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2017/06/01

社会的行事ともいえる2018年4月入社に向けた人材選抜の面接が始まりました

選択肢は沢山あります。
相互に間違いの無い選択を、自らの責任で!

先ず、スケジュール管理ができない人は根本的に能力を持たない:
半年以上前から「業務進行に伴う予定日」が決められていた(であろう)事を、
12日前に厚顔な姿勢で突然「文書案内」する。
それは、ある日2~3人で「居酒屋」へ行こうか、というテーマではない。
(毎年度会計の予決が不可避の定例会合だ)
担当者の「マネジメント能力」がゼロの無能を示している。
(任せた人に事情が生じた事を知らなかったとでも言うのだろうが)
「マネジメント能力」には「リレーション(コミュニケーション)」が含まれるのはいうまでもない。

それで人を集めチームを形成できると考えているなら、世の中ではナンの心配事も生じないだろう。
小さな基礎自治体とはいえ行政職員だったとか、開いた口が塞がらない。

「センス」というのは、この種の「お世話」案内でも顕れる。
その種の事でも「人のクォリティ」は露呈するから怖ろしい。
この種の間抜けは何処にでもありそうな事ですから皆さん、ご覧になればお分かりと思います。

センスの無いヤツは最低ですね!
「会計が左右で合わないのも分からず、それをよく報告しますね」と、後継人材が嘆くように指摘してきた。
そういう事があるのだろうか。
遠方から客員として出席した後継人材は、その点を理解してか、
落ち着いた対応をするが「困った事です!」と言っていた。

他人様のお世話をする、それなりの名誉を伴う肩書きを得たのなら、それに見合う「覚悟と日々の地道な努力の積み上げが求められる」。
しかも、お世話を受ける側に「さすがに」と感じさせる「センス」が必要だ。
それを根本的に欠く人物に、それを求めるのは真に愚かな事とも云える。

その人事が決められた時点で「今日の姿」は予見できるのだが、決めた側も同様のセンスだし、それは組織風土というか思考体質ともいえるのだろうが。
堕ちた組織を立て直すのは容易ではない。

後継人材によると半ば公的組織ながら、実力者の退任後には、ここも、あそこも、あちらでも、こちらでも、同様の事が多発しているらしい。
組織とはリーダーシップを発揮する側の人材が「公器を預かる自覚と責任」を持たなければ、世間を狭くし見放され支持を失い結果的に潰してしまうのだ。
それなりに7年手掛けた組織が、引き継ぎ後僅か2年で、存亡の危機に瀕している事実を知る事になった。阿呆では事業経営はもちろんだが、公器としての組織経営はできないのだ。

そこで、人だけに関わらず何事にも「品位」が話題になります。
「品位」は「内発的」に形成される要素でもあり、外的刺激を受け「外発性」に依拠し形成される事もあります。
何れも高質良好な「品質」を求め追う人(層)と、様々な制約条件に因り「制約された品質」を受け容れる人(層)があり、それらが自由に競争し合う事で様々な選択の可能性を提供する自由な市場が形成されています。
それをどう捉え、それにどう関与する(できる)か、それぞれ固有の「品位」の適合性が様々な条件を形成するように思い致します。
「高位の品質」を目指す人は、様々な努力を重ね求められるポジションを備えようと努力しますが、それに然したる「価値」を求めない人は背を向け自身の品位に浸り満足を得ようとし、他の努力を横目から否定する途を選び閉じ籠もります。
何より「特上」と「松」また「竹」そして「並」は同じではありません。
しかし、差を大きく意識させないように工夫し「見映えを整え」る事で、それぞれの人(層)の満足を図るのです。
どちらも自由で、どちらも間違いではありません。

ただ、どこまで本当か裏付け(エビデンス)の無い、無茶苦茶な非難や、際限の無い自慢話はバカバカしく相手にできません。
人の「品位」というか「品性」は、事案や事象への対処を見ると、残念ながら明確に表れますね。

その上で、社会で一定の(安定した)収入を得ようとするなら
社会で必要なポジションを得ないと難しいのです。

それには、普通(一般的)に評価される何らかの才能や技能を必要とします。クチではゴタゴタ言うけれど、実際にはクチほどもなくナニも成し得ない人は、社会(世間)では、そのように判断され評価されます、

一定の才能や技術を保つ人は、時間の使い方を考えます。
1年は365日で1日は24時間、これは普く平等です。
この時間を、どう使い、何を産み出すか、それは何を解決できるか。
人生は1回ですから、仮に80年生きると29,220日。
そのうち生産対象(働ける)年齢期間15歳~70歳と欲張って55年で20,089日。
時間にして482,136時間ですが、どう使いますか?
ちなみに、この生産対象期間は28,928,160分です。
秒に置き換えると1,735,689,600秒になります。
ナンと儚い事ですかねぇ~! ナニを生産しナニを残しますか?
実際には往き帰りの時間や休日を差し引く必要があります。
建前での法定労働時間では1年で2080時間です。
55年間は114,400時間に何(付加価値)を生産するかにより個人が獲得する収入は決まります。
日本の労働慣習を軸に考えれば1時間当たりの生涯平均賃金を仮に5千円にすると、賞与引当金や退職金積立金また通勤費や諸手当、そして社会保険諸費用負担金を考えると2・5倍の1・25千円になり、生涯賃金の累計が1・5億円弱(企業により差はありますが)です。
法定内の残業時間等を年間480時間、55年で26,400時間を加え合計140,800時間で、適当で簡易に捉えても累計は、ほぼ3億円ほどになります。
様々な方法で全体の労働可能時間と付加価値生産および労働分配を算定してみて下さい。

これは一例ですので、これらに焦点を当て工夫しながら取り組んで下さい。
やがて社会的評価を得て、希望するポジションを獲得する事で、スキルを不動に固める事もできます。

厄介なのは、クチだけで、何もできないまま、一端の評論家に収まりアレコレ社会を批判し溜飲を下げ、
「自分を認め登用しない社会は間抜けだ」と、常々ナニやら主張し鬱憤を晴らし悦に入りたがる人です。

それぞれ自由です。
就活は採用に向けた面接の時期に入りました。
就業希望者と採用者が、これらの点を踏まえ、型どおりではなく、よく話合われる事を求めます。
20代~30代前半は、差して変わりませんが、30代の半ばで時間の使い方に工夫が見え変わり始めます。

そこまで待たなくても、面接を深める事で、どの程度の取組みをする人材かの判断は大凡できます。

世の中には、社会に背を向け、威勢の良い語呂を吐き続け、一時の人気を得ようとし、それで満足する人種もゴロついています。
その人達に共通するのは、過剰な自意識と無用なプライドです。

それはどこかで何らかの超えられないコンプレックスを受けた反動でもあり、いじけたまま過ごす上で、その人を支えるエネルギーですから容易に修正される事はありません。
「批判の虫」に陥りがちです。直ぐに判別できます。
厄介を承知で多様な人材として抱え込むのも採用者の考え方次第です。
人材は企業力(競争力)の基礎を為します、いよいよ始まります、

要は「時間」という資源を効果的に使い、社会的な還元を為し得る事が重要なのです。
志望し採用に向けエントリーした会社は、冷静な「話」の中から、人物像や固有の性格を含め静かに眺め判断しているのです。

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