JR紀勢線全線復旧! 地味な事だが大切な事
9月に襲った台風12号による大雨で、奈良県と和歌山県の山間部は集中豪雨となり、大規模土砂崩れに始まり河川の氾濫などで甚大な被害が発生した。
何せ、48時間ほどの間に1.8メートルもの雨が降り注いだのだから、被害が起きないわけはない。
降り注いだ雨は下へ下へと勢いよく流れ、上流部は土砂崩れ、下流部では未曾有の河川氾濫となった。
よく知る、古座川、那智川、熊野川は考えもしなかった高さまで水が溢れ、根刮ぎ流し去っていった。
ナンたって、那智川はJR紀勢線の鉄橋を押し流してしまったのだから、その水流の恐ろしさを真剣に考えるべきだろう。
そのため、JR紀勢線は紀伊勝浦と新宮の間で運休に追い込まれていたが、ようやく復旧し列車の往き来が再開されたとの事だ。
那智川は、よく知らないのだけれど、隣の古座川はカヌーをするために出かける川であり、中流域から河口までの流れや堤防の高さあるいは架橋の高さを知っている。
9月の豪雨と氾濫で、平均水面から12メートルほどの位置に収容したカヌーが3隻とも跡形もなく流されてしまった。
ナニよりも、いつも使用させて頂く、カヌーを置いたログハウス(スゥエーデンから輸入)も跡形もなく消えてしまっていた。
恐ろしい水流だ。東日本大震災で発生した津波の威力を映像で見たときも驚いたが、それは映像として記録されたものであった。
しかしながら、古座川での被害は流れ出る現場を見たワケではないけれど、現場に立つとログハウスはキレイに消え去り、ベタ基礎で固めたコンクリートの基礎だけが無惨な姿を顕していた。
たまたま、誰も滞在者がいなかったから人命の被害は生じなかった。
一週間前なら、友人達の多くがログハウスとカヌーを使用していた。
紀伊半島南部の人にとり、紀伊山地に降り注ぐ雨による河川の氾濫は、これまでも日常茶飯事でもあったが、この9月の氾濫は尋常ではなく多くの人命を奪い多数の被災者を生み地域と生活を奪い去った。
そして頼みの綱でもあるJR紀勢線を各地で寸断し、那智川では鉄橋が流出する事態となり孤立を強いられた。
その鉄橋が完成し鉄路が復旧したという。
よかった、よかった。
これで、紀伊半島南部へ再び安心して仕事に出かけられる。
引用開始→ 復旧、希望への架け橋 JR紀勢線、3カ月ぶり全線再開
(asahi.com 2011年12月3日)台風12号の豪雨被害から3日で丸3カ月。鉄橋が流されて不通になっていたJR紀勢線が全線開通した。一番列車が出発した新大阪駅では復旧を祝うセレモニーが開かれ、和歌山県の仁坂吉伸知事が「安心して和歌山へ」とPR。地元の観光関係者も「正月に間に合って良かった」と喜んだ。
紀勢線は9月の台風12号の影響で、和歌山県那智勝浦町の那智川に架かる鉄橋の橋脚が流されるなどの被害を受けた。同17日以降、白浜―串本間や串本―紀伊勝浦間などが順次復旧したが、鉄橋の修復に時間がかかった紀伊勝浦―新宮間が最後まで残っていた。
JR西日本は当初、和歌山県が計画していた河川改修計画を理由に「年内の全線開通は困難」としていたが、観光への影響を懸念した仁坂知事が計画を後回しにすることを決断した。紀勢線の全線開通に伴い、京都、新大阪から新宮行きの特急は被災前の7往復に戻る。←引用終わり
(朝日新聞社asahi.com)
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