日本相撲協会 放駒前理事長のご逝去を悼みます
相撲はスポーツであり神事、芸能である。
角界は実力社会であり徒弟社会である。
「相撲の基本はやっぱり反デモクラシーだと思います」と、高橋義孝先生のお言葉。
相撲には「美学」がある。
相撲が混乱し始めたのは、相撲道の「美学」心得ない、美学とは程遠いブオンナやオバカ漫画家が口を差し挟む土壌を造った事にも大きな原因がある。
勿論、現代社会で相撲道が一切の社会的紐帯を無視して成り立つかと、問われれば「それは無理であろう」が、口を差し挟む側の人格や人品について、その適否について厳格な審査が必要だった。
ブオンナが単に興味を持っているというハナシや、オバカ漫画家が口うるさいからと言って、いつの間にやら参与させたのは、真に見識を欠いていたと言う他なしだ。
人品の嫌らしい人物を十分に審査もせずに、何を根拠に参与させたのか。
日本相撲協会は「相撲道」の勧進元であり、誇り高い日本文化の一端を表徴する「相撲」の家元だ。
それを運営する組織の一端に、「顔の歪んだ、顔の毀れた」のを、よくまぁ参与させたものである。参与させた人の責任を問いたいと考えている。
凡そ、人の顔はその人物が歩んだ道程を刻み顕している。
「顔が歪む人は、多くの場合『心』の歪みを映す」と考えている。
「顔が毀れている人は、多くの場合『心』の毀れ、『人生』の毀れを映す」と考えている。
その意味で、
怪しげなブオンナはどうだ!
怪しげなオバカ漫画家はどうだ!
こいつらが参与した間、日本相撲協会は意味の無い非難中傷に曝され、それらの攻撃が絶えなかったじゃないか。
そんな中で、放駒前理事長は孤軍奮闘され、見事に今日に至る「日本相撲協会」への組織転換を指揮された。
2014年夏場所は、平日も「満員御礼」を記録している。
ブオンナやオバカ漫画家がエラそうな口を叩いていた頃に、それを得たか?
放駒前理事長のご逝去を悼み、深甚よりご冥福をお祈り申しあげます。
引用開始→ 春秋
(日本経済新聞2014/5/20付)不祥事を起こす。幹部が並んで頭を下げ、謝罪し、組織の出直し・再生を誓う。おおかたの口をついて出るのは「一丸となって」である。ただし、常(じょう)套句(とうく)になればなるほど言葉の持つ重みはうせていく。そして、はた目には一丸となることの難しさばかりが見えてくる。
▼おととい急死した日本相撲協会の放駒前理事長(元大関魁傑)が任にあったのは4年前からの1年半ほどでしかない。その間、ことあれば「一丸となって」を繰り返した。やむを得まい。野球賭博に続いて八百長が発覚した大相撲は大揺れに揺れ、もはや国技の体をなしてはいないと思われて仕方のないありさまだったのだ。
▼大相撲がいまあるのはこの人がいたからだという感慨を、幾つもの追悼記事を読んで新たにした。まったく休場することがなかった現役時代のまっすぐな相撲も目に浮かんだ。しかし、力士に親方、行司や呼び出し、まげを結う床山らを合わせても千人ほどだという狭い社会が一丸になった結果の、大相撲再生だったのか。
▼抵抗もずいぶんあったという。そもそも、相撲はスポーツであり神事、芸能である。角界は実力社会であり徒弟社会である。「相撲の基本はやっぱり反デモクラシーだと思います」とは元横綱審議委員長の独文学者高橋義孝の言だ。すっぱり割り切れぬ世界だからこそ、「クリーン魁傑」を生き抜いた誠実さが貴重だった。←引用終わり
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