大阪の行政は「ヒステリー」と「暴言による威迫」が続くワケです。
この7年、手を変え品を変えながら、ヒステリーによる暴言を撒き散らし、世間の注目を集める事で不利な情勢を挽回し逆転し続けてきた橋下徹のヒーロー現象。
次は、法律顧問として後ろに隠れ「院政」を敷くのだと自ら公言していますが。
そんな甘語とを信じる人は稀少だろうと考えます。
後ろに下がれば下がったで、俯瞰力を高める橋下徹のストレスやヒステリーは極度に達するでしょう。
これまでのように、報道陣を前にしたパフォーマンスは陰を潜める事になるのでしょうが、それは次に向け「爪を研ぐ」期間として充てられる事になりそうです。
橋下徹が放つ自由で奔放なヒステリーは、高い社会的ストレスを保つ側には人気が高く、さらにその発言で体制が崩される事に喝采し続けるワケですが、その後に何かが再生されたかどうか、それで得られた点について冷静な判断が必要なのですが、それはどうなのでしょうか?
政権を握る「安倍+管」は、橋下徹を国政の場に引き上げたいとの思惑もあるようで、それが事態を実に複雑化させているとも云えます。
何か具体的で建設的な政策テーマの解決はあったのか?
それを問うと、”「大阪都構想」が実現できなければ、細かなことも実現できない” と橋下徹は言を濁し続けてきました。
何よりも大きな事実は、大阪の府・市ともに経済面での競争力を大幅低下させ癪入金も増やしている事です。
それでも、そんな事柄に目を瞑り、
いわゆる市民(有権者)は、橋下徹が発する言葉に操られ釣り上げられ熱病に浮かされ支持をしめしています。
特に、地域の有権者の「被害者意識」を擽るコトで支持を拡大するのです。
大阪は全体が夢遊病に罹っていると言っても過言ではありません。
夢遊病者の多くが社会的に収奪され続ける「層」です。
その「層」は、いずれの側が統治者になっても、組み敷かれ収奪され続ける存在に過ぎません。この「層」には「被害者意識」を吹き込み刷り込むコトが最も有効なのです。
しかし、最も救われる事のない被害者の「層」ですが、この「層」は容易く熱病に浮かされ支持するのです。
この「層」は次々に「新しいコト」を要求します。
それに「応え」続けるには、できないコト(目標)を掲げ、それらの実現を次々に提起し続けるのです。それに夢遊病者は熱狂的に応えます。
これこそが、ヒトラーがとった手法と同じ政治スタイルなのです。
引用開始→ 政局は「西」から――橋下「維新」が壊すもの
読売新聞編集委員 伊藤俊行
(讀賣新聞2015年11月25日 05時20分)
11月22日投開票の大阪ダブル選での地域政党「大阪維新の会」の連勝は、大阪都構想の復活を意味しているだけではなく、同党を率いる橋下徹氏の人気が、大阪では依然、伝統的な全国政党の組織力をも上回る強さを持っていることを証明した。ダブル選直前に新たな国政政党「おおさか維新の会」を結成した橋下氏は、府政と市政からのみならず、国政からも大阪都構想の実現を目指す。懸念されるのは、橋下氏の強さが、国全体を考えたときに持つマイナス面だ。
関門海峡と箱根山は越えられない
「維新は、西は関門海峡を、東は箱根の山を越えることはない」――。大阪府知事から大阪市長に転身した橋下氏が、地域政党「大阪維新の会」を母体に国政政党「日本維新の会」を結成した時、当時の政権与党だった民主党の幹部は、こう予言した。2012年のことだ。
いくら橋下氏が大阪で絶大な人気を誇っていても、それはせいぜい関西圏にとどまり、一朝一夕で全国政党にはなり得ないという見立てだった。
日本維新の会に加わった政治家には、関門海峡の西や、箱根山の東が地盤の国会議員もいたが、それまで所属していた政党の公認を得られなくなったり、それまで所属していた政党に見切りをつけたりした例が多い。無所属で選挙を戦うより、「維新」という看板と、政党の公認候補が得られる選挙運動上のメリットを利用しようとした側面が大きい。橋下氏の人気に便乗する思惑はあっても、橋下氏の存在がなければ戦えないというほどでもなく、「維新」の勢いそのものが、関門海峡や箱根山を越えて広がったとまでは言えなかった。
一時、東京都知事を務めた石原慎太郎氏が共同代表として加わるなど、外見上は「東西の融合」を果たした日本維新の会は、12年末の衆院選で、野党に転落した民主党とほぼ肩を並べる54議席(民主は57議席)を獲得する躍進を果たした。この段階ではまだ、「維新」が名実ともに全国政党に脱皮するチャンスはあった。
しかし、橋下氏と石原氏のタッグは、政策や理念の違いから長続きせず、石原氏は「次世代の党」を結成して橋下氏と袂たもとを分かった。橋下氏らは、「みんなの党」から分かれた「結いの党」と合流して「維新の党」をつくり、東西融合の維持を目指したものの、結局は路線対立から分裂し、おおさか維新の会の結党で、「大阪本位」に回帰していった。今回のダブル選も、橋下氏の大阪での強さを示す一方で、直前の維新の党の分裂騒ぎのマイナスイメージもあって、「結局、橋下氏は大阪エリア限定のリーダー」だという印象を強めた側面もあった。
国益よりも「大阪益」?
では、自らは国会議員になることなく、大阪を拠点に国政を動かそうとする橋下氏の手法は、何が問題なのか。
大阪の再生が、日本経済全体を底上げすることは間違いない。
人口減社会の中、東京一極で日本全体をけん引していくことには、限界がある。大阪、名古屋、福岡など、地方の大都市が、周辺の中核都市を巻き込みながら成長していかなければ、東京一極集中はますます進み、安倍晋三首相の「新アベノミクス」に掲げられた「名目GDP(国内総生産)600兆円」という目標の達成はおろか、地域コミュニティーの維持さえおぼつかなくなる。
また、大阪で統治システムの改革を実現することが、国全体の統治の仕組みにも改革をもたらすという見方も、間違ってはいない。地方分権は掛け声ばかりでなかなか進まず、一方で、分権の受け皿となる地方議会や地方自治体の改革も広がりが見られない。大阪発の改革が、ショック療法として機能するのではないかという期待感はある。
ただ、大阪の再生は、日本経済成長の必要条件ではあっても、十分条件ではない。政治面で地方自治体が独自性をあまりにも強めると、国が手がけるべき政策分野との衝突が起きることもある。もとより、「大阪益」の追求が、国益よりも前面に出てくるようなことがあれば、国政は混乱しかねない。
今回のダブル選では、府知事に橋下氏の盟友の松井一郎氏が再選し、市長には橋下氏が後継指名した吉村洋文氏が初当選した。いずれも、橋下氏率いる大阪維新の会の公認候補として戦い、「非維新」で連携した既存の伝統政党の追撃を返り討ちにしている。橋下氏本人が出馬したわけではないが、「維新」の勝利というよりも、橋下氏の勝利だと言っていいだろう。
その人気が、関門海峡や箱根山を越えることはないとしても、来年の参院選、さらには次の衆院選で、橋下氏が率いる勢力が(「おおさか維新の会」のままであるかどうかは別として)一定の議席を維持する蓋然性は高い。
橋下氏の勢力は、安倍首相との政策や考え方の近さから、与党寄りのスタンスをとると見られている。自民、公明両党が衆院で3分の2超の議席を持つ現状では、存在感を発揮できる場面は少ないかもしれない。
それでも、一定勢力を維持していれば、参院選の結果や、今後の政界再編の行方次第では、キャスチングボートを握る余地が出てくる。その時に、大阪都構想の実現のために、外交、安全保障、財政など、国の根幹にかかわるような政策が駆け引き材料にされるようだと、危うい。
そうだとすれば、特定地域で人気のある政治家や政党が、地域の課題を実現するために国政で議席を持つことは、良くないことなのだろうか?
小選挙区制と地域政党がもたらす多党化
特定地域で人気のある政治家が地方自治体の首長になる事例は、珍しくない。逆に、首長を務めたことで強固な地盤ができ、その地盤を足がかりにして国政に進出する首長経験者もいる。ただし、いずれも、既存政党のバックアップを受ける場合が多かった。
橋下氏の手法の新しさは、既存政党に依拠せず、自らの主張を実現するために仲間を集め、「パーソナル・パーティー(個人党)」をつくり、一定の勢力を確保している点だ。名古屋市長の河村たかし氏が結党し、一時は国政にも議席を持っていた「減税日本」も、その点は似ている。
橋下氏や河村氏に鼓舞されるように、2011年の統一地方選では、各地に多くの地域政党が生まれたが、15年春の統一地方選まで命脈を保ち、かつ、国政に足場を持っているのは、橋下氏の党だけだ。その意味では、パーソナル・パーティーの成功は、極めて特殊で一時的な現象のようにも見える。
ところが、1990年代から2000年代にかけて、日本と同じ小選挙区比例代表並立制を採用していたイタリアでは、人気のある首長が相次いでパーソナル・パーティーを結成し、二大政党制を目指して導入された選挙制度のもと、実に50の政党が乱立したという(『政党政治の終焉』マウロ・カリーゼ著、村上信一郎訳、法政大学出版局)。イタリアの政治は混乱を極め、その後、選挙制度も変更された。
小選挙区では、大政党に所属していなくても、特定の地域においてパーソナル・パーティーが議席を得ることは容易だ。イタリアの経験も、それを証明している。1選挙区で1人しか当選しないから、大政党の与党Aと野党Bの争いに、パーソナル・パーティーCが参戦すれば、有効投票の34%の得票でも当選可能だ。組織力でA党やB党に見劣りしても、地域限定の人気を持つC党がこのハードルを越えることは十分に可能だし、既存政党との違いをアピールすることで、無党派層をひきつけることもできる。
日本では2012年の衆院選の時点で、政党交付金の受給資格のある政党が12党もあった。その後、「安倍一強」に対抗するためには、野党勢力を糾合しなければいけないと言われ続けながら、14年衆院選時点でも、10党までしか減らなかった。小選挙区比例代表並立制を導入する重要な狙いだった二大政党制の実現どころか、多党化の傾向が続いているのが、現実だ。
地域の声を国政に反映させる仕組みは必要だが、それは、必ずしも地域政党のような存在が、国会で議席を持たなければならないということではない。むしろ、小選挙区制の特性を考えれば、将来、パーソナル・パーティーが乱立し、二大政党制がいよいよ遠ざかる可能性も否定できない。今後の選挙制度改革の議論でも、そうした視点があっていいはずだということを、おおさか維新の会の結成と、それに続く大阪ダブル選の結果が教えてくれているように思える。←引用終わり
2015年11月25日 05時20分 Copyright c The Yomiuri Shimbun
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