平成25年 「灘のけんか祭り」は宵宮は好天、本宮は荒天の内に納めました
平成25年、松原八幡宮の秋季例大祭「灘のけんか祭り」は、14日(宵宮)、15日(本宮)を納めました。
標題のように宵宮は、鮮やかに晴れ渡った「秋空」の下で、豪壮華麗に執り行われました。
写真は、神戸新聞社提供の「写真ニュース」にリンクし紹介しておきます。(宵宮)
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http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/photo_gallery/04/201310/0006419971.shtml
(近々に、撮影分を整理し、アップ致しますが、暫くの間ご辛抱下さい)
宵宮の圧巻は:
今年、屋台を新調した「東山」に、来年、屋台を新調する予定の「八家」との20分を超える境内での練り合わせでした。 (東山と木場の2台練り)
最初は、例年どおり「東山」の本殿拝礼があり、続いて「木場」の本殿礼拝、その後「東山」と「木場」の2台練りが始まり、これは「木場」が落とし敢えなく結果が出ました。 (最初は、東山・木場・八家の3台練り)
続いて、練り合わせでは真打ちの「八家」が本殿拝礼を終え「東山」「木場」「八家」による恒例の3台練り合わせが始まりました。
今年は本宮で神輿年番を務め、来年は屋台を新調する「八家」は、現在の屋台練りは宵宮が最後になります。旧村で最少戸数(400弱)ながら、屋台練りには定評のある「八家」の練り子は、一端、屋台を降ろし息を整えた後、激しい胴衝きで練り上げ一気に「東山」屋台へ迫りました、「木場」屋台も続いたものの「八家」の迫力に圧倒され、「木場」が最初に戦列を離れ落としてしまい3台練りは、今や伝統の「八家」と「東山」の2台練りの展開となりました。 (八家は東山より高い位置を保持)
(20分を超え、東山が落とす直前)
お互いに譲らず、「屋台を落とせば末代までの『八家』の恥」との気合いで「八家」は何度も「東山」に仕掛けますが、新調した年の軽量感もあり「東山」は攻められ仕掛けられても持ち堪え、息を呑む大迫力の練り合わせ(練り比べ)は20分を超える大勝負となりました。
おそらく「灘のけんか祭り」の歴史に残る記憶となるでしょう。
(この写真は、後に、このスレッドのこの位置へ必ずアップします)
「八家」による何度目かの攻勢仕掛を受け、ついに「東山」が落とし、「八家」に凱歌が上がりました。境内で見守った2000人近い観衆から「八家」の勝負強さ、「東山」の粘りに惜しみない拍手や歓声が上がった事は言うまでもありません。息を呑む迫力満点の勝負を見守った「木場」からも両者を讃える拍手と歓声が上がりました。
「八家」の練り手の友人がいわく、胴衝きで上げたのは、最初から脇棒を高い位置で構え「東山」の脇棒へ乗せてしまい一気に勝負を付ける考えだったが、ドッコイ「東山」もそれを警戒し腰を屈めず伸ばして屋台を担ぎ上げていたので、僅かな高さを超える事ができず同じ高さの位置での脇棒合わせになった、そうなると新調して軽い方が有利になるため、早い仕掛攻勢を何度も繰り広げたが、新調した屋台を練る「東山」の気合いも凄く粘られた。もう、最後は歯を喰い縛り屋台の重みに耐えるしかなく、棒端以外の部署は何が何やら分からないまま20分を超えて力の限りになった、と説明してくれた。
この練り合わせの結果、例年通り宮戻しで「妻鹿」を迎えに行き2台並んで戻る道中で、2回も落とす事になり「妻鹿」の練りより恥ずかしい事になった。境内練り合わせで最初の仕掛に失敗したのが残念だったと、説明していた。
15日の本宮は、14日の午後4時に開かれた「八幡宮総代会」の決定により、雨が降っても15日に決行する事になり「時間厳守」を徹底し「御旅山別宮神事」は執り行うと発表。
写真は、神戸新聞社提供の「写真ニュース」にリンクし紹介しておきます。(本宮)
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http://www.kobe-np.co.jp/rentoku/photo_gallery/04/201310/0006422295.shtml
本宮は、朝から午前11時頃までは小雨で、「八家」の宮入と神輿練りは、「妻鹿」「宇佐崎」「中村」の屋台が宮入し境内を廻る間に執行する異例の展開で、雨による影響を避ける手当てを行い、「八家」は神輿合わせを境内と宮前広場で行った後、激しくなった雨に中を「松原」の露払いと「獅子壇尻」、神官に従い渡御のため「御旅山広畠」を目指しす展開になった。
境内巡回中の「妻鹿」「宇佐崎」「中村」は境内での3台練りを終え、宮出し、境内に据える「木場」が宮から出て神輿の後に続き、以降「松原」「中村」「妻鹿」「宇佐崎」「東山」と6台の屋台が弁当休憩もなく「御旅山広畠」へ続いた。
「御旅山」では別宮へは、「松原」の露払いと獅子壇尻が神官を先導し、広畠で神輿合わせを終えた「八家」に担かれた3基の神輿「一の丸(応神天皇)」「二の丸(神功皇后)」「三の丸(ヒメ大神)」が山上の別宮まで登り、激しい雨風の中ながら無事に神事を終える事ができました。
この間、露払い、獅子壇尻、神官、3基の神輿が広畠へ降りてくるまで、6台の屋台は山登りの山道も広畠でも事故の危険を避け「御旅山広畠」で待機しました。
(ずぶ濡れで、極めて異例の祭事となりました)
「八家」が担当した神輿の宮戻りに従い、山への道中順に従い、「木場」と「東山」は国道250号を東へ、「妻鹿」は月坂を越え、「松原」「中村」「宇佐崎」は松原の参道を激しい雨を衝いて戻り道中しそれぞれの屋台蔵へ戻りました。
「中村」は八幡宮西から、最後の力を振り絞り宮前広場を周回し楼門で拝礼した後、屋台蔵まで雨の中を戻り、午後6時30分頃に蔵入りし納めました。
2011年宵宮の激しい雨も「灘のけんか祭り」の歴史に残りますが、2013年の本宮も歴史に残る祭りでした。
各旧村の祭典役員の皆様、参加者の皆様、ご家族の皆様を始め、祭礼にご参加なさいましたすべての皆様のご理解の下で大きな事故もなく、平成25年の「灘のけんか祭り」を納める事ができました。
(祭礼の写真は、厳選した上で、この「ブログ」の写真「灘のけんか祭り」へアップさせて頂きます)
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