「東京ゲートブリッジ」開通 東京だけが社会資本を増やし続けるのは、どうなのか?
東京は日本国の首都である。
首都が高度で利便性の高い社会資本を保つのは当たり前だ。
この議論は、明治維新により近代国家を目指した時から「当然」として捉えられ推進されたテーマである。
しかし、日本の首都が「東京」であると規定した法律は何処にも存在しない。
この事実を一体全体どう捉えるのか。
明治維新で、京都から薩摩と長州に伴われ明治帝が東征し、江戸の德川幕府を打ち倒し、そのまま会津も打倒し、結局、箱館戦争で幕府勢力を打ち取る事で終焉させるまで、薩長土肥の四藩には「錦の御旗」が必要だった。
しかしながら、德川幕藩体制の下で組織された参勤交代もあり各藩は江戸屋敷を持っていた。そこに兵を収容し、政治的な指図をし合っている内に江戸城跡を仮の皇居としてしまい、そのまま天皇を江戸から名前を変えた東京(東の京)で仰ぐ事が定着してしまい、日本人の多くは天皇の御在所が首都だと考え、そのまま東京が首都の座を主張しているに過ぎない。
さりとて、京都人が主張するように、「天皇家は東京へ旅行に行かはって、そのままなだけや」という理屈も受け容れがたい。
ここは法律で首都を規定した方が良い。
その上で「東京」が首都でなくとも構わない。
いまさら、東京に集中した社会資本を解体する事もできないのだし。
しかし、現在、ローカルと大都市東京の格差はありとあらゆる意味でもの凄い。
1960年代半ばまでは、大阪にも社会資本と「資本」蓄積があった。
しかし1970年代以降は、大阪を中心に関西に残された資本も人材も殆どが東京へ吸い上げられ、大阪を中心とする関西も「日本の一ローカル」に成り果てた。
その後、バブルの1980年代以降に「東京」は巨大な都市に「変害」した。
21世紀に入って、東京のみが一人発展を指向し「変害」し続けている。
果たして、これが正常な姿なのだろうか?
東京を始め首都圏に蝟集した(させられた)人の故郷は荒れ果て、農業地では耕作放棄地が増え続け、農産物は60%を輸入に頼る国に堕してしまい、間もなく「基礎食料品」を輸入するための「資金」も、財政赤字と経常収支赤字(貿易赤字)で枯渇する状況を前にしている。
それでも、首都圏だけに人を集中させる政策は続けられている。
「東京ゲートブリッジ」に散歩道を設けるのも良いが、それと産業政策、社会資本政策、国土の健全な均衡発展という重要テーマと相反するのではないか。
日本は、ローカルを切り捨て「東京」だけが発展すればよいのか?
それでは「北朝鮮」と何ら変わらないではないか。
引用開始→ 東京ゲートブリッジが開通、さっそく歩道散策も
(2012年2月12日12時05分 読売新聞)
開通して多くの車で混雑する「東京ゲートブリッジ」(12日午前、読売ヘリから)=中村光一撮影
東京湾から富士山や東京スカイツリーを一望できる新名所として注目される「東京ゲートブリッジ」が12日午前10時、開通した。この橋は、東京都江東区若洲と中央防波堤外側埋め立て地とを結ぶ片側2車線の一般道で、長さ2618メートル。海上区間の約1・6キロには歩道も整備されている。
晴天となったこの日、開通と同時に大勢の市民が若洲側から歩道を散策し、右側にくっきりと浮かんだ富士山、東京タワー、東京スカイツリーのパノラマに歓声を上げた。埼玉県所沢市の会社員(25)は「羽田空港を飛び立つ飛行機も間近に見えて迫力あるし、予想よりずっと景色が素晴らしい。友達に自慢します」と、カメラをあちこちに向けていた。←引用終わり
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