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2011/06/05

「最大不幸社会」への途、昔むかし側近だった元の同志がバッカンの人格に触れつつ厳しく批判

友人から見捨てられる人は、寂しい人生を歩まなければならない。
普通は、実に悲しい事だ。
真実の友人がいないって事だから。

しかし、バッカンは何喰わぬヅラらしい。
それは、まぁ、学生の頃から何ら変わらないワケで、
それを知る側としては「だからと言って、別段、驚きも何もない」。

攻めは強いが、守りにゃぁ弱い。
これがバッカンの特徴だ。
まぁ、一般論として、東工大で学生Mを担ったヒトに散見できた傾向であるワケだが。
猫背でマイクを握り口元に当て喋り続けるワケだ。
何を主張するワケでもなく、ただただマイクを握り大声で喚き続けることが目的だった。
その姿は、基本的にはいまも変わらない。

まぁ、学生の頃から何ら中身を保たない姿は変わらない。
元より「スッカラカン」なのである。
何がって? そりゃぁバッカンの「人生そのもの」がだよ!

「社会市民連合」なんて「ペテン紛いの政党もどき」ができたとき、確かNHKの番組か何かで(確かな記憶がない)バッカンが、恐る恐る何かを口ごもりながら喋っていた姿を偶然見つけ腰を抜かすほどオドロイタ!

「何ぃ~、コイツ国会議員になってやがったのか?」と怒りが湧いてきた。
それが、左翼チックな建前保守政党「新党さきがけ」へ移り、やがてルーピー・ハトヤマと合同し、前の「民主党」を握り、その後はトツベンオザワとも組み現在の「民主党」でコソコソしていた。
それが昨年の6月にトツベン・オザワとルーピー・ハトヤマのデキレース相対心中もどきで、「なっなぁ~んと、日本国の首相になっちゃった」。
ビックリした!ホントにビックリした!
武蔵野の市民はどこかネジが弛んでいるんじゃないか?
ナンで、バッカンみたいな空疎なゴミ野郎を衆議院へ送り出すのだろう?
カネを持ちすぎると、世の中の事なんて分かんなくなっちゃうんだろうなぁ。

そんな、こんなで、産経がバッカンの元友人ていうか、元側近っていうか、田上等さんにインタビューを仕掛け引っ張り出しちゃった。
さすがに田上等さんの舌鋒は鋭いねぇ~。
「コラコラコラム」に関わる、このスレッドの書き手は、田上等さんを知らない。
しかし、田上等さんの指摘は、一つひとつ尤もだ。実に適格だ。そして鋭い。

それでもバッカンには馬耳東風だろう。
都合が悪くなると、聞こえないフリをするのは得意技だから。
そしてさらに都合が悪くなる寸前に、「オレは聞いていないぞ!」と喚き、相手を罵倒するのだ。
このクセは、治らないようだなぁ!
「三つ児の魂、百まで」ってよく言ってますよねぇ。

引用開始→「菅さん、本当にそれでいいんですか」 ホームレスになったかつての同志が激白
(産経MSN2011.6.4 19:29)

急速に求心力を失いつつある菅直人首相の姿は、かつての同志の目にどう映るのか。過去に首相と政治行動をともにしながら、現在は明暗分かれて横浜市でホームレスとして暮らす田上等さん(61)に聞いた。(村上智博)

               ◇

菅さん、内閣不信任決議案の否決ではあざとい手法で首がつながりましたが、本当にそれでいいんですか。「してやったり」と思ったのでしょうが、鳩山由紀夫前首相との辞任合意をほごにし、すぐに「辞めることを約束したわけではない」と言うなんて…。

ペテン師と呼ばれて当然です。すぐにばれる嘘なんてしゃれになりませんよ。粘って時間稼ぎをしていればそのうち世論も付いてくると甘く考えていたふしがあるけれど、そんな延命策には誰もついてきやしません。いよいよ菅さんによって、日本の民主主義が壊されていくと感じました。

東京電力福島第1原発事故で何でも東電のせいにしたり、東電本店に怒鳴り込んだりしたのは、あなた独特の「合理性」からですね。みんな自己責任だと思っている。20年ほど前に私が自己破産したときも「自分の家を取られた不始末はお前の責任だ」と血も涙もなく突き放されました。それでも弁護士費用を立て替えてはくれましたが…。

あなたと出会ったのは、市川房枝元参院議員の選挙を手伝ったとき。あなたが選対本部事務局長で私が会計責任者。4つ年上で頼もしく見えましたが、当時から国家観や哲学なんてものはありませんでした。

昭和51年の衆院選に初めて臨んだ際は私が選対本部事務局長を務め、次に参院選に挑んで惨敗した後、次はどうするのか語り合いましたね。あなたは「たとえ応援してくれる人がいなくなって、おれ独りになってもやる」と強気でした。

いま、民主党内や野党からの「辞めろ」の大合唱にもめげない厚顔無恥な彼の姿に通じるものがあります。一度手にしたものは絶対、手放さない人です。

あなたは落選中、社会市民連合の代表となりましたが、口の利き方にはほとほとあきれていました。日ごろ手足となり応援してくれる年上の市会議員が事務所にきても、なぜか敬意を払おうとはしない。だから話はちっとも和まないんです。要は処世術がないのだと思います。

昔から、よく怒鳴っていました。そのくせ都合が悪くなると「田上く~ん」とすり寄ってくる。ひいき目に見ても、政治家としては修業が足りない。

私も昔は「菅さんが衆院議員になれば秘書になるのはおれだ」と思っていました。でも、結果が出ないと責任をすぐに「あいつが悪い」と人のせいにする性格が嫌になり、次第に距離を置くようになりました。

「菅が将来、もし首相になったら日本人を辞める」という仲間が周りに少なくなかったことを、ご存じないでしょう。

そんなあなたが首相になったのは国民にとっても不幸なことです。首相としての立ち居振る舞い、帝王学を学んだわけでもなく、たまたま自分のバイオリズムと世の中の周波数がかみ合ったからなれただけです。

大型連休中、まだ多くの被災者が不便な生活を強いられている中であなたが家族水入らずで中華料理店に行ったというニュースがありましたが、出前を取ればいい話です。

何を言われようと気にしない人だからしようがないけど、国民の生活が菅さんに「人質」に取られているように思えてくる。私だったら、自分の存在が果たして国民のためになっているのかを沈思黙考し、良心の呵責(かしゃく)に耐えかねてすぐにでも首相の座は降りるんですけどね…。

【プロフィル】田上等

たがみ・ひとし 昭和25年生まれ、慶大卒。父は民社党の田上松衛参院議員。在学中から市川房枝元参院議員の選挙にかかわり、菅直人首相と知り合う。社会市民連合の創設メンバーの1人で、昭和54年から衆院選などに計5回立候補するもすべて落選。平成3年から15年間、国民健康保険組合で働いたが18年に退職。借金も重ねた結果、約3年前から路上生活を送り、古本集めなどで生計を立てている。離婚した元妻との仲人は菅首相。←引用終わり
© 2011 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

バッカンは、自らの延命であれば、どのような手段をも繰り広げる。
何か、政治的に達成したい目的があるわけではない、ただただ政権の座に居座り続けたい事が唯一の目的である。
そのために、赤色発煙筒センゴク・マンゴクやエダノ・コブターを使う(実際は利用されている)のである。

ホントにルーピー・ハトヤマ(を選ぶ室蘭や苫小牧の選挙民)は究極の阿呆である。
ヒラメ・ヒラノ(を選ぶ大阪の選挙民)も輪をかけた阿呆である。
赤色発煙筒センゴク・マンゴク(を選ぶ徳島の選挙民)も腹赤いのである。
エダノ・コブター(を選ぶ埼玉の選挙民)は腹赤いブタである。

ヒラメ・ヒラノはワナワナと泣いたとか!?
バッカン、センゴク・マンゴク、エダノ・コブターはワラワラと高笑いしたとか!?

ルーピー・ハトヤマは恥の上塗りとばかりに、「ペテン師」と罵ったとか!
(オマエもペテン師だろうが)

トツベン・オザワは、仕掛の切り崩しを仕掛けられ、「小澤ダム」が崩壊したとか!?
(だいぶ、血圧が上がっただろうなぁ!「心臓」に悪いよ!)

引用開始→ 菅、鳩「退陣合意」は仙谷・枝野の巧妙なワナだった!?
(夕刊フジ2011.06.04)

菅直人首相の退陣“ほのめかし”発言は、民主党の枝野幸男官房長官、仙谷由人正副官房長官、岡田克也幹事長ら政府・民主党の幹部が仕組んだ、巧妙な戦術だったことが4日までに明らかになった。鳩山由紀夫前首相が首相との直接会談で取りつけた“言質”であればこそ、小沢一郎元代表の反菅グループも、自主投票に方向転換したが、首相サイドが1枚も2枚も上手だったのか。東日本大震災の被災者そっちのけで繰り広げられた、豪腕&ルーピーと、ペテン師の化かし合いの真相とは-。

「許し難いペテン師」

「男として、人間として、あるまじき態度」

不信任案否決から一夜明けた3日、夕刊フジの単独インタビューに応じた鳩山氏は、“合意”したはずの退陣時期を先延ばしする菅首相の姿勢を厳しく断じたが、すべてはあとの祭り。

小沢、鳩山両氏を中心に展開したはずの、内閣不信任案採決をめぐる攻防。否決に大きく響いた首相の「退陣発言」や、日付もない“合意文書”の署名拒否も、すべては菅首相を中心とする政府・民主党執行部の筋書き通りだった。

1日夜、小沢氏と小沢氏に近い議員計71人は都内のホテルに結集し、「不信任案可決」に向けて気勢をあげていた。鳩山氏も賛成票を投じる意志を固めるなど、その数は次第に増え、メディアでは、可決に必要な造反数81を突破するのではとの見方も出始めていた。

同じ1日夜、事態を深刻に受け止めた岡田氏、枝野氏、仙谷氏ら政府・民主党の幹部10人が集まり、必死に、票読みと対抗策を練っていた。

衆院の民主党会派はその時点で305人。53人までなら、議員が欠けても委員長ポストを独占し、委員数でも野党を下回らない安定多数252人を維持できる。

「造反が40~50人までなら、不信任案の賛成者を即日除籍の厳罰処分とする“小沢切り”が決まった」(政府筋)

しかし、小沢グループら“反乱軍”の勢力が67人を超えた場合、衆院の単独過半数を失うことになることから、採決ギリギリまで反対に転じるよう説得する方針も確認。作戦として、不信任案の採決が行われる2日の衆院本会議後に、臨時閣議の開催を決定した。

「可決すれば最後の切り札である衆院の解散を断行すると確認する閣議-と連想させようとしたのです」(同)

そして浮上したのが、“造反予備軍”の軟化を誘う手段として、採決直前、2日昼の党代議士会で、菅首相が「退陣」をほのめかすという案だったのだ。

反乱軍や反乱予備軍の軟化を狙うメンバーらは首相発言の内容を調整。最後は菅首相自ら筆を入れたうえで、合意文書とはまったく無関係に、同日朝、芝博一首相補佐官から岡田氏らにメール送信されていた。

この時、首相が信頼する北沢俊美防衛相や、鳩山氏に近い平野博文元官房長官は、同時進行状態で、まったく別の動きを見せていた。

後に首相と鳩山氏の間で交わす3項目の「確認事項」の文案を作成していたが、岡田氏、枝野氏らの動きは知らなかった。

「2人は鳩山氏の不信任案賛成の表明で、党分裂の危機感を強く抱き、文書合意による首相退陣と引き換えの不信任案反対という筋書きの素案を作った実動部隊。文案作成は、皮肉にも幹部10人の会議が行われていた1日夜、同じホテルの別室で行われており、結果として、幹部らの反乱軍懐柔作戦を補強するための文書を、彼らのすぐ側でせっせと作成していたことになる」(民主党中堅議員)

同日午前11時すぎ。鳩山氏が平野氏を伴って官邸に文書を持参。首相は立会人として岡田氏を呼んだ。すでに、退陣“ほのめかし”発言による延命の筋書きが出来上がっていた首相にとって、退陣の文言も日付もない文書は正しく渡りに船の存在。高笑いをこらえる様子が目に浮かぶようだ。

署名と引き換えに、不信任案反対の呼びかけを持ちかける鳩山氏に対し、首相は、「2人の信頼関係の中ですから(署名がなくとも)まったく問題ありません」とピシャリ。鳩山氏が折れた瞬間、首相の延命は完全に決定づけられた。

こうして迎えた2日正午の党代議士会。合意文書とは無関係に、退陣“ほのめかし”発言を行った首相に対し、鳩山氏は合意文書が前提であると妄信し、反対票の投票を呼びかけ。小沢氏の自主投票発言も相まって、流れは幹部の読み通り一気に不信任案反対へ加速し、否決に舵が切られたのだ。

巧妙なワナとも言える仕掛け。その後の首相の豹変を見抜いた人物もいる。野党多数の参院の円滑運営のために、首相が身を引くことを期待していた輿石東参院議員会長は、首相が最後まで退陣時期を明確にしなかったことを確認すると、電話で平野氏を怒鳴り上げたという。しかし、時遅しだった。←引用終わり
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かくして、日本の不幸は永続される事が決まったのである。
一日も早く、トンコウ・アホカイのバッカンを追い込みブチ込まなければならない。

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