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2017/05/24

「創意無限」「創造無敵」市場は激烈な競争で淘汰を繰り広げ勝者だけが生存できます

一定の市場で評価を得たいなら「製品」の「工業化」が求められます。
「製品」の最初は、モックアップを含め、職人の手による「工芸品」の場合が殆どです。
「工業化」するには、それに見合う「工業」としての「規模」が必要になります。
それを拒否し「規模」を求めず、趣味の世界を受け容れるなら「工芸」で生きるのが良いでしょう。
「工芸品」を突き詰めると「芸術品」へ止揚させる事もできます。
実は「工芸品」は「工業品」と「芸術品」の「分水界」でもあります。
工業化する過程では、他者との協力関係を必要とします。

自らの中で抱え「内製化」しても「従事者」に委ねないとできません。そのためには「伝達手段」と「伝達者」が必要です。
作り手への「製品設計図」や「仕様書」を通じ正確に伝える必要があります。

市場で売るためには「市場伝達方法(案)」が必要です。
これを「正確に伝達」でき「期待する支持」を得る事ができれば最高です。
人の心(感情)や、センスは一定ではありません。
もちろん「収入」や「支出」もバラバラで、市場の顧客は一人ひとり購買の「制約条件」が異なります。
それを最大公約数で括る事で参入しようとしますが、実は「市場参入」する際の「設計(案)」は「市場の絞り込み」が最重要で、対象とする支持を受けたい「消費者」を「最小公約数」に絞り込み、狙う「イメージ(センス)とメッセージ(情緒)」を明確に伝える事です。
これらを、目指す水準で他者の協力を得る事ができれば良好な結果を生み得る事ができます。
いま、市場で評価され支持を受ける「商品」の多くは、それを成し遂げ有効に機能させているといえます。
それが競争で残り利益を得ていると言えます。

市場は主に「付加価値」を生産し、見せ「付加価値」を購買し合う事で成立しています。
気温の変化で産み出される時期の「付加価値」について平易に考えたいと思います。

オシャレで高い付加価値を追うなら、
「旬」を大切にしましょう。
「走」「旬」「盛」「名残」は、気温の変化に合わせ、各地とも、いずれもほぼ10日単位で入れ替わります。

時期というのは、日常生活で「季節感」と呼ばれるモノやコトが適正に合致する事です。
特に「食」や「衣」は「季節感」に合わせる表現が大切です。
「走」に照準を合わせると、オシャレで良いですが、先駆けが分かる消費者を創り出し顧客として維持し続けるのは辛く大変な労力を必要とします。
そこで少しオシャレな層を獲得するなら「旬」に軸足を移し「商品やサービス」を開発し提供しながら支持を得ようとします。
これに呼応する消費者は一定の数存在します。
(一般的には「走」と「旬」を組合せた「付加価値」訴求が多い)

それが分からず想像力を欠くヒトは、頭からバカにして罵倒しますが、何らの提案性も創造性もありません。固より「付加価値」に無縁な寄生乞食みたいな存在ですから仕方がありません。創造性を欠くゴミのようなのは相手にしない事です。

一般的に多くの事業者は「盛」の時期に「商品やサービス」を並べ売り立て大きく稼ごうとしますが、それは、誰でもできるワケで、市場の消費者も千差万別ながら多数がひしめき合っています。従って売り立て稼ぎ出そうと考える側も多数を占め「競争条件」は過酷で、勢い「こっちの水は甘いぞ!」と騒ぎ立てます。

しかしながら、多くの場合、首尾よく成功する事業者は2割程度で、3割程度は五分の星勘定、残りの5割は敗退します。

収入に制約があるヒトは、当然ながら「支出」で制約を受けますから、まず先物としての「付加価値」は追いません。
そこで時期をずらし「名残」を、サービス価格で手に入れる事により「溜飲」を下げ「満足」します。
それは、そのヒトにとり「付加価値」でもあるワケで、同じ種類のヒトは、それを観て「見習う」事にチカラを示そうと取組む事でしょう。
流通を俯瞰し全体を眺めると、この層の存在は重要です。

しかし、端から「食」や「衣」の分野に対する先物の「付加価値」について質が異なるのですから、エラそうに与太コメやゴミコメの類いを言われたくはありません。
まぁ、言論・表現の自由はありますので相手にしませんが。

それでは「名残」を過ぎると、どうなるのでしょうか。
先物としては不要ですから「廃棄物」になります。
「棄てるにも費用」が要りますので、それを避けたいと考える前に処理屋が現れます。一般的には「バッタ屋」と呼ばれるゴミ屋です。

「名残」にも手が届かない、裸で過ごすワケにもいかない「最底辺」やそれに準じる層が「都市」には転がっていますので、それらを相手に立地さえよければ「商売」としては成立します。
個別の商品の原価(入手価格)は「10kgで幾ら!?」という類いですから、一個(一枚)=100円でも50円でもよいのです。

「廃棄物」にすれば「処理費用」が要りますから、僅かでも「カネを払って」くれて持ち帰り「家庭用ゴミ」として「廃棄」してくれるのであれば実に素晴らしい消費者で、バッタ屋を贔屓にしてくれるなら上得意客なのです。

しかし、それは流通の過程に寄生し、そこで生じた余剰やロスを処理する事で生計をたてるマチバの「ゴミ屋」に過ぎません。そんなゴミからエラそうにアレコレ言われたくはナイですよね!

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