原子力発電をどうするか? 原子力発電にどう向き合うか?
電気がなければ「生活の利便性は著しく損なわれる」だろう。
電気がなければ「生産力の低下は著しいものとなる」だろう。
現在、日本の電力は「原子力発電」の比率が30%程との事だ。
「水力発電」は低下傾向にあるため、残りの大半は「火力発電」なのだろう。
ここに立ち塞がるのが「地球温暖化防止」という掛け声である。
「火力発電」は「Co2」を大量に放出するから削減せよ。
これが国際社会で勢いを増す「環境重視派」が圧力を加える。
現代版「軍縮会議」ともいえる。
なぜなら、「Co2」削減は、その技術が完全に確立されるまで、言われるままに削減し続けると「工業生産力」は低下し「産業競争力」自体が弱体化する事だろうから。
ルーピー・ハトヤマは、指したる根拠もなく「日本は25%削減する」と述べ立て、事実上の国際公約になっている。
そして、日本は現在の状況である。
「東京」は、大量に「電力」を消費する事で「土地利用」を高度化させ成立する「砂上の楼閣都市」である。
「大量の電力消費」を前提に、「東京」はあらゆる体系を整備し成立している。
従って、この度「節電」を余儀なくされると、「生産」「流通」「サービス」の分野で多くの不都合が生じるのである。
もちろん、生活そのものが成立しなくなる虞を内包しながらである。
でぇ、「原発」に頼らない「電力資源」を開発せよ、という声が大きくなり始めた。
「じゃぁ、何がありますか、何で代替できますか」というワケだ。
「太陽光発電」を挙げる人がある。
「波力発電」を挙げる人もある。
「風力発電」が良いと言う人もある。
「地熱発電」を挙げる人もいる。
それぞれが正しく立派な指摘だと考える。
でも、現在の日本の生産力を全て賄うには、日本の全世帯に「太陽光発電」装置をつけても、原発を全廃するなら、とうてい賄えないとの積算があるという。
それなら、「太陽光発電」「波力発電」「風力発電」「地熱発電」を全て採用する事が不可欠ではないかとの指摘がある。
しかしながら、現段階で「太陽光発電」「風力発電」は一定の成果が期待できるものの、「波力」や「地熱」は技術が確立されている状況にはない。
従って「太陽光発電」「風力発電」に「水力発電」の応用系である「揚水発電」を加えたところが「循環性の高い『自然エネルギー』利用発電」という事だろう。
でもでも、これで日本全国で必要とする「産業エネルギー(電力)」を充たす事はできないとの事らしい。
だったら、「工業生産力」を抑制する以外に方法はない。
それなら可能だ。
しかし、待ち受けるのは、工業生産力により提供された「現在の生活」を放棄する必要がある。
「工業生産力」が低下すると「流通・サービス」も相対的に低下する。
分かりやすく有り体に言えば、「貧乏になる」って事だ。
主として「工業生産」と「流通・サービス」が雇用を生み、働く場と生活を支えていた「現在の生活」を見直し、第一次産業である「農林・水産業」へ再シフトし、そこに雇用を確保し生活の場を形成する事が不可避となるだろう。
日本は本来の姿に戻る事になる。
この40年~50年間が、日本の「エポック・メイキング」だったワケで、本来の日本は「自給自足」の農業社会だったワケだから、元へ戻る事を強いられるのかも知れない。
高度な開発力と巨大な生産力を保つ巨大企業は、グローバル企業として「日本」に軸足を置きながらも果敢に「海外展開」を行い、「生産」も「流通・消費」も国際市場で激烈な競争を展開する以外に方法はないだろう。
日本は、「農林・水産」、「(高度先端)工業技術の開発」、「市場規模に合わせた流通・消費サービス」、「配当所得」を得ながら、細々と生きていくのが間尺に合っているのかも知れない。
「東京」を始め、日本の高度化した大都市は、この度の「大震災」「原発事故」を境に、改めて見直しを図るべきなのかも知れない。
それに合わせ、日本人全体が「身の丈にあった経済社会」を考え直す機会かも知れない。
日本経済新聞が、19日の「春秋」で興味深い記述をしているので引用紹介したい。
引用開始→ 社説・春秋
(日本経済新聞 春秋 2011/4/19付)フィンランドの首都ヘルシンキから西へ約250キロ。オルキルオトという島がある。2004年から、世界で初めての高レベル放射性廃棄物の最終処分場造りが進んでいる。「オンカロ」。フィンランド語で「隠れた場所」を意味する。
▼岩盤を地下500メートルほど掘って都市のような巨大構造を造り、廃棄物を詰めたカプセルを貯蔵していく。22世紀に貯蔵を終えたら、入り口をふさぎ、名前通り隠してしまう。廃棄物が無害になるという10万年後までの安全が目標。ピラミッドも万里の長城も、ものの数ではない。気の遠くなる耐用年数の建造物だ。
▼菅直人首相はきのう、原発の安全性を「根本から検証する」と語り、放射性廃棄物の最終処分場も考えていく意向を示した。18億年前の岩盤があるフィンランドに比べ、地震と火山の巣である日本で10万年後の安全を確保するのは、さらに難しい。とはいえ、避けて通れる問題ではない。首相の姿勢は当然だろう。
▼都内でオンカロをテーマにしたドキュメンタリー映画「100000年後の安全」を上映している。休日には観客が入りきれないほど、関心は高い。半年先の展望も不確かな福島第1原発の危機だが、それをきっかけに多くの人が原発の安全を考えるようになった。先々のことも、しっかり議論していかなくては。←引用終わり
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