世阿弥が「風姿花伝」で遺訓としたのは「伝統芸能こそイノベーションを欠かせない」だ
能楽は世界無形文化遺産だ。
ほぼ660年前に、世阿弥は「芸能論」「技術論」「創造論」として「風姿花伝」を遺した。
それに示された言葉でもある「秘すれば花」が有名だけれど。
それを多くの人は「秘する」を「隠す」と捉え考えるようだが、実は「(隠したところで)一回でも演じれば、分かってしまう」のだから「次の方法を考えなければならない」としている。
「第一、隠しとおせるものではない」のだから、次の方法を「創造する事が何よりも重要」だと助言している。
現代の能楽師・人間国宝の梅若玄祥師は、創造的工夫を凝らし「百万」に挑まれ23日、国立能楽堂(千駄ヶ谷)で演じるという。
革新できないモノ、イノベーティブに挑まないコト、様々な要素とコラボレーションできないコトやモノは、生き残り次へ遺し伝えられず、やがて伝承者も得られずに廃れていく。
ご成功を祈る。
引用開始→ 梅若玄祥 観阿弥の「百万」に挑む
(讀賣新聞2014年09月22日 15時05分)進化と深化 攻めの舞
「人間国宝になったからといって決して後ずさりはしない。これからも新しい挑戦を今まで以上にやっていく」と話す梅若玄祥観世流能楽師で人間国宝の梅若玄祥(げんしょう)が、能「百万」の原作に近い演出での改作版を舞う。
23日午後1時から、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で上演される。新作、改作上演に積極的な玄祥の取り組みの一つだ。
この夏、新たに人間国宝認定を受けた玄祥は66歳。昨年は梅原猛作のスーパー能「世阿弥」で主役のシテを演じるなど、様々な試みに挑んでいる。
「伝統芸は守りに入ると退化する。逆に攻めていかないと古典を守れない側面がある」と話す。名作「井筒」の主人公の女性の心理描写を変えて上演し、「以後は女性の内面をより深く感じながら演じられるようになった」経験もあり、「曲が作られた当時はどうだったのかをさかのぼって本質を考えることが常に大事」と語る。
現行の「百万」は、男(ワキ)が拾った子を連れて大念仏が行われている寺を訪れると、心が千々に乱れた百万(シテ=玄祥)という女性が生き別れたわが子への思いを語る。シテは祈りを込めて舞い、やがて男の連れた子供がわが子と知り再会を果たす。
今回の上演を監修した天野文雄・京都造形芸術大教授は「元の百万の曲舞くせまい(曲の主要部分)は『地獄の曲舞』と呼ばれるもので、百万という女性芸能者の芸を見せるものだった」として、地獄の様子を克明に描写する詞章に乗った芸能者ならではの舞を見せることにした。芸能者を強調するため、曲舞車という作り物(舞台装置)を出して、女性の素性をより明らかにする演出の改変を行った。
観阿弥の原作だった「百万」を息子である世阿弥が改作するにあたり、親子の情に作品の焦点を当てるために「地獄の曲舞」をやめ、現行の子の行方を尋ねる舞に変えたのでは、というのが戦後からの説だが、世阿弥の改作前の形で上演するのは、天野教授ら監修の今回が初めての試みとなる。
天野教授は「今の能を絶対化するのではなく、相対化することで、能が洗練されていく過程も分かるのではないか」と語る。
玄祥は「僕にも観客にも新しい発見があると思う。世阿弥の改作の方が完成されていると感じるが、観阿弥のやり方は見る側からは面白い作品であると分かった。今後、このやり方が定着するかは分からないが、多くの人に見てもらい、演出法の一つになるといいなと思う」と話す。(電)0570・07・9900。(塩崎淳一郎)←引用終わり
2014年09月22日 15時05分 Copyright © The Yomiuri Shimbun
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