様々な新しいに対して考えること
世の中は、至る所に「新しい」が溢れています。
フレッシュな「新入社員」が人事担当者に案内され大きな荷物を持ちながら乗車してきました。
著名大学に近い駅では入学式に向かう「新入学生」が、中には両親と一緒の人もいました。大切に期待を込め育てられたのですねぇ。
街の至る所に「フレッシャーズ」が溢れていました。
希望を胸に、期待を背中に、取り組む社会で頑張って欲しいですねぇ。
エイプリルフールのジョークでしたって、笑わせないで下さいね。
知人で、
「入社式」の翌日、会社を辞めた人がいます。
入社式の日に、こんな人達と一緒にやっていけないと瞬時に思ったそうです。
就活中は全く分からなかったそうですが、生理的に合わない人間関係ってありますからね。
別に不自然な事ではありません。
自らの生き方に伴う精神が「拒否」すべきを「拒否」しただけです。
しかしながら、その後は「苦渋」の連続だったようですが、持ち前でもある底抜けの明るさを武器に自らを建て直し、小粒ながら光る事業を形成構築しています。
この間の苦労を話す事はありませんが、時に見せる眼光の鋭さは、この間の苦労が普通ではなかったと報せています。
「新しい」は「古くなる過程」に過ぎません。
毎日まいにち、毎回まいかい、「新しい」や「創意工夫」が求められるのです。
「伝統」と「改革」
「保守」と「革新」
などなど、比較対照すべき事は無数にあります。
「伝統」を守り「維持」したければ、日々また毎回「創意」や「工夫」の「改革」を怠らず、環境を含め「革新」し続けなければ「保守」はできません。
この点が理解できず、間違える人は、
常に履き違える事も平気なようです。悲しいですね!
今日「フレッシャーズ」と言われる皆さん、
いつも「フレッシュ」ですね、と言われる為の努力を怠りなく願いたいものです。
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