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2012/04/20

日本は劣化しているのではないか? 最近感じるコトを指摘するコラムがあった

日本が工業生産品の輸出を軸とする経済で大きな成功を収め「幸福」の絶頂期を迎え、有頂天を経験したのも束の間のこと。
1980年代後半から始まったグローバリゼーションの波に揉まれ、大きな経済構造の変化に対し適正な対応を模索すべく手を拱いている間に、周辺の環境は超速で激変した事もあり日本の経済は巨大な壁に突き当たり、1980年代までの自信は著しく傷つき様々な案件に対し狼狽える事が目立つようになった。

1970年代までは、困難な事象にも果敢に挑戦しこれを克服する事で多くの成功を手に入れた事と、1990年代以降は真逆の事態に包まれている。

経済の衰えは、労働機会の喪失や雇用形態の変化を産み、そこから漏れ出したヒトを有効に集約できず社会の歪みを産む要因を形成しているともいえる。

これらが、社会一般に「なんとなく不安」で「なんとなく不安定」な心情を形成させる要素なのかも知れないが、日本の社会全体が行き場を失い落ち着きを失くしたように見える。

それらもあり、日常の社会生活の場で、どこかで何か不満な要素が「小爆発」するような事態を目にするようになった。
「社会的不満」がどことなく社会生活の中で蓄積し、それが社会全体の中で深く沈殿しているのかも知れない。
特定の組織に属するヒトを除き社会運動を起こし訴求する事、一般的に社会生活を営む日本人は集団で社会変革に挑むことはしない。

その意味で平和に社会を構成するのが常である。
しかしながら、社会に対する不満や憤懣は沈殿し、積極的には解消されないままである。

それでは「心のバランス」が保てない。
で、どこかで「小爆発」したり、弱体な「自己顕示」に出るのかも知れない。
一定の時期、特定の時期に、社会全体を覆うかのように小出しながら「小規模な社会的規範からの逸脱や小さな抵抗」が生じているように見受ける。

これは、社会全体が多少なりとも「劣化」する、あるいは「劣化」した結果にも見える。
ヒトがヒトとしての「矜恃」を保てなくなる現象は、ヒトとしての「劣化」の表れでもあるからだ。

引用開始→ 花見で露呈する“日本人喪失”の現状

文明を逆行する日本人
4月といえば花見シーズン。読者の皆さんも、花見を満喫されたことと察する。海外に住む私には無縁な話。うらやましい限りだ。

花見を楽しむべく、この時期に日本を訪れる外国人観光客も多い。特に中国人は桜が大好きなようで、私の周りにも「日本に行ってきましたよ」という知人が何人かいた。

先日、日本から帰国したばかりの友人と上海で会った。彼女は私に日本での花見の感想をフィードバックしてくれた。

「なんだか異様な雰囲気でした。飲み干したお酒の空き缶を遠くへ放り投げたり、急に喧嘩を始めたり、管理人さんと言い合いを始めたり、酔った挙句道端に寝転んだり、大声で怒鳴ったりという男性が少なくありませんでした」

目の前に座る彼女は、腑に落ちないといった表情を浮かべながら続ける。

「すべての日本人があのような行動をとるわけではないし、依然として秩序が保たれた公共の空間はたくさんあります。ただ、東京で花見の現場を見たときには、正直、中国の地方都市にでも来たのかと錯覚に陥りました」

考えさせられるコメントだ。
日本にいる知人に実際の様子を聞いてみると、「花見と秩序・マナー」について話題になっているという。「節度を守ろう」、「ゴミは持ち帰ろう」、「花見をする公園のルールを守ろう」、などと呼びかけられてはいるようだが、なかなか守られていないのが現状のようだ。

「公園で警備員による持ち物検査、騒ぐ客への注意、見回り強化など、公園管理者による締め付けが強化されているようですよ」と知り合いのメディア編集者も教えてくれた。

締め付けの強化? 日本は文明を逆行しているのか? なんだか中国での状況を聞いているようだ。

国民の自立心、自律性、公共意識が低い社会において「締め付け」は一つの手段として用いられる。中国は都市・農村問わず、まだまだ締め付け社会だ。

ジパング発展の原動力を忘れたのか?
日本の花見に話を戻すと、「締め付け強化」に対して、なかには「客を疑うのか」と逆上したり、職員が注意すると、「周りもやっているじゃないか」と反対に怒鳴られることもあったり、マナーを守らない横柄な客で溢れていると言うではないか。

私の頭の中は混乱している。
仕事柄、日常的に世界各国を渡り歩いている。日本人として、どこの国・地域を訪れても「日本人に生まれてよかった」と誇らしく思えるのは、現地の人たちが「日本の方はマナーが良くて、とっても文明的です。私たちも安心して付き合えます」と称えてくれる瞬間だ。

私たちはこの事実をきちんと自覚すべきだと思う。日本人は親切で、社会的ルールを守り、それゆえに秩序が保たれた治安の良い国、と評価されてきたのである。少なくともこれまでは。

それが、最近では、「身勝手で他人を慮るということがなくなってきている」と国内外で指摘され始めているのだ。

花見に限ったことではない。
数年前から言われている「駅員への暴力」もそうだ。日本経済新聞(2011年11月30日、夕刊、9ページ)は、関連記事「駅・空港・病院で激高、キレる中高年男性目立つ――軽視され自信喪失」の冒頭で「駅や空港、病院などの公共の場で、ささいなことでキレて駅員や職員らに手を出したり、言い寄ったりする中高年男性が目立つ」と指摘している。

言われてみれば、一時帰国の際に、駅に「暴力はやめましょう」というようなポスターを見かける。昔は、そのようなことは他人に指摘されることではなかったはずである。それは、当たり前のことだからだ。

当たり前のことを、当たり前にこなす――。資源の乏しい東洋のジパングがアジアで急速に近代化を遂げ、最初に先進国の仲間入りをした原動力は、ここにあったのではなかったのか。

日本人よ、お前は、どうなんだ?
私は日頃、中国を拠点に執筆活動をしている。中国の読者は「日本人からいろいろ言われること」にとても敏感で、往々にして嫌悪感を抱く。何か問題点を指摘したりすれば、即、「以前俺たちを侵略してきた国の人間に、なんで説教されなきゃいけないんだ!!」とキレられてしまう。

それでも逆ギレはできない。私にとって中国はアウェーであり、感情的になってしまっては相手の思うつぼ。冷静に、ロジックとインパクトを持って闘い続けるしかない。

私は言論活動のなかで、中国人の公共の場における素行問題をよく取り上げる。時間厳守、公共の場での振る舞いなど、北京五輪や上海万博など国家的行事を通じて、都市部では改善されているが、地方や内陸部ではまだまだである。飲酒運転などは日常茶飯事だ。

問題点を指摘する立場にある人間だからこそ、私は中国人との付き合いにおいて、決して、時間の厳守やマナーの遵守などを怠ることがあってはならないと肝に銘じている。一分の隙も見せられない。読者から、「お前は、どうなんだ?」と言われてしまえば元も子もないからだ。

2010年に開催された上海万博の際、日本では「中国人は列に並ぶ練習をしている」と、中国人のマナーの悪さや非常識ぶりを嘲笑する報道が散見された。しかし、日本人はそんなことを言っていられない状況にある。もはや他人事ではないのだ。

はっきり言おう。「中国人の消費マナーが悪い」、「外国人が増えると生活の秩序が乱れる」などと身構え、一方的に批判するだけの時代はとうに過ぎ去った。いまこそ日本人は、「自分のマナーはどうなんだ」と自問自答し、即座に行動へと移すべきである。

問題に向き合おうとしないのは自信がないからだ。

行動に移そうとしないのは気合が足りないからだ。

「べき論」を途方もなく繰り返している場合ではない。「日本人としての尊厳が急速に失われてしまう」という危機感を持って、いますぐ行動に移すのだ。他人を心配している余裕はもうない。

他国の人間のマナーを言う前に、お前は、どうなんだ?

だったら、お前がやれ!!←引用終わり
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加藤嘉一
[国際コラムニスト、北京大学研究員]

1984年静岡県生まれ。英フィナンシャルタイムズ中国語版、香港<亜州週刊>、The Nikkei Asian Reviewコラムニスト、北京大学研究員、復旦大学新聞学院講座学者、慶応義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)。2003年、高校卒業後単身で北京大学留学。同大学国際関係学院大学院修士課程修了。自身のブログは6100万アクセス、中国版ツイッター「新浪微博」のフォロワー数は133万人以上(2012年4月2日現在)。中国で多数の著書を出版する一方、日本では『われ日本海の橋とならん』(ダイヤモンド社)などを出版。2010年、中国の発展に貢献した人物に贈られる「時代騎士賞」を受賞。趣味はマラソン。

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