日本の第2次世界大戦「大東亜戦争+太平洋戦争」と結果を考える
まず、対日戦勝国とは、
主たる、対日戦勝国は、米国(フィリピンを含む)であり、次に英連邦(マレーシア・ミャンマー・インド・オーストラリア・ニュージーランドを含む)であり、それに続きオランダでもあり、火事場泥棒のソ連邦(現ロシア)も取り敢えず一角を占める。
フランスの立場は実際には微妙である。欧州大陸では連合国の一員を為した自由フランス軍がナチスドイツを打ち破りフランスを解放しベルリンを陥した戦勝国である。
だがインドシナ半島における戦線では日本軍の武装解除を終えるまで主人ではなかった。
中華民国は日本の終戦を得た国であり戦勝国とは言い難い。
ましてや国共内戦で勝利を得た事により、中国大陸を今日も支配する中華人民共和国(毛沢東は自覚していた)が対日戦勝国ではない。
中華民国は日本が日清戦争で清国(当時の中国)から割譲を受け統治していた台湾での統治を日本の終戦を受けその統治継続者とし引き継いだ。
その後、中華民国は大陸部において国共内戦で相次ぐ敗退の結果、1949年に台湾へ政権の中心を移し今日を迎えている。
何よりも韓国と北朝鮮は日本の一角として日本に統治されていた。ポツダム宣言により日本が朝鮮半島の主権を放棄した事を受け、北朝鮮はソ連邦の保護を、韓国は米国の後押しを受ける事で日本の統治が消滅したのである。
満州国は軍閥や馬賊を打ち倒した八路軍(中国共産党)がソ連邦(ロシア)の後押しを受け支配する事になった。
日本の敗戦(ポツダム宣言受諾)を受け、米欧に支配されアジアの各地域は再び米欧に支配される事になった。
その後、これらの各地域では民族自決(独立)の自覚が高まり独立戦争が激しく戦われ、いずれの地域も民族自決の大原則に基づき独立を達成し国民主権国家を打ち立てた。
戦後の日本は、戦争賠償と政府開発援助(ODA)を遣り繰りする事で、人材育成(留学生の受け入れ)、技術移転、資本投資、市場提供を積極的に行い、彼らの国家建設と経済開発と国民経済の形成に協力してきた。
(この行為の積み上げこそが、日本が今日も彼らの国々から厚い信頼を獲得している)
日本の戦争を考える。
日本が第2次世界大戦(大東亜戦争+太平洋戦争)へ追い込まれたのは、日清戦争を経験した後の日露戦争で得た南満州鉄道よる満州(中国・東北)での権益拡大が出発点である。
ソ連邦を相手にしたくない日本は中国がとうてい呑めない「対華21箇条の要求」を1915年に突きつけるなど、相手の足元を見て付け入り無茶苦茶ともいえる振る舞いを重ね、中国の反日感情を自ら気付かず拙劣にも煽り立てていた。
辛亥革命で満州族の清を倒し中華民国の成立を得た事で漢民族が希望を繋ぎ始めた際に、その希望を悉く否定する行動に出た。
現代社会で日本がとうてい呑めない要求を米国が突きつければ、一気に反米感情が高まるのと同じ事だ。
主として米国を相手にした太平洋戦争は、米国による日本への度過ぎた要求と制裁が直接的な引き金になった事を想起されたい。
度過ぎた要求や、尊厳の否定や民族主義の否定は「反感」を招くだけで、何ら益する事はない。
各国における戦争被害を考える。
中国は日本の戦争相手であり直接の戦場となると共に、兵士は勿論武器を持たない民間人を含む多大の犠牲を強いられた国である。
米国に支配されていたフィリピンは、太平洋戦争の開戦と共に、米軍と日本軍が戦火を交え米軍の退却と反撃により直接的な戦場となり多大の犠牲を強いられた国である。
インドシナ半島(ベトナム・カンボジア・ラオス)は、欧州戦線でフランスがドイツに降伏した事を受け、日独伊三国軍事同盟のアジアにおける同盟国であった日本が進駐し統治した。日本の統治下で稚拙な行政管理もありベトナム北部では多くの犠牲を生じさせたが、直接的に日本の戦場になったわけではない。
マレー半島も英連邦軍を追う日本の進撃戦により直接的な戦場になったが、基本的には英連邦軍との戦争で武器を持たない民間人が犠牲になる事は多くなかった。
インドネシアでも同様に日本軍は主としてオランダ軍を相手に戦争を行った。
これれらの意味合いもあり、同じ日本に懸かる戦争でも、直接的に戦場となり兵隊だけでは無く民間人も犠牲を強いられた国と、その犠牲が少なかった国とでは「日本の戦争」に対する評価は大きく異なると考える。
また、中国とフィリピン以外の諸地域では、各国の独立戦争に際し、日本兵として残留し民族独立のための義勇兵として参加し、ともに戦いともに独立を勝ち取った栄誉ある日本人が多数いるのも事実である。
しかし、それは決して日本が国家として命じたわけ(内政干渉)ではない。
様々な理由から現地に残留を希望した元日本兵個々人の自由な意志でしかない。
それをして現在の日本人が自慢するのは如何かと思量する。
中国が日本に対し厳しい姿勢に出るのは、それはそれで致し方なしとも言える。
習近平が主導する「抗日戦争勝利70周年」を中国人民が祝したいとするなら、それはそれで良いと受け止めるが、上記のように中国の政権では「抗日戦争」に勝利していないのである。
「中華民国」は米国と英連邦の後押しを受け連合国でもあったから、結果的には戦勝国だと言ってもそれはそれで仕方がない。
その意味で「中華人民共和国」は日本と様々な抗日ゲリラ戦は展開したかも知れないが、日本と直接戦端を開き戦火を交えたわけではない。
日本は中国大陸で戦争を行ったが、その相手は「中華民国」である。
毛沢東の「中華人民共和国」は、日本の撤収後に「中華民国」を相手に国共内戦を行い勝利を得て「中華人民共和国」を樹立したのである。
従って、毛沢東は「対日請求権」を保持しないと考え日本に「戦争賠償」を請求しなかったのである。
日中間の問題を複雑にしているのは、蒋介石が率いた「中華民国」が政治的に稚拙であった事、基本的に合理的な統治能力を保持しなかった事もあり、行政面でも軍事面でも必要な能力を発揮できず、毛沢東の「中華人民共和国」に敗北し、台湾へ追い出された点に尽きる。
しかしこれらの事情も、日中国交回復に際し、当時の内閣総理大臣田中角栄は、北京の「中華人民共和国」を国交の主たる相手とし、台湾へ移った「中華民国」を切り捨て乗り換え、その手土産に「対中政府開発援助(ODA)」供与を決定し多大なODA資金(戦時賠償ではない)を投じ、中国大陸の主となった「中華人民共和国」の国家建設を支援したのである。
この点を日本政府は指摘もせず、主張もせずに一貫し静寂を守り通してきた。対中ODAも日本国民の貴重な税金である。
勿論ODAは無償ではない。無償供与もあるが多くは有償供与(返済義務)が原則ではある。
現代中国の国家建設や経済開発で日本が果たした役割は多大である。
その総括が必要な時期に来ている。
韓国や北朝鮮は、日本の統治が及ぶ内国であり、第2次世界大戦における「対日戦勝国」ではない。しかし、1965年に締結した「日韓基本条約」において、日本の統治に伴う韓国の「対日請求権」を包括的に解決合意した事により、韓国の対日請求権は全て処理されている。その後、日本は韓国の社会基盤整備、産業基盤整備、人材育成、金融支援、市場開放などで積極的に支援し、今日の韓国に多大な貢献をしてきた。(非難される謂われはない)
まず何よりも、朝鮮半島は日本国内であったが「戦場」にはならなかった。日本国内で直接的な戦場になったのは、主として沖縄であり硫黄島であった。
沖縄は直接的な戦場になり、軍民ともに多大の犠牲を出し、日本の敗戦後は米国に占領統治され1972年に日本の主権が回復されるまで米軍の管理(高等弁務官)の下に琉球政府がおかれ苦難の途を歩まされた。いまもその怨念(戦場になり多大の犠牲を出し、米軍に統治された)が消えないままであり、その延長上に派生した様々な課題を根源において解消できないでいる。
日本の戦後70年を混乱させる要因の一つは、追い詰められたとはいえ第2次世界大戦(大東亜戦争+太平洋戦争)を引き起こし、勝ち目のない(負け続けていたにも関わらず)戦争を止めず、300万人を超える犠牲と全財産を喪い飢えに苦しみ、国土を焦土と化した事態にも関わらず「1億総玉砕」だなどと戦争を主導した、日本国民に対する狂気の戦争犯罪人を含め、自らの手で戦争犯罪を追究する事が「東京裁判」以外に、日本人の手で為し得なかった一点に尽きる。断罪も総括も日本人はできなかった、為さなかったのである。
この点は、ドイツのナチス追究には大きく劣ると言わざるを得ないのが残念である。その点での反省は残された課題と云える。
しかし、日本人は国際社会で堂々と胸を張って生きるべきである。間違っても決して俯く事を強要される必要などは無いのである。
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