日本への留学生を集める事も大切だが、日本人の海外留学はもっと大切だ!
きょうは地味なテーマです。
しかしとても大切なテーマである。
「今頃、何を言っているのか」と言いたいけれど、もしまぁ、実現しようと考えているなら少しは評価できるマトモな事だ。
1980年代の半ばから、急激に「カネモチ」になった日本。
当に「成金」なのだが。
プライドが高いだの「成金ドモ」は、いきなり日本が国際社会で主流を為すと大きな勘違いをしたらしい。
日本は基本的に貧乏な国なのだ。
第二次世界大戦後、これまでの国際関係で様々な僥倖が連続的に生じ、上手く綱渡りできた事で今日のポジションを得る事が出来た。
ところが、「成金」生活を楽しむうちに、スッカリ「傲慢」が身につき恐ろしいまでの「成金」ぶりを発揮している。
日本人が正真正銘「カネモチ」になったのであれば、その「カネ」で世界を知る事が大切だと思う。
途上国を含めた「様々な国」へ留学すると良い。
何も、留学先を「欧米」や「中国」に限定する必要はない。
例えば、「シンガポール大学」、「香港の大学」、「フィリピンの大学」、「インドネシアの大学」などへ留学する事も、これまでとは異なるヒントを得る事ができるだろう。
あるいは「インドの大学」、「カイロ大学」へ留学すると、また別の世界が大きく拡がる事だろう。
日本の良さも分かるだろうし、日本の悪弊も理解できるだろう。
経済合理性だけに拘るなら、「アメリカの大学」も悪くない。
何も大学生だけが留学生の特権ではない。
企業に就職してから、最適な大学院へ「留学」する事は何よりも有効性が高い。
政府は、真面目に且つ真剣に取り組むべきだ。
日本から海外の諸国へ留学生を送り出す。送り出し続ける事を強く希望する。
引用開始→ グローバル人材育成へ留学推進 政府が中間まとめ
(日本経済新聞2011/6/22 23:13)政府は22日、グローバル人材育成推進会議を開き、国際感覚を持った人材の育成に向けた政策の中間まとめを決定した。英語教育の強化や留学の推進を通じ、今後10年間で18歳人口の約10%にあたる11万人程度が、20歳代前半までに1年間以上の留学や在外経験を持つことを目指す。
高校では英語のコミュニケーション能力の強化などに力を入れる。大学では在外経験を重視する入試方法や、留学生の単位取得や修了認定に配慮する仕組みを取り入れる。学生や若手研究者の留学を支援する産学連携の奨学金制度の創設も目指す。企業には大学卒業後3年以内を新卒扱いとするなど新たな雇用慣行を呼び掛け、留学経験者を積極採用するよう経済団体などにも働き掛ける。
会議で枝野幸男官房長官は「各省、大学、企業、経済団体などが、それぞれ相当な力業で大きな社会運動として継続的に取り組んでいくことが重要だ」と強調した。←引用終わり
Copyright © 2011 Nikkei Inc. All rights reserved.
| 固定リンク
コメント
英語圏に行けば、片言の英語でも通じる。暮らしてゆける。
完全な英語でなくても、英語環境がととのっているから通用するのである。
英語環境がととのっている環境で生活していれば、そのうちに、英語も上達する。
我が国においては、どんなに英語が堪能であっても就職先に困る。
それは、人々が英語を使わないからである。これでは、暮らしそのものが成り立たない。
日本の学校で6年間英語の授業を受けてもまず話せるようにならないのは、英語環境が整わないからである。
一歩学校の外に出ると英語を使わないのでは、せっかく習った英語も錆ついてしまう。
日々の学習努力も賽の河原の石積みとなっている。
日本の学生のために英語環境を整えることが、語学力を増すことにつながると考えられる。
それには、英語を我が国の第二公用語にするのがよい。
国民も政治指導者も、英語の使用を日本人のあるべき姿と考えることが大切である。
国際社会において、我が国を代表する政治家にも英語の堪能さが見られない。
日本語のみを使用する社会において、実用にならない言語の学習は空しいばかりである。それにもかかわらず、我が国においては英語教育に名を借りた序列争いばかりが激しく行われている。
英語の学習を民間に奨励するだけでは充分ではなく、英語を習得したことに対する国家の強力な報奨(incentive)が必要であります。
英語を実用の言語とする政治指導者のさきを見据えた努力が大切です。
たとえば、公務員採用試験に英語の能力にすぐれた人物に優遇処置を施すなどの法的裏づけなどが効果的でありましょう。
英米人には、手先・目先の事柄に神経を集中する特技は得られないようである。かれ等は、生涯、歌詠みにはなれないでしょう。
日本人には、英語を使って考えることはきわめて難しい。しかし、これは不可能ではない。全員ではないが、知識人には為せばなる学習であると私は考えています。
わが国民の作る細工物は出来栄えが良い。なおその上、英米流の哲学にも良き理解を示す民族となれば、未来の日本人は鬼に金棒ということになるでしょう。
だから、英語を我が国の第二の公用語とすることには大きな意義があります。実現の暁には、我が国民のみならず、世界の人々に対しても大きな未来が開けることと考えられます。
一見我が国は教育大国を目指しているようであるが、大人の教育はない。つまり、子供が大人になるための教育はない。
我が国においては、教育といえば子供の教育のことを指している。目先・手先のことのみを述べる人は、子供のようである。
大人には考える教育が必要です。一人一人に哲学が必要です。
現実と非現実の間に区別を置くことなく語る人の内容には意味がない。だから、日本の知識人には価値がない。
「感情的にならず、理性的になれ」と国民に訴える指導者がいない。
「国民の感情に反する、、、、、」と言うのでは、主張の論拠にならないが、それのみを言う。
感性 (現実) あって理性 (非現実) なし。我が国は、一億総歌詠みの国にとどまっている。
大学生は入学しても、キャンパスで4年間遊んで過ごすことになる。
無哲学・能天気の大学生は、平和ボケ・太平の眠りの中にいる。
「入学を易しく、卒業を難しく」というような教育方針は現状を観察すれば空しい限りである。
日本人は、国連中心主義が好きなようだ。
国連の議場で世界の人々を説得するためには、自己の言葉が冴えわたる必要がある。
議論のできない人があえて国連中心主義を唱えるのは、自己の他力本願を表明するための手段ということになるのであろうか。
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/
http://page.cafe.ocn.ne.jp/profile/terasima/diary/200812
投稿: noga | 2011/06/24 01:40