74年前の「日米開戦」と「太平洋戦争」について開戦記念日に考える事
1941年12月8日
「太平洋戦争」の開戦日とされ、帝国海軍機動部隊が、
米合衆国のハワイ(オアフ島)にある「真珠湾」海軍基地を攻撃し華々しい「戦果を得た日」であり、米合衆国には「屈辱の日」となった。
しかし、後(現在)の歴史(情勢)解読によれば、米合衆国ルーズベルト大統領は、当該奇襲を予見した上でそれが確実に「実攻」される事を静かに待ったとされている。
当時の日本は、米合衆国の「罠」に嵌められ、帝国海軍機動部隊は、それを知るか知らずか、今となっては余りにも著名な訓令電報「ニイタカヤマノボレ」の受電と共に、はるか太平洋上の空母を発進し果敢に出撃「真珠湾」を襲撃した。
同時に「西太平洋」でも戦火を上げ、英国とも開戦し、英領マレー半島を南下し、12月末には英領シンガポール占領に至った。同様に英領香港も占領した。
**この時点が「停戦」の第1ステージだったと考えている。
時を置かず、米領比国(フィリピン)、蘭領印尼(インドネシア)を果敢に攻め占領した。
太平洋戦争で日本が戦ったのは、米国、英国、蘭国、豪州の四カ国である。
中国大陸の戦争では中華民国(蒋介石)である。
現代社会では、野村駐米大使とハル国務長官の接触が、微妙(何らかの意図を持ち)にすれ違った事が露わになっている。
ルーズベルトは情報戦で日本による「奇襲」を予見し、その日のその時間を待ち「罠」に嵌めたとされている。
日本は、情報戦で負けていたのである。
徒な「血気盛ん」が災いし、国際情勢に対する「情報収拾」と「情報分析」が無盲とも云える点が、日本の「太平洋戦争」であったと受け止めている。
「太平洋戦争」を「日清戦争」「日露戦争」「第1次世界大戦」「シベリア出兵」「満州事変」「盧溝橋事件」「上海事変」などを始めとする中国大陸での「戦争観」でしか捉えられなかった、大本営参謀本部・作戦部の無能(情報軽視・精神論過剰)に因り、真に悲惨な「敗戦」を招いたと捉えている。
あらゆる「戦争」は、自らが「優勢」で「有利」な条件を保持する時に「停戦」交渉に入るべきと考える。
「敗色濃厚」にも関わらず、要した「戦費」を調達するために「1億総玉砕」しても「勝つ」までやるというのは「狂気」の沙汰としか言えない。
日本が帝国と称した時期の「大本営参謀本部」の余りの無知と無能が、今日に至るまで日本人に焼き付けられ、現代社会における「国民国家の安全」に資する「国際社会との連携」すらをも否定する、これまた幼稚で稚拙な議論やプロパガンダの横行を許す大きな原因にもなっている。
それらの観点も含め、日米が死闘を繰り広げる事になった「太平洋戦争」の開戦日を真摯に振り返りたいと考える。
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