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2014/01/11

ゾンビか亡霊か 細川護煕が「負けを覚悟で」東京都知事選挙に出ると

細川護煕ジィさん。

「東京都知事選」へ立候補の意向を固める!
一国の首相まで務めた政治家の「引退宣言」の軽さを思い知らされますね。

1999年に政界引退を宣言。その後は隠棲し「陶芸家」として生きてきた。
それが「脱原発」を主張し、少しばかり脚光を浴びた。
ご本人の言によれば、経済界の知人、文化人の知人からも「東京都知事選挙」に手を挙げろと促されているので、総合的に考え結論を出したいとのこと。

総合的に考えというのは、「小泉純一郎」の支援を受けて「元首相連合」とでもいうか、ポピュリスト政治家同士が相集う構図を真面目に考えての事ですか。

確かに、政治家は人気商売!
(それは間違いない)
でもでも、①政策構想能力、②政策形成能力、③政策遂行能力、④行政組織管理能力、⑤行政経営能力が必要ですよね。
細川護煕は、首相の地位にありながら、それができなかったじゃないですか。
無責任にも途中で内閣を投げ出し、政策も、組織も、ご自身の責任すら、放り出し無責任を発揮したじゃないですか。
(さすがに細川家の殿様は「朝日新聞」に似合っているよなぁと感心させられましたよ)

この間、15年、「陶芸家」細川護煕として作陶をなさって、ある展覧ギャラリーで一度だけ拝見しました。
(なかなかの味わいがありましたが)

でぇ、この間、世の中を俯瞰され、思い致す処があったというわけですか。
それなら、首相在任の時に「カナダでのG7サミット」に深紅のマフラーを巻いて出かけ、記念撮影に収まっただけの仕事しかしなかったわけですから、そのご自分の政策を充分に総括され「反省」を示される事が先決なんじゃないですか。

あっ、そうそう、衆議院の選挙制度で「小選挙区」を始め「政党交付金」など、小澤一郎の恫喝を前に、あっさり白旗を揚げ、小澤一郎のポチと同じで言いなりでしたね。
もう一つ、「国民福祉税構想」を深夜というより未明に記者発表し、それを機に政権投げだされた事は、まだまだ記憶に新しいところですよ。
何よりも、東京佐川急便から違法献金(1億円)を受け、イイ加減で適当な領収書(何処の誰が作ったのか真偽も定かでない)で逃げ切ろうとし、逃げきれず、あらゆるポジションを投げ出したじゃないか。
まだ、合理的な説明はできていませんよ。
ほとぼりが冷めたと考え、出てくるわけですか?

また、東京都知事の席を得ても、得意技の「投げだし」を秘めての事ですかね。

「東京都知事」は、原発の是非というシングルイシューだけじゃないよね。
(それは国の国防と競争力全体を考えた国の政策テーマでしょうが)
宇都宮健児も分からないですが、「東京都」が日本国の上位に位置するわけじゃないですからね。何か大きな誤解がありますよね!

醜態を曝さず、晩節を穢さず、人後に劣らず、不義密通をせず、どうですか。
小泉純一郎も、ポピュリスト同盟を考えての事だろうが、イイ加減にしてもらいたい。

引用開始→ 【名言か迷言か】細川-小泉連合なら都知事選一変?
(産経MSN2014.1.11 07:00)

東京都の猪瀬直樹前知事の辞職に伴う東京都知事選(23日告示、2月9日投開票)は、細川護熙元首相が出馬を決断したことで構図が一変する可能性が出てきた。これまでは、知名度抜群の舛添要一元厚生労働相が圧倒的に優位と見られてきたが、細川氏に「脱原発」を提唱する小泉純一郎元首相がついた場合には、「細川-小泉」の元首相連合が台風の目となる可能性もありそうだ。

細川氏浮上のカギ握る小泉氏
細川氏は「脱原発」論を主軸に選挙戦を展開すると見られる。自民党の石破茂幹事長は「原発政策は一義的には国政の課題だ」と指摘しているが、東京都内に原発があるわけでもなく、本来は都知事選の争点にはなりえないテーマだ。

ただ、「脱原発」で軌を一にする小泉氏が細川氏を本格的に支援した場合には状況が変わる可能性がある。小泉氏は平成17年衆院選で「郵政民営化」という単一の争点を作りだし、当時の自民党は大勝した。現在の小泉氏の発信力が当時ほどではないにせよ、大きな影響は与えそうだ。

細川氏は昭和13年1月生まれの75歳。14日の誕生日には76歳となる。2020年東京五輪開催時に都知事であるとすれば82歳だ。年齢差別をするつもりはないが、激務の知事職をこなせるかという問題もある。

そもそも小泉氏が首相かつ自民党総裁だった平成15年、自民党は衆院選比例代表に関し「原則として公認時に満73歳未満」との候補者選定基準を正式決定。小泉氏は「首相や総裁の経験者」といった例外を設けることなく、宮沢喜一氏、中曽根康弘氏の首相経験者2人に自発的な引退を促し、党の若返りを図った経緯がある。小泉氏は当時、両氏の進退について「ご本人が判断すべきものだが、引き際があるんじゃないか」と記者団に語っていた。同年に行われた衆院選の街頭演説でも「世代交代しなければならない。いつまでも年寄りが政界で頑張ってちゃいかん」と述べている。

小泉氏は信念を曲げずにブレないことで定評がある。ただ、「73歳定年制」を厳格に適用した過去があるのに細川氏を例外扱いするとすれば、説明が求められることにもなりそうだ。

舛添氏優位に死角も?
舛添氏は「無所属で出る」としており、党派色を薄めて戦いたい考えのようだ。各種世論調査で自民党の政党支持率が高いとは言え、過去の都知事選で石原慎太郎氏(日本維新の会共同代表)や猪瀬直樹氏らは党派色を薄めた戦い方で大勝した。舛添氏にとっても、「無所属」を強調することで無党派層の票を惹きつけつつ、自民、公明両党が裏で実質的に支援するというのが理想的な戦い方だろう。

ただ、自民党は一枚岩ではない。「党本部も都連も一糸乱れず選挙戦を戦う」との方針では一致しているものの、舛添氏は自民党を批判して離党して、党から除名された過去があり、党内にアレルギーは強い。都連が舛添氏を推薦するのも「党内で舛添氏を積極的に推す人は少ないが、他に候補者が見当たらない」(都連幹部)というのが本音で、不戦敗を防ぐためにしぶしぶ支援するというのが実情のようだ。

それでも、舛添氏が優位である状況は揺るがないとみられる。公明党は都知事選の対応を決めていないものの、舛添氏は同党と良好な関係を保ち続けている。公明党は昨年7月の参院選(比例代表)では東京都内で68万票を集めた。都議選でも、都全体ではコンスタントに60~70万票を集めているとされる。自民都連幹部からは早くも「当選ラインは200万票」との見通しが出ているが、公明党が細川氏を支援するという想定しづらい状況にならない限りは、舛添氏は安定した戦いを進めるだろう。

とはいえ、元日弁連会長の宇都宮健児氏=共産、社民両党推薦=が出馬を取りやめ、「脱原発統一候補」として細川氏を支援することになれば、状況は一変する可能性もありそうだ。前回都知事選(24年12月)における宇都宮氏の得票数は96万票あったからだ。

民主党の菅直人元首相は9日付のブログで「宇都宮さんは良質な候補者だが、社共の支持だけでは当選は難しい。細川さんが立候補を決めれば原発ゼロを求める都民は、当選可能な細川さん応援に集中すべきだ。細川さんであれば、たとえ舛添さんが出馬しても、十分当選できる可能性があるからだ」と書き込んだ。脱原発が選挙の争点になることの是非や、菅氏のこれまでの功罪はともかく、単なる戦況分析としては頷かされるものがある。(小田博士)←引用終わり
© 2014 The Sankei Shimbun & Sankei Digital

引用開始→ 首相も国会議員も投げだしの過去 細川氏
(産経MSN2014.1.10 22:50)

細川護煕元首相は過去、旧熊本藩主細川家と五摂家筆頭近衛家の血筋を引く華麗さを背景に「新党ブーム」「政権交代」の火付け役として常に脚光を浴びてきた。その一方で、職を途中で投げ出す癖もあった。

「60歳を区切りにしようと思ってきた。ここが区切りのつけ時と判断し、辞職を決意した」

16年前の平成10年4月、民主党結党を見届けた細川氏は突如、任期途中の衆院議員辞職を表明し、政界から身を引いた。

細川氏の国政入りは、自民党公認で初当選した昭和46年6月の参院選にさかのぼる。当時33歳。だが、自身が政界再編を引き起こす覚悟がすでにあったのか、産経新聞のインタビューにこう答えている。

「自民党自体も破滅すると思いますね。また破滅したっていいと思うんですよ。自民党が分裂するなら分裂したらいいと思う」

細川氏は参院議員を2期務め、大蔵政務次官などを歴任。58年に熊本県知事に転じると、2期8年務め、「日本一づくり運動」など斬新な政策で全国的に“ニューリーダー”としての知名度を高めた。

3選を目指すと思われていたが、「『10年一区切り』を念頭に仕事をやってきた」と不出馬を表明。退任後については「衆院議員とか東京都知事とかの噂があるが、全く白紙の状態」と述べるだけだった。

だが、退任1年余り後の平成4年、新党の結成構想を発表。これが後の新党ブームのさきがけとなる日本新党となる。

「私がソロを弾き始めた。次第にそれが大きなオーケストラになる」

新党結成宣言でこう語った細川氏ら野党は、5年7月の衆院選で自民党を過半数割れに追い込み、8党・会派による非自民連立政権を誕生させた。社会党、新生党、公明党、日本新党などの統一候補として推された細川氏は同年8月、79代首相となった。

政権発足後の産経新聞とフジテレビの共同世論調査で内閣支持率は83・4%に達した。自民党時代から最大の懸案だった政治改革関連法を成立させるなど高い支持を得ていた。

だが、政権は新生党の小沢一郎代表幹事が影響力を握る。細川氏が6年2月に発表した税率7%の「国民福祉税」構想も小沢氏の主導とされ、税率の根拠を「腰だめの数字」としか説明できず、翌日には撤回せざるを得なかった。

細川氏が政権の座を降りざるを得なかったのは、佐川急便から1億円を借入した問題だった。6年の通常国会は、自民党の激しい攻撃に遭い、予算審議に入れない非常事態となった。

「私個人の問題が現実に国会審議の障害になっている。政治の最高責任者の道義的責任は重い」

「政治改革」を標榜(ひょうぼう)していた細川氏だったが、退陣を選んだことで、自身の「政治とカネ」の疑惑を闇に葬り去った。

細川氏はその後、日本新党を解党し、小沢氏らと新進党を結党したが、別の金銭問題が浮上し、突然離党。理由を「今の政治の流れがこれでいいのか一人で考えてみたい」と説明したが、その後もフロムファイブなどを経て民主党の結党を見届け、“定年”を理由に衆院議員を辞した。

細川氏は昭和13年、細川家17代当主、護貞氏の長男として生まれた。母方の祖父は近衛文麿元首相。護貞氏は産経新聞のインタビューを受けた際、当時日本新党代表だった細川氏について問われると、こう笑い飛ばした。

「生臭いことをやっている俗人ですな。『そんな俗っぽいことおやめなさい』と言ったんだが。ハッ、ハッ、ハッ」(峯匡孝)←引用終わり
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