2020年 東京オリンピック 批評家は至って意気軒昂だわ!
エンブレムなんて無くてもオリンピックは開催できる。
エンブレムが無いと、2020年の東京オリンピックは開催できないかも知れない。
そうですエンブレムは「カネ集め」の手段です。
公式スポンサーを集め、電通を始めとする乞食チンドン屋ドモが飲み食いできるように資金を掻き集める手段の象徴的マークとして重要なのです。
立場は違うけれど、暴力団が縄張りを示すために何某らのマークを掲示させるのと同じです。もっと分かりやすく言えば、自分が信じる神社の「御札」を掲出するのと同じです。
その際に一定の金額を支払い、受領した側は何某かの消費に使うのです。
その「御札」の費用は消費者に巧く転嫁される事で誰も直接的には損をしたと思わない仕組みが形成されるのです。
しかも2020年東京オリンピックの公式エンブレムは、国が後ろで睨みを利かせますから、公式スポンサーに名を連ね自社のポジションを明確にできれば鼻高々です。
まぁ、エンブレムを用いてカネを集め、この際に一儲けを企む事業者には欠かせないわけです。
引用開始→ 東京五輪新エンブレム、難産の末に決まったけれど…
編集委員 北川和徳
(日本経済新聞 2016/4/29 6:30)難産の末に2020年東京五輪・パラリンピックの大会エンブレムがようやく決まった。白紙撤回となった旧エンブレムの発表から約9カ月も足踏みした。貴重な準備の時間を無駄にしたドタバタ騒動を乗り越え、今度こそ新エンブレムとともに20年に向けて力強く歩みたいのだが……。前途はまだまだ多難である。
■動画での展開や明るい色での活用も
新エンブレムに関しては賛否両論が広がっている。ネット投票で「好ましくない」が過半数になったとか、「暗い」「華やかさがない」などの意見が多いようだが、「日本らしい」「シンプルで上品」というポジティブな評価も少なくない。個人的な感想で恐縮だが、私は最終候補の4作品で「組市松紋」を気に入っていた。形の異なる3種類の四角形、計45個のピースが、動きながら市松模様のエンブレムを構成していく動画などを作れればかっこいいと思う。藍色単色では確かに地味なので、可能ならば明るい色を重ねての活用も考えて欲しい。歴代の五輪エンブレムと比較しても劣ってはいない、と思う。最近のエンブレムはスポンサー企業のビジネツールになるため、洗練されてきたなどといわれる。だが、デザインの素人が失礼なことを言うなと怒られそうだが、12年ロンドン、14年ソチの両五輪のエンブレムを見て、思わず笑ってしまった。国民の大多数に支持されたとはどうも考えにくい。ソチはWebページのロゴをデザインにしただけに見えるし、ロンドンのエンブレムには発表直後から批判が殺到したそうだ。
盗作疑惑の末に白紙撤回に追い込まれた前回の反省から、エンブレムの再選考は「参画」と「透明性」を重視して進められた。デザインを広く公募し、最終候補の4作品を事前に公開し、インターネットなどで国民の意見を募った。前回は関係者だけで行って「密室」と批判された選考を、国民的な行事としたこの手法は間違ってはいないだろう。
■4万人の意見、どう反映された?
すべてうまくいったわけではない。4万人以上が意見を寄せたが、これがどう最終選考に反映されたのかがよく分からない。市松模様が大きな支持を集めたわけではなく、ネットやメディアの人気投票ではむしろ下位だった。最初にエンブレム委員会が候補に選んだ4作品のうち、商標調査で3点が消えるトラブルもあった。次点候補だけでは足りず、敗者復活でさらに1作品を繰り上げて計4点を公表した。最終審査の投票は1回目で過半数があっさり集まっただけに、意見募集など関係なく、最初から残っていた1点がそのまま当選しただけでは、との臆測も呼ぶ。ネット上のコメントでは若者を中心に「やっぱり出来レースだ」との批判が驚くほど多い。
もっとも、前回のように実績のあるデザイナーに参加を限り、専門家たちだけで審査したわけではない。最後の意見募集は人気投票というよりも、類似デザインのチェックに、前作品を撤回に追い込んだ無数のネットユーザーの力を借りる狙いがあったのだろう。少なくともエンブレム委による選考は多彩な委員の顔ぶれからみても公正に行われたと考えている。
五輪エンブレムの本当の評価はデザインの優劣で決まるものではない。エンブレムへの愛着や親しみは、その大会の機運の盛り上がりによって醸成されるものであり、本番の熱狂でその価値は最高潮に達する。ただし、そう考えると、市松模様のエンブレムの未来は決して楽観できない。
■総合演出や開催経費…難題は山積
これから4年間。クリアしなければならない難題が山積みである。それに対処するはずの大会組織委員会の手際はどうにも心もとない。エンブレム選びでこれだけもめたのだが、公式マスコットはどうするのだろう。予算や時間を考えれば、今回と同じコストや手間はかけられないが、ゆるキャラブームでアニメ王国でもあるこの国では、マスコットにも関心は高まりそうだ。開閉会式の演出を仕切る総合プロデューサーの選任もある。誰を選んでも議論が巻き起こる。ネットを通じてみんなが自分の意見を自由に発信できる時代。対応を誤って炎上すれば、あっという間に旧エンブレムの二の舞いになってしまう。正直、自分が担当者だったら頭を抱えると思う。
それでもエンブレムやマスコットに関する意見の食い違いなら深刻な問題ではない。真の難題は、膨れあがることが必至の開催経費について、都民、国民の理解が得られるのかということだ。24年五輪招致をめぐって、欧米の都市では住民投票で立候補を断念する都市が続出している。成熟した民主主義社会が五輪招致を目指すとき、これからは住民の意向確認が前提となりそうだが、その過渡期に招致した東京はそうした手順を踏んでいない。
招致時の計画を大幅に上回る会場整備費や警備費用が明らかになったとき、どんな反応が起きるだろう。政治家の間では「招致の際の見通しが甘すぎる」と責任のなすり合いが始まるのだろうが、どう言い逃れても国民の間で五輪への反発が強まることに変わりはない。
■大会にのしかかる成熟社会の重荷
明治神宮野球場を大会前後を含む長期間貸してほしいと申し入れたことでも組織委は批判された。現在、管理者、使用者である球団、学生野球組織などと期間の短縮をめぐって協議が進んでいるが、交渉をはじめただけで否定的な反応が起きるのには驚いた。こんな交渉がこれから無数に控えているというのに。プロ野球やJリーグの日程も調整が必要だろう。休業を求められる施設や店舗の保証はどうするか。世界最大のイベントの開催が、様々な場面で国民の生活に不自由を強いることは否定できない。みんなが五輪のためなら我慢してくれる時代はとっくに終わっている。
成熟社会で開催する五輪の難しさがこれから次々と明らかになるのだろう。高いハードルの連なる4年間。見事にクリアを重ねてゴールに到達できるのか。すでに2、3回は転倒しているような気もする。
対処法はなんだろうか。「情報公開を徹底し、五輪・パラリンピックの価値と、それが20年以降の日本の社会にもたらす効果を誠意を持って国民に説明する」。書いてるこっちが恥ずかしくなるような凡庸な回答しか浮かばない。←引用終わり
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