日中経済関係を考える一つのヒント:
★簡単な整理と理解のために
A 国益の整理
およそ国益の擁護あるいは防衛と言われる国益とは何か。
それは個人(法人=会社、および自然人=全くの個人)の個別利益が、国民国家に「まとめられ集積」されたものです。
実際には小規模な単位で、狭くは個人(法人および自然人)、あるいは地域、また国家という枠組みで集積される事により大きな単位になります。
B 冨という所得
それぞれの国民国家に所属する諸国民の「利益」は、それぞれの個別「所得」として反映されます。
例えば、①原材料(1次産品)を輸入(貿易)し、②素材として加工(生産)し、③素材を更に加工(付加価値生産)し、④加工素材を使用した製品(更なる付加価値生産)を行い、⑤付加価値生産品を商品として市場(流通/輸出・貿易)出荷し、⑥市場(小売業)は商品として販売(利益を得る)します。
このそれぞれの過程で、労働が生じそれに関与する事で富(所得配分)を得ます。
モノという「財」を動かす(輸送・保管・受け渡し)ことで、金融面では「支払い」が生じます。
C 付加価値と競争の優位性
原材料の加工や生産の過程で付加価値が高ければ高いだけ「冨」は増え個別の「所得」は高くなります(付加価値生産性の合理性や速度が問われます)。
市場で流通させる際の競争力(付加価値)が高ければ高いだけ「優位性」があり、対象分野と条件次第で市場独占も可能になります。
D 優位性の維持とその限界
いずれの国民国家も「富」を得るために自国の優位性を維持しようとします。
一方は、圧倒的な存在による影響から軛を断つために取組みをみせます。
E 貿易は労働の輸入であり輸出です
明らかな競合関係にある特定の製品が、労働賃金などの要素価格が著しく低位にある事で価格競争を有利に導き、市場競争を展開すると、仕掛けられた側の製品競争力は急激に悪化する。彼我の要素価格が大きく開いている場合、最終的には一方の国は競争力を無くした当該製品の製造を停止し、当該分野の製品は輸入する事へ切り替えます。
輸入製品は製造を停止せざるを得なくなった国の雇用を奪う(就労機会を奪った)わけで、失業を招いた事になります。競争力を失い輸入品に切り替わった時点で失業の輸入に切り替えたともいえるわけです。
1)1920年代~1930年代の日中経済事情
1> 清朝末期の混沌から近代中国:
孫文による「辛亥革命」(1911)→→→中華民国の建国(1912)
蒋介石による国民革命(1924~1928)→→→国民党政権樹立へ
2> 主たる経済政策:
関税政策、幣制改革(多種多様な通貨の混在を統一)、全国経済委員会、資源委員会、などを形成(統治に向け)
3> 日中経済の実態(出典:信州大学尋問学部 久保亨先生提供資料)
-1 数値データで読む日中貿易および投資(中国の輸入における日本製品の巨大なシェア)
①中国の工業製品自給率(推移:主要基礎4製品)
自給率
1920年
綿糸68・9% 綿布19・4% セメント59・9% ソーダ灰0・0%
(綿糸・綿布は当時のカネボーとニチボー[ユニチカ]が主、セメントは小野田セメント)
1930年
綿糸102・3% 綿布55・3% セメント84・6% ソーダ灰35・6%
1936年
綿糸102・3% 綿布86・5% セメント92・0% ソーダ灰52・7%
②中国の貿易構造の変化
輸入1912年
一次産品25% 重化学工業製品14% 軽工業製品(雑貨)55% その他6%
輸出1912年
一次産品40% 重化学工業製品5% 軽工業製品12% 手工業品40% その他3%
輸入1926年
一次産品35% 重化学工業製品19% 軽工業製品(雑貨)44% その他2%
輸出1920年
一次産品36% 重化学工業製品5% 軽工業製品20% 手工業品36% その他3%
輸入1930年
一次産品35% 重化学工業製品29% 軽工業製品(雑貨)34% その他2%
輸出1926年
一次産品37% 重化学工業製品3% 軽工業製品25% 手工業品32% その他3%
輸入1932年
一次産品40% 重化学工業製品27% 軽工業製品(雑貨)26% その他7%
輸出1930年
一次産品40% 重化学工業製品5% 軽工業製品22% 手工業品31% その他2%
輸入1933年
一次産品45% 重化学工業製品33% 軽工業製品(雑貨)20% その他2%
輸出1933年
一次産品35% 重化学工業製品6% 軽工業製品26% 手工業品32% その他1%
輸入1936年
一次産品25% 重化学工業製品47% 軽工業製品(雑貨)14% その他14%
輸出1936年
一次産品40% 重化学工業製品8% 軽工業製品14% 手工業品37% その他1%
③中国(国民政府)の財政収入 1928~1936年
1928年
関税:2億元、塩税:2千万元、統税(消費税=限定品蔵出税):1・5千万元、内債:1億元、借入金:1千万元、その他:1・5億元
1930年
関税:2・5億元、塩税:1億元、統税(消費税=限定品蔵出税):5千万元、内債:1億元、借入金:1千万元、その他7千万元
1933年
関税:2・5億元、塩税:1・5億元、統税(消費税=限定品蔵出税):7千万元、内債:7千万元、借入金:5千万元、その他:1億元
1936年
関税:3・8億元、塩税:2億元、統税(消費税=限定品蔵出税):1億元、内債:2億元、借入金:1億元、その他:2億元
*いずれも各種資料を統合推計
④中国の主要貿易相手国
a:輸入相手推移
1901~1903年
香港:41・6 日本:12・5 米国:8・5 イギリス:15・9 独・仏・東欧:6・4 ロシア:0・8
1919~1921年
香港:22・4 日本:29・2 米国:17・6 イギリス:14・1 独・仏・東欧:1・4 ロシア:1・4
1929~1931年
香港:16・1 日本:23・1 米国:19・2 イギリス:8・6 独・仏・東欧:6・8 ロシア:1・5
1936年
香港:1・9 日本:16・6 米国:19・6 イギリス:11・7 独・仏・東欧:17・8 ロシア:0・1
b:輸出相手の推移
1901~1903年
香港:40・3 日本:12・5 米国:10・2 イギリス:4・8 独・仏・東欧:17・3 ロシア:5・5
1919~1921年
香港:28・2 日本:28・6 米国:14・4 イギリス:7・6 独・仏・東欧:4・9 ロシア:3・3
1929~1931年
香港:17・2 日本:26・2 米国:13・8 イギリス:7・1 独・仏・東欧:8・1 ロシア:1・5
1936年
香港:15・1 日本:15・2 米国:26・4 イギリス:9・2 独・仏・東欧:9・8 ロシア:0・6
⑤中国の輸入品の中身
1926年
日本:一次産品20% 重化学工業製品18% 軽工業製品(雑貨)60% その他2%
米国:一次産品58% 重化学工業製品20% 軽工業製品(雑貨)20% その他2%
1930年
日本:一次産品16% 重化学工業製品27% 軽工業製品(雑貨)55% その他2%
米国:一次産品60% 重化学工業製品23% 軽工業製品(雑貨)15% その他2%
1933年
日本:一次産品15% 重化学工業製品33% 軽工業製品(雑貨)50% その他2%
米国:一次産品60% 重化学工業製品25% 軽工業製品(雑貨)12% その他3%
1936年
日本:一次産品15% 重化学工業製品50% 軽工業製品(雑貨)30% その他5%
米国:一次産品30% 重化学工業製品40% 軽工業製品(雑貨)10% その他20%
*重化学工業製品の多くは機械
*米国の一次産品は優良小麦と石油
*日本からの軽工業品の主品目は綿製品と雑貨
*1936年の輸入品で日本および米国から重化学工業製品が増加している
*中国が自給力を高めた事で日本からの軽工業製品(雑貨)の輸出比率が減少している
*中国は工業的自立へ向けて取組み志向を強める
*米国は中国へ貿易を重化学工業製品に切り替え中国支援を強める
⑥対中投資の中身
a:各国からの投資
単位:百万US$
1902年
香港:0 日本:1(-%) イギリス:260(33%) 米国:20(3%) フランス:91(12%) ドイツ:164(20%) ロシア:247(31%)
1914年
香港:0 日本:220(14%) イギリス:608(33%) 米国:49(3%) フランス:171(11%) ドイツ264(16%) ロシア269(17%)
1931年
香港:0 日本:1137(35%) イギリス:1189(37%) 米国:197(6%) フランス:192(6%) ドイツ:87(3%) ロシア:273(8%)
1936年
香港:0 日本:1394(40%) イギリス:1221(35%) 米国:299(9%) フランス:234(7%) ドイツ:149(4%) ロシア:0
*対中国投資で重要な役割を果たしてきたのはイギリス
*日本は1920年代以降、イギリスを押しのけ対中国投資を急増させ主役に躍り出ています
b:対中国投資の内容(日英米の比較)
1930年
日本の総額1137 [借款224 直接投資874]
直接投資の内訳(%)
工業21・0 鉱業8・0 交通23・3 公共1・8 貿易21・0 金融8・4
イギリスの総額1189 [借款226 直接投資963]
直接投資の内訳(%)
工業18・1 鉱業2・0 交通13・9 公共5・0 貿易25・1 金融12・0
米国の総額197 [借款42 直接投資150]
直接投資の内訳(%)
工業13・7 鉱業0・1 交通7・2 公共23・4 貿易31・8 金融16・8
1936年
日本の総額1394 [借款241 直接投資1118]
直接投資の内訳(%)
工業29・4 鉱業2・0 交通50・0 公共0・3 貿易4・1 金融8・6
イギリスの総額1221 [借款162 直接投資1059]
直接投資の内訳(%)
工業17・0 鉱業1・5 交通5・8 公共4・6 貿易23・0 金融28・5
米国の総額299 [借款54 直接投資245]
直接投資の内訳(%)
工業3・8 鉱業0・0 交通2・5 公共28・6 貿易38・6 金融21・8
-2 簡単な整理
①日本の対中投資は主に国策会社の南満州鉄道(満鉄)による満州地域への直裁的な鉱工業と鉄道輸送に軸足があり姿が見えやすい特徴を持ち、イギリスの直接投資は金融貿易等への投資で陰に隠れ姿を見せないものの重要機能に投資した事が窺えます
②それらが作用し中国で圧倒的な存在感を示しています
③日本が中国大陸において日中の経済関係を強化し、存在感を強める事で中国大陸において国民国家として一定の権益を持っていたイギリス、フランスと権益確保で拮抗し合う結果となります
④市場としての中国のポジションは過去も現在も同様
⑤日中の工業発展段階の類似性(現代21世紀も同じ軌跡。中国の経済発展に伴い摩擦が拡大)
-3 日中関係の情勢変化
①日中関税協定(1930)
中国経済の発展に伴う摩擦調整(日本の輸出品[綿製品]市場確保外交)
②満州事変(1931)
日本の軍事行動(軍事力による東北三省=華北権益拡大)
③上海事変[上海侵攻](1932)
④熱河・河北侵攻(1933)
⑤日本「天羽声明」在華権益擁護を強調(1934)
⑥日本による華北分離工作活発化(1935)河北省東部に日系地方政府を樹立
⑦日本は華北地域に独立性の高い自治政府を樹立
(お断り:キーノートは信州大学人文学部教授久保亨先生によります)
*数値の年が一定でない理由は、基礎年についての基本統計資料がなく、各種の数値を参照推計しているためです。
*できるだけ比較しやすいように揃えています。
2)高い優位性はいつまでも続きません
高い優位性を保持する特定の側が、ある市場での支配力を強め特定市場における占有率を高めると、当該市場において従前から一定の権益を保持する関係国は相互の利益を擁護する目的で相互の連携と関係性を深める事で対抗措置に出ます。
1930年代における日中間の経済関係は、日本が一方的に優位性を保ち消耗品としての軽工業製品(雑貨)を中心に中国市場を席巻しようとします。
同時に、重化学工業製品(主として機械)を持ち込み一次産品としての鉱業開発を進行させ、同様に近代工業を組成しています。
日系企業の手による軽工業分野であろうとも工業化を成し遂げる事で、それらはやがて中国で製品流通を始める事になります。
また、中国国民政府は関税徴収を強化し国庫財政の改善に取組み国造りに供すると共に、輸入を抑制し国内の産業を育成する事になります。
これらの相互作用もあり、日本国内で輸出産業として従事した者の就労機会を奪う事になり、やがて日本は就労機会を満州や華北に求める政策を採用します。
1930年代の日中経済関係を眺めると、中国と日本の権益が目に見える形で徐々に対立し始め、従前から一定の権益を持つ側も含めた対立に発展した事で、有効な知恵を見出す間もなく避けがたい事態に至ったらしめた事は極めて残念と言わざるを得ません。
現状を前に、有効な知恵と手段を考えるヒントになればと考え記録掲出しておきたいと思います。