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2017/03/01

真に当を射た林芙美子の「浮雲」とも言える

昨日から月初は、人によれば様々なベトナムへの想いが去来するであろう。
その日、その時に「浮雲」とは・・・・・

天皇の軍隊であった「大日本帝国陸海軍」。
天皇の兵であった「日本兵」。
1945年8月を機に天皇の「兵隊」でなくなった「元・日本兵」。
ベトナムはホー・チ・ミンに指導され「ベトナム独立同盟」が8月革命を成し遂げ、
9月2日にハノイのバディン広場で「ベトナム民主共和国」の成立を宣言した。

12月19日にフランスが再侵攻し戦いの火蓋が切られるまで、天皇の「兵隊」でなくなった日本の「兵隊」は、ベトナムへの残留を選択し「ベトミン」として、ベトナムの独立戦争を友に戦った兵は約600人。

独立後はベトナムで家族をもうけながら、様々な事由により日本への帰還を求められ、家族と引き裂かれ無念の思いを・・・・・

それでもベトナムに踏み止まり、解放戦争をも戦い、遂にベトナムから日本への帰還を求められ、泣く泣く家族を伴い帰国されたTさん。
ご家族(娘さん)から、お話しをお窺いした数々のご苦労は筆舌に尽くしがたい。

この度、天皇皇后両陛下は、ベトナムに残された残留日本人兵のご家族と対面される。

大切に大切にしています。

引用開始→ 春秋
(日本経済新聞2017/3/1付)

 林芙美子晩年の代表作「浮雲」のキーワードは「仏印」である。いまのベトナムなどにあたるフランス領インドシナ――これを仏印と呼んだ戦時中に当地で出会った男と女。日本に引き揚げてきた2人は戦後の社会に戸惑いつつ追憶に浸る。戦争が翻弄した恋の物語だ。

▼男は農林省の技師、女はタイピストで、日本軍の仏印進駐を受けて役所から高原都市のダラットに派遣される。フランス風の街並み、内地とは別世界の穏やかな日々……。太平洋戦争末期の東南アジアに、こんなエアポケットのような場所があったのだ。それはもちろん、かりそめの平和、かりそめの豊かさではあったが。

▼そういう歴史を記憶にとどめる人は、いまわずかだろう。しかし終戦時、仏印駐留の日本兵は約8万人にのぼった。芙美子が描いたような人々も少なからずいたはずだ。ベトナムは日本と深い縁を持つのである。この国を巡る旅を、天皇、皇后両陛下がきのう始められた。お互いが両国のつながりを知る契機になるといい。

▼「浮雲」の2人は苦労しながらも祖国の土を踏むが、日本兵のなかには現地に残ってベトナム独立戦争に加わった人もいた。両陛下はその家族にも面会されるという。「この戦争は、日本人に多彩な世界を見学させたものだ」と芙美子は主人公に述懐させている。さまざまな物語をようやく終わらせる、初の訪越であろう。←引用終わり
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