5月3日 「日本国憲法」について考える
「憲法記念日」です。
現在の「日本国憲法」が制定発布され幾久しい歳月が流れました。
それに伴い制定当時の環境は大きく変化し、当時は想定すらできなかった事情を抱え込まされる情況が形成されています。
いつも、ダーウィンの進化論を用い説明する事が多いわけです。
ダーウィンは言っています、
「アタマの良い種が生き残れるわけではない。
チカラの強い種が生き残れるわけではない。
環境変化に適切な対応を成し遂げた種が生き残れるのである」と。
現在の環境変化に対応するには「崇高な理念」だけでは十分な対処あるいは手当が困難になりつつあり、現在から将来にわたり必要とされる普遍的な「国民国家としての理念」の再整理が不可欠な時期に至っています。
「日本国憲法」は勿論「各国の憲法」は「不磨の大典」ではありません。
現在の理念を守り発展させ「人類」の安寧を結実させ得る普及が大切ではなかろうかと考えます。
諸国民の全てが本邦と同等の質にあるわけではなく、様々な差異の下にある現実を冷静に見詰め辛抱強い「理念の普及」が求められます。
しかしながら一方において、その種の根気を否定し「武力」を用い現状の変更を試みる勢力が台頭し「力」を背景に傍若無人な振る舞いを繰り広げています。
「日本国憲法」が「本邦の国民」に保障した「崇高な理念」を維持し世界へ普及するにも「本邦」の「安寧」が保たれその「富」が護られなければ「単なる画餅」に過ぎません。
「本邦」は、それまでの稚拙な思考により喪われた「個人の尊厳」を、現在の「日本国憲法」において最大の尊重をしています。
その下であらゆる場面や状況において「個人の権利」を尊重しています。
それは一定の節度を互いに保ち合う事(不文律ながら無条件ではなく)で「秩序」を守り成立させてきました。
国内に目を転じても、その不文律を大きく逸脱し過度な主張を外国勢力を招き入れ実力を持ち「秩序破壊」を展開する事態も現れています。
これらの事態を引き起こした原因は諸説ありますが、「崇高な理念」を保持するためにも、その「環境」に適合し有効に機能させる不断の取組み努力が求められます。
「日本国憲法」はその「崇高な理念」を大切に尊重し、その「崇高な理念」も自らが依って立つ国家を維持でき初めて成立する事であり、現在の「日本国憲法」は「不磨の大典」ではない事を改めて指摘しておきたいと考えます。
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