大学は「学位記」販売業だろう 4年間授業料を納付すれば代わりに「学士学位記」の領収書が出る
こういう事は言いたくないが、
最近、東京の元名門と云われる某私立女子大学を経営する理事長が、
偏差値の低い大学は授業料が高く教職員の年俸も高い傾向にあり、
反対に相対的に偏差値の高い大学は授業料が安く教職員の年俸も低い傾向にあると述べたそうな。
それを巡って、その某私立女子大学より遙かに下(最底辺)を行く大学や大学院で定年後も居座り続けた疫病神みたいな元教員が、考えさせられる点が多いとSNSへリンク紹介していた。
余りにもお粗末でみっともないので、
「中位以下で底辺に近い大学は、学位記を売っているワケだから、
社会のニーズに合っているので、それを自虐ネタにするならいざ知らず、
そのお零れでメシを喰っている理事長が、何をアホ~な事を」という趣旨のコメントをつけてやった。
いまや大学(短大を含む)への進学率は60%を超えている。
全国の大学の総収容定員数は、進学希望者の総数を上回っている。
わかりやすく云えば在庫過多なのである。
その上、教育詐欺同然の専門学校を加えると、もう高校卒で社会へ出る人は稀少な存在といえる。
全体の大学進学率が15%だった頃なら、例え底辺の大学でも、それなりに教育的価値は保持していただろうが、沿線一駅大学とかバス停大学と云うくらい800近い大学が溢れかえると学位記そのものに大した意味などないのだ。
学位記は、4年間授業料を払ってくれたら「領収書」として手交するワケである。
つまり大学は教育機関ではなく「学位記」販売業になっているのだ。
それなら、著名大学の学位記を買いたいという名誉欲だけの学生を体よく釣り上げた大学が勝ちである。
つい先日までは、例えば、
早稲田大学は有名税とも云え、中身はなくても取り敢えず早稲田という学生を基本的に喰いながら、少数の有為の人材に投資し学生を育ててきた。
しかしながら、理化学研究所の「STAP細胞」研究論文の自爆作用に引きずられるように、早稲田大学大学院の博士課程における研究指導や博士学位請求論文の査読や審査能力に対し大きな疑問が投げかけられる事になった。
結局、早稲田大学大学院も「学位記」販売事業だった事を露呈させたのである。
早稲田大学大学院の博士課程でまじめに研究され、その成果を広く社会に問い「課程博士(Ph,D.)」を得られた皆様に対しては、その業績を評価し揶揄する悪意は毛頭ありません。
まじめに研究と取り組まれました皆様は、この度の一連の出来事には残念な思いをお持ちであろうと存じます。
話は戻りますが、
基本的に本郷の「赤門大学」と、いつも揶揄される芦屋の「六麓荘大学」が学生はもとより学術研究のレベルが同じであるとは思えませんし、同じであれば極めて歪と云わねばなりません。
それでも「赤門大学」は教育に寄与する大学院や研究に寄与する大学院を揃え、日本社会の発展に貢献しています。
対する「六麓荘大学」も大学院を整備し、社会への人的貢献に取り組んでいます。
どちらの「学位記」が社会で有効かについては、それぞれご本人や関与する社会の側が考え判断する事ではないかと。
それぞれの大学が提供するその学問教育の建前で、自前の提供サービスについて自由な価格設定を行い、それを選択するのも購買者の自由な意思(若干の社会的制約は受けても)によると考えます。
「赤門大学」から「六麓荘大学」までの空間を埋めるポジションで提供者である側が、自らの反省もなく
「偏差値の低い大学は授業料が高く教職員の年俸も高い傾向にあり、
反対に相対的に偏差値の高い大学は授業料が安く教職員の年俸も低い傾向にある」と述べられるのも自由ですが、それではどのように為さりたいのか、その制度に依拠し禄を食む者が明らかにせずでは、何を言っているのかという事になりましょう。
それが大事のように、ご自身が果実まで禄を食んで来られた先についての真剣な反省もなしに、正義のコメントのように嘆いてみせるってポジショントークを為さるのは如何なものでしょうか。
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