NYへの航空機同時テロを仕掛けた「ウサマ・ビンラーディン」という人物
2001年にNYの「世界貿易センタービル(ツィンタワー)」へ、ハイジャックされた航空機が激突するテロリズムに衝撃を受けた。
そのニュースが世界へ向けて流され、世界が衝撃を受け中継されるニュース映像を見ていた時、残されたもう一方のビルへ別の航空機が激突する瞬間を見せられた。
そして敢えなく「世界貿易センタービル」は崩壊した。
その映像も世界へ中継された。
その衝撃は、簡単な言葉で言い表せるものではなかった。
ところが、ワシントン郊外(バージニア州)にある「国防総省(ペンタゴン)」へもハイジャックされた航空機が突入したとの情報がもたらされ、多くの人は「何が起きているのか」「何が起きたのか」分からなかった。
NYから中継される映像は、圧倒的な迫力で現実を映し出していた。
しかし、ワシントンDCで生じたとされるニュースは理解の外だった。
だが、直ぐにワシントンDCからの映像が中継されると、いきなりの現実が目の前に現れた。
米国が、しかも主要な政治(国防)と経済の中枢が同時テロに襲われたのだった。
誰が、何の目的で「同時テロ」を引き起こしたのか?
米国の中枢を同時攻撃する周到さというか緻密さに驚愕させられた。
そして同時に、世界で最もセキュリティーに煩い米国が、意外に脆いのだと現実は教えていた。
暫くして、中東のテレビ放送局「アルジャジーラ」が「アルカイーダ」が仕掛けた事を報じると共に、その組織を率い主謀者でもある「ウサマ・ビンラーディン」の宣戦布告ともいえる声明を流したのだった。
何よりも、この報道に度肝を抜かれた。
その後「アルジャジーラ」は「アルカイーダ」の広報機関であるかのように、続々と警告や声明を流し続けた。
当時、最も疑問だった事は「ウサマ・ビンラーディン」とは何者で、何を目的とするのかに集中していたように思う。
様々な疑問が提起され様々な解説が乱れ飛んだが、そのいずれも正鵠を射ていたとは思えない。
この度の結末により、残念だがいよいよ分からない事になった。
その状況で、イスラム社会を『聖戦』を掲げ『自爆テロ』により世界へ戦いを挑んだ「ウサマ・ビンラーディン」についての解説を日経が報じたので引用紹介しておきたい。
引用開始→ テロ再び激化も 世界各地でアルカイダ組織連携
冷戦と湾岸戦争が生んだ怪物 ビンラディン容疑者
(日本経済新聞2011/5/2 13:05)ウサマ・ビンラディン容疑者は1957年、サウジアラビア最大のゼネコン・グループを率いる富豪一族に生まれた。アブドルアジズ王大学の経営学修士課程に学んだおとなしく平凡な若者を、前例を見ない国際テロリストに変えたのは冷戦下のアフガニスタン戦争とその後の湾岸戦争だった。
一族はイエメン出身で、サウジの聖地にあるモスクの工事なども手がけた。旧ソ連軍が侵攻したアフガンで1980年ごろ、イスラムを守る戦いに参加すると決めたビンラディン容疑者は家族から熱烈な祝福を受けた。アフガンで同容疑者を支えたのは「米国の武器とサウジの資金だった」と自ら述べている。
転機は91年の湾岸戦争。同容疑者はサウジに米軍駐留を認めたサウジ王室に幻滅。王室批判を強め、その後、国籍をはく奪された。スーダンに移った同容疑者は、イスラエルによるパレスチナ支配を非難し、イスラエルと米国を標的に活動する過激派としての側面を強めた。96年にはアフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバンに「賓客」として招かれた。
その名を一気に広めたのは98年にケニア、タンザニアで起きた米大使館同時爆破事件。「米国人を殺すことがイスラム教徒の義務」という過激な主張はパレスチナやイラク問題で反米感情を膨らませたイスラム過激派の心理に共鳴した。
同容疑者は世界中にアルカイダのネットワークを拡大。3億ドルともいわれる資産をアフガンの麻薬取引などで膨らませたとみられている。
93年の世界貿易センター爆破事件、96年のサウジアラビア・ダーランの米軍施設爆発事件、2000年にイエメンで起きた米駆逐艦爆破事件など多くのテロへの関与が疑われている。2メートル近い長身。古い友人というパキスタンのイスラム教育機関の関係者は「物静かな真のイスラム教徒で、彼に協力しなければという気にさせる」と評した。←引用終わり
(ドバイ支局)
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