労省との直談判を試みたのだ。
厚労相・細川律夫も「確かに自衛隊ばかりにお願いするわけにはいかないな」と応じ「官邸抜き」の調整が始まった。結局、事務レベルの関係省庁連絡会議が開かれたのは4月1日。運輸行政を担う国土交通省の協力を得て民間業者による遺体搬送態勢が整ったのは4月5日だった。
「政治家だけじゃなくてあらゆる者を総動員させるべきだ。要は役人をどう使うかなんだ」
国民新党代表・亀井静香は2日、こう忠告したが、菅はのんきに返答した。
「まあ役人を使えるのは一に亀井さん、二に私、三に仙谷さんだな…」(敬称略)
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【官邸機能せず】(中)
「現場主義」で3度目の視察 巻き返し狙う首相 官邸は「仙谷邸」化
(産経MSN2011.4.11 01:51)
「自然災害に強い町、1次産業に根差す町、弱者に優しい町に再生したい」
「いくつかの漁港を重点的に整備する必要がある」
「仮設住宅は7万戸を当面の目標に進めたい」
首相・菅直人は10日、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市を視察し、行く先々で復興支援を約束して回った。
避難所の石巻商業高校では女性らの前にひざまずき「つらいでしょうね。今何が一番必要ですか」。がれき撤去現場では自衛隊員らを「最高指揮官として誇りに思う」とねぎらった。地元FM放送にも出演し「元気よく復興への道を歩んでほしい」と呼び掛けた。
日米共同調整所がある陸自東北方面総監部(仙台市)にも立ち寄り、米軍関係者に「トモダチ作戦は日米関係を強めた。一生忘れない」と謝意を表した。
菅の被災地視察は実に3回目。「現場主義」を掲げるだけに面目躍如といったところか。久々に記者団のぶら下がり取材にも応じ「復興には相当の力が必要だ。新たな未来へのスタートだ」と決意を示した。
11日には有識者らを集めた復興構想会議を発足させる。これに先立ち視察すれば指導力を示す絶好の機会となると考えたようだ。
だが、意気込みと裏腹に被災者の目は冷ややかだった。菅に握手された漁師の男性は「がんばってくださいしか言えないのか…」。
その陰で復興計画は官房副長官として首相官邸に復帰した民主党代表代行・仙谷由人の下で着々と進む。2人の亀裂は刻一刻と広がっている。
「震災対応について大所高所からぜひお話をうかがいたいんです」
3月25日午前、首相・菅直人は電話口でこう頼み込んだ。相手は村山富市内閣の官房副長官として阪神・淡路大震災の対応に当たった石原信雄だった。会談はこの日午後に実現し、菅は半時間にわたり石原の話に耳を傾けた。
東日本大震災発生後、菅は東京電力福島第1原子力発電所事故の対応で頭がいっぱいとなり、被災者支援は後手に回った。
だが、原発問題の長期化は避けられず、被災地ではガソリン不足さえも解消できない。被災者の困惑は政府への怒りと変わりつつある。被災地支援で指導力を発揮しなければ政権を維持できない。菅はそう考えたようだ。
「官僚が動こうにも官邸が機能不全で動けない」。こんな批判は石原の耳にも届いていたが、石原はあえて触れず、党代表代行・仙谷由人の官房副長官への起用をほめちぎった。
「仙谷さんを災害対策に当たらせたのはよかったですね。特に事務次官を集めた連絡会議を作ったことの意義は大きいですよ」
菅は不愉快そうな顔つきに変わったが、ある提案に大きくうなずいた。
「復興政策を一元化する復興院などを作っても二度手間となる。対策本部で方針を決めたら直ちに各省庁が動く体制を作った方がよいのではないですか」
× × ×
大震災発生から6日後の3月17日、「原発問題に専念したい」と考えた菅は、被災者対策の要として仙谷を官房副長官に迎えた。
仙谷を全面的に信用しているわけではない。しかも仙谷は参院で問責決議を受け、1月の内閣改造で外れたばかり。それでもその手腕を借りざるを得なかった。「仙谷を野放しにしたらわが身が危ない」との思いもあったかもしれない。
官邸復帰後の仙谷の動きは素早かった。「乱暴副長官になる」と宣言すると直ちに被災者生活支援特別対策本部を設け、本部長代理に就任した。3月20日に各府省の事務次官たちを招集し、こう鼓舞した。
「カネと法律は後ろからついてくる。省庁の壁を破って何でもやってくれ!」
菅の癇癪(かんしゃく)と無軌道な指示に幻滅していた官僚にとって仙谷は「救世主」に映った。事務担当官房副長官・滝野欣弥は仙谷と共同歩調を取り、省庁幹部はこぞって「仙谷詣で」を始めた。
仙谷はすでに復興ビジョンも描き始めている。実動部隊として元官房副長官の古川元久らによる「チーム仙谷」を編成。週に数回、仙谷の執務室で策を練る。仙谷はこう力説した。
「天国は要らない。ふるさとが要るんだ。造るのはふるさとなんだ!」
× × ×
官邸の雰囲気は一変した。仙谷が官房長官時代に起用した秘書官らはひそかに仙谷の元に戻ってきた。前国土交通相・馬淵澄夫や衆院議員・辻元清美の首相補佐官起用は仙谷の意向をくんだ人事だとされる。
何より官房長官・枝野幸男は仙谷の弟分である。あっという間に、あらゆる案件を仙谷が差配する体制ができあがり、官邸は「仙谷邸」と化した。
仙谷の相談役である内閣官房参与の評論家・松本健一はこう打ち明ける。
「仙谷さんは『復興庁』を置き、自らが復興担当相になろうとしている」
もしかすると仙谷はある人物に自らを重ねているのかもしれない。関東大震災後に内相兼帝都復興院総裁として復興の礎を築いた後藤新平である。
× × ×
自ら招いたとはいえ、「陰の首相」の復活は、菅には面白くなかったに違いない。さっそく巻き返しに動いた。
「山を削り高台に住居を置き漁港まで通勤する。バイオマスによる地域暖房を完備したエコタウンをつくる。世界のモデルになる町づくりを目指したい」
菅は4月1日の記者会見で唐突に復興構想会議の創設を表明し、自らの復興ビジョンをぶち上げた。これは復興院構想の否定に等しい。石原からヒントを得て仙谷主導の復興を阻止しようと考えたに違いない。
はしごを外された仙谷は周囲に不満を漏らした。
「復興構想会議の具体的な話は一切なかった。俺は首相に外されている…」
それでも仙谷は「今は我慢の時だ」と考えたようだ。政務三役や官僚が復興策を持ちかけると仙谷はこう戒めるようになった。
「ここまでやったら首相が怒るぞ。待っておけ…」
待ったら何が起こるのか。少なくとも仙谷は次の布石を打ち始めたことだけは間違いない。(敬称略)←引用終わり
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【官邸機能せず】(下)その1
地方選惨敗もどこ吹く風 首相「まさかの友は真の友」
(産経MSN2011.4.12 00:20)
4月11日午後2時46分。1カ月前の同時刻に東日本を大地震が襲った。
首相官邸4階の大会議では第15回緊急災害対策本部に先立ち、大型液晶画面に表示されたデジタル時計が時を刻んだ。
ピッ、ピッ、ピーン…。
時報に合わせて首相・菅直人や閣僚ら約80人は一斉に頭を垂れた。
「最愛の家族を失い、最愛のふるさとが被災したみなさんにお悔やみとお見舞いを申し上げたい。新たな日本を作り出すため、私も先頭にたって全力で頑張り抜く覚悟であります」
菅はこう力を込めた。
海外の被災者支援への感謝のメッセージも披露された。表題は「絆」。菅は「日本新生への道を歩み、国際貢献の形で恩返ししたい」と訴え、意外な言葉で締めくくった。
「まさかの友は真の友」
× × ×
10日の統一地方選前半戦で民主党は惨敗した。昨夏の参院選後、連敗続きの菅政権はいよいよ追い詰められた感があるが、菅の頭に「退陣」の2文字はない。
官房長官・枝野幸男は記者会見でこう強弁した。
「民主主義のルールに基づき首相は職責を与えられた。内閣はその職責を果たしていくことに全力をあげるのがまさに筋だ」
民主党幹事長・岡田克也は党務委員長会議で珍妙な論理を繰り広げた。「負けは負けとしても公認・推薦の数え方の基準を作った方がよい」。公認候補だけでなく推薦した無所属候補も当選に数えれば、負けが薄まるというわけだ。
これには出席者もあきれた。41道府県議選で一つも第一党を取れず、岡田のお膝元・三重県知事選も惜敗した。勝数の勘定方法を変更しても負けに変わりない。さすがに国民運動委員長・渡辺周がかみついた。
「この1年半何をやったのかと言われている。政権のレーゾンデートル(存在理由)を示さなければならないのではないか」
× × ×
それでも岡田は諦めきれず記者会見で「公認候補の当選は12増」「三重県議選は全員当選」など“言い訳”を重ね、進退を問われるとこう言い放った。
「責任は感じているが、辞めるのとは違う。何かあると『責任を取れ』という議論は生産的ではない」
党内には諦めムードが蔓延(まんえん)する。党役員会で出席者が「後半戦に向けメッセージを打ち出すべきだ」と訴えると参院議員会長・輿石東は冷ややかに言った。
「それはそうだが、どんな政策を訴えるんだ?」(敬称略)
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【官邸機能せず】(下)その2
混迷する大連立構想 「菅降ろし」の首謀者は? 交錯する思惑
(産経MSN2011.4.12 00:24)
首相以下「惨敗」を無視
「大震災で政局がすっ飛んだと喜んだらダメだ。うまくやらないと絶体絶命になる。野党は『次の首相ならば協力できる』と言ってあんたを追い込むぞ!」
3月11日の東日本大震災発生を受け、与野党が「政治休戦」で合意してほどなく、国民新党代表・亀井静香は首相・菅直人に電話でこう忠告した。
だが、東電福島第1原発の事故対応に追われていた菅にまともに聞く余裕はなく「亀井さんは未来が分かるんですか?」とぞんざいに応じた。
亀井も菅の多忙は百も承知だ。それでも電話したのは、民主党で「ポスト菅」の動きが本格化しており、その中心にいるのが党代表代行の仙谷由人だと伝え聞いたからだ。
亀井は菅を評価しているわけではない。むしろその逆だ。郵政改革法案に冷淡だし、財政規律を重視する与謝野馨の経済財政担当相への起用も許せない。
それでも仙谷の動きは看過できない。しかも仙谷の念頭にある次期首相は「原理主義」とされる民主党幹事長・岡田克也だと聞く。このまま菅が追い込まれれば、国民新党も「お払い箱」になりかねない。
そう考えての忠告だったが、菅がその重要性に気づくのはしばらく後だった。
× × ×
仙谷は1月の内閣改造で官房長官を降りると自民党副総裁・大島理森に急接近した。「裏方」「強面(こわもて)」「人情家」-。共通点の多い2人は意気投合し、酒を酌み交わしながら民主、自民両党の大連立を模索するようになった。
ただ、自民党は民主党政権と徹底抗戦してきただけに大義名分もなく大連立を組めば「無節操」とのそしりは免れない。大島はきっぱりと言った。
「首相が菅のままではとても協力できない…」
そんな押し問答が続く中、仙谷は3月17日に官房副長官として首相官邸に復帰した。かねて民主党が掲げる「政治主導」に限界を感じていたが、震災後の官邸の機能不全に愕然(がくぜん)とした。「官僚を使いこなし、復興をやり遂げるにはやはり自民党と組むしかない。そのためには…」
× × ×
市民活動家出身で政界にコネはない。自分勝手で癇癪(かんしゃく)持ち。信望も薄い。そんな菅が首相の座に上りつめることができたのは特異な「嗅覚」を持つからだ。不穏な空気を感じ取った菅は機先を制する動きに出た。自民党総裁・谷垣禎一との直談判である。
3月19日、菅は谷垣に電話で「2人だけで会いたい」と持ちかけ副総理兼震災復興担当相での入閣を打診した。「2人」にこだわったのは仙谷に動きを悟られたくなかったからだろう。最後は谷垣の優柔不断な応対に逆上してしまい破談となったが、菅はそう簡単にはあきらめない。
「実践的で中身のある提案をいただき感謝します」
3月30日、谷垣らが官邸を訪ね、復旧・復興に関する提言を渡すと菅はいつになくへりくだった。同時に自民党との窓口役に岡田を指名し、閣僚増員でも協力をとりつけようとした。
それでも谷垣は慎重姿勢を崩さない。大連立をめぐり党内の意見は割れており、無理にかじを切ると自らが引きずり降ろされかねないからだ。
しびれを切らした菅は4月7日、官房長官・枝野幸男らを自民党本部に遣わした。政調会長・石破茂は「震災に与党も野党もないでしょ」と丁重に対応したが、枝野らが去ると胸をなで下ろした。
「ここに菅さんが来て『協議をよろしくお願いします』なんて言ったら大変なことになったな…」
民主党も一枚岩ではない。元代表・小沢一郎に近い勢力は菅を即刻退陣させたいが、仙谷とは距離を置く。仙谷の「菅降ろし」の先に「小沢外し」が透けてみえるからだ。
さまざまな思惑が複雑に絡み合う上、有力な「ポスト菅」も見あたらない。自民党のような派閥がないため「数合わせ」もはっきりしない。仙谷とて党内を掌握するすべはない。これが大連立が浮き沈みを続ける要因となっている。
首相補佐官・藤井裕久は菅をこう諭した。
「民主党にも自民党にも政局屋はいる。批判されるのは仕方がないが、ここで辞めると政局になる」
菅は「わかっています」とサラリと応じた。辞める気はさらさらないようにみえる。大島はあきらめ顔で周辺にこうこぼした。
「仙谷は『結婚しよう』と迫ってくるくせに新居がないどころか、『イエス・ノー枕』さえ用意していないんじゃ!」
震災から1カ月。福島第1原発の放射能漏れは続き、被災地復旧のめども立たない。政界はいつまで我欲に満ちた権力闘争を続けるつもりなのか。(敬称略)
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この企画は今堀守通、水内茂幸、斉藤太郎、杉本康士、村上智博が担当しました。←引用終わり
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