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2013/08/31

藤圭子の逝去で外野は、自分の売名目的で針小棒大、実にウルサイねぇ

世の中には知ったかぶりをするヒト、ホントに多いんだねぇ~!
自分だけが知っている。
此処だけのハナシ。
アナタにだけ教えてあげる。

必ず、そんなヒトが現れるものですが、この度も世間を賑わせ売名にお忙しいようです。
「死人に口なし」ですから、いわば「言いたい放題」状態ですね。
静かに、弔って上げようなんて気持ちはないのでしょうかね。

かく言う「コラコラコラム」もその部類なのでしょうが、
でも、藤圭子さんの人生にというか生き様に尊崇はありますよ。
だから、静かに見守って上げましょうと言っているワケです。
「死者に鞭打つ行為は、止めましょう」と。

引用開始→ 故・藤圭子さん「不幸な生い立ち」あったからこそ成功できた
(夕刊フジ2013.08.30)

8月22日の朝、藤圭子さん(享年62)、が東京新宿区の自宅マンションから飛び降り自殺し、搬送された病院で亡くなった。浪曲師の父と三味線奏者の母の間に、3人きょうだいの末っ子として生まれた藤さん。生活は苦しく、両親は自宅のあった北海道や東北を中心に旅回りをし、お祭りや炭鉱、寺の本堂、旧家の大広間などで歌をうたい、その日暮らしだった。

そして、藤さんもまた家族を支えるため、10才になると両親と一緒に歌をうたうようになる。マイナス20℃の中、車も使わず、膝まで雪に埋もれながら何時間も一家で歩く。泊まる宿がない時は、町外れのお堂の中で一家5人肩を寄せ合い眠りにつく。そんな壮絶な毎日は、藤さんから学業も奪ってしまう。

「学校が終わると、毎日歌をうたいに夜の町に出かけるという生活だった藤さんですが、勉強が好きで学校の成績がよかったんです。もちろん進学して、もっと勉強したいという思いは強かったと思います。でも、家族を支えるため、中学卒業後は歌一本でやっていくことを決めたんです」(音楽関係者)

そんな藤さんの強い思いが届いたのか、偶然彼女の歌を聴いた作曲家にデビューをもちかけられ上京。17才の時だった。1970年にリリースされた『圭子の夢は夜ひらく』は藤さんの代表曲となった。

時代は高度経済成長のまっただなか。国が豊かになっていく一方で、貧しさに苦しむ人や時代に翻弄される女性が見過ごされる時代だったからこそ、藤さんの歌は怨みが込められた「怨歌」として評判を呼んだ。『圭子の夢~』は77万枚の大ヒットを果たし、その年のNHK紅白歌合戦にも出場。プライベートでは翌1971年に前川清(65才)と結婚する。

しかし、8月25日放送のテレビ番組で、藤さんと同世代であるテリー伊藤(63才)が「彼女が幸せになることを良しとしない雰囲気が実はあった」と語ったように、世間はそんな彼女を冷ややかな目で見ていたという。

「時代の“不幸”を歌った圭子さんの歌に多くの人が共感したのは、彼女自身の不幸な生い立ちがあったからこそ。歌手としても大成功を収めただけでなく、20才の若さで結婚し女性としての幸せを掴んでしまったことで、多くのファンがしらけてしまったところがあったのではないでしょうか」(前出・音楽関係者)

もしかしたらそんな周りの空気に負けてしまったのかもしれない。結婚生活はわずか1年で破綻した。同時期に藤さんの両親も藤さんの収入を巡って対立し離婚してしまう。

藤さんは目の不自由な母をひとりにしておけないと、父とは絶縁した。都心の一等地に建つ高級マンションで母との生活が始まったものの、同じ怨歌をうたっているのに、ヒット曲が生まれない。

1980年代に到来するアイドルブームの火種があちこちでくすぶっており、藤さんはたったひとり、取り残されたような気持ちになっていた。そうして彼女は、自由の象徴であるアメリカへ強い憧れを抱くようになった。1979年、藤さんは引退を表明、渡米。その後、藤さんは米国で宇多田照實氏と出会い、最愛の娘であるヒカルを産む。←引用終わり
※女性セブン2013年9月12日号
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引用開始→ 藤圭子さんをとりまく“愛憎劇” 実兄が元夫・照實氏批判で広がる波紋
(夕刊フジ2013.08.30)

今月22日に都内マンションから飛び降り自殺した歌手、藤圭子さん(本名・阿部純子、享年62)をめぐり、関係者の愛憎関係が浮き彫りになっている。とりわけ、藤さんの実兄が週刊誌で元夫の宇多田照實氏(65)を批判したことは、波紋を広げそうだ。

「とても長い間、精神の病に苦しめられていました」。娘のシンガー・ソングライター、宇多田ヒカル(30)が明かした藤さんの病気。この病気が理由の1つなのか、晩年、藤さんが自ら距離を置いたり関係を断ち切ったりした人は照實氏はじめ実母や恩師といった人たちに及んでいる。そして藤さんの兄、三郎氏もまた、照實氏側とコンタクトが取れない環境になっている。

三郎氏が激白したのは29日発売の「週刊文春」。元歌手でその後は飲食店を経営し、現在は隠退生活を送っているという三郎氏は、「なぜ、血を分けた兄である私が、妹の遺体に会うことさえできないのでしょうか」と照實氏の方針を批判。「宇多田君はこれまでも圭子と家族を切り離し、会わせないようにしてきました」「藤圭子後援会の人もシャットアウトされていました」とコメントしている。

藤さんと家族の断絶は、実の母で浪曲師の竹山澄子さんでも同じだった。藤さんと、2010年11月に80歳で亡くなった竹山さんとは、1990年ごろから金銭トラブルで絶縁状態に。竹山さんの葬儀に藤さんが足を運ぶことはなかった。

恩師で今年3月に腎臓がんで亡くなった作詞家、石坂まさを(本名・澤ノ井龍二)さん(享年71)が99年、本紙に連載していた「宇多田ヒカル 奇跡のルーツ」を書籍化した「宇多田ヒカル 母娘(おやこ)物語」には、藤さんと竹山さんとの関係について、《純ちゃんは、母の執念に培われて栄光の座を掴むが、母と娘の戦いも猛烈だったに違いない》と明かしている。

その石坂さんとも藤さんは晩年、関係が悪化していたという。

石坂さんが藤さんとの出会いから断絶までを赤裸々につづった同書には、藤さんが石坂さんと二人三脚でデビューし、猛烈な売り込み合戦を経て大人気になった過程だけでなく、藤さんが芸能事務所を転々として人気が去った後、照實氏と出会ってからの足取りが描かれている。

特に、石坂さんが藤さんと決別したくだりには多くのページが費やされている。《この七年間ほど時代と戦った戦友、藤圭子との別れは、思ったよりジメジメしないで爽やかだった》《純ちゃんを栄光から地獄へと突き落としたのは、僕が歌書きをやめ、マネージャーに徹して純ちゃんを守り続けていなかったからだ》と、悔悟の念がつづられている。

そして藤さんの最大の愛憎は、照實氏と娘・ヒカルとの関係だった。2007年に藤さんと照實氏は離婚したが、娘の親権をめぐる確執があり、藤さんの病状悪化もあいまって、離婚後は距離を保ったままだった。

孤独に追い込まれた藤さん。文春誌上で三郎氏は、3年前、絶縁状態になっていた母、竹山さんの元を訪れて、3000万円を渡したことを明かしている。

「母の娘であることを誇りに思います。彼女に出会えたことに感謝の気持ちでいっぱいです」と胸中を明かした宇多田は、母の愛憎関係をどう昇華していくのだろうか。←引用終わり
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