最近、一部の巷で流行るウワサ事:誰が百貨店やアパレルを殺すのか?
Ⅰ>「百貨店を殺すのは誰か」
「アパレルを殺すのは誰か」と喧しいようで。
間もなく「飲食事業」も同様の陥穽に陥ります。
★少々長文です。また少し根気と知恵に思考が必要ですが、ご一読下さい。
長らくその世界に身を置いて居た者としては、実に滑稽なオハナシで、少々「片腹が痛い」と言いたいところです。
いずれのテーマに対しても提起者によるそれぞれの指摘は一応の的を射ていますが、本質を衝くものではないと受け止めます。
事業(企業)は、なぜ、ナンの為に存立するのか?
此処に全てが集約されているワケです。
①従業者、②株主(出資者)、③市場(顧客)、④利害関係者、⑤社会責任
これらの均衡(バランス)を欠いた時点で「成立」しないのは当り前ではないでしょうか。
現在の無間地獄ともいえる競争環境で、上位に位置する者が下位に位置する者を喰い合う事で、名目上の体裁を保つに過ぎないビジネスで、どの分野に位置する従事者でも、顧客でも本当に「幸せ」を感じる事ができるのでしょうか?
百貨店は当初「ショーケース」として始まったワケです。
期待された「ショーケース」としての役割を終えると、消費財の売買(物の供給)拠点としての機能へ脱皮し、マーケティング的には購買力を付けた顧客へ「一つ上の充実感」を見せ、商品提供する事で、爆発的に市場(顧客)を形成しました。
次に市場(顧客)を階層化し差別化する「商品集積」を図り、顧客(市場)の期待に応えたワケで「成功の絶頂期」だったのではと。
これは社会経済の発展に合わせ顧客(市場)の欲望を刺激する事で、新たな顧客(市場)を細分化し深耕する事で成功したともいえます。
社会経済の発展は表面的には「物品の売買」に現れますが、裏面では「金融が支えて」いるワケで、社会経済の発展は「金融の発展」と一体なのです。
「金融」が発展した事で、様々な「金融商品」「金融サービス」が金融市場へ提供され、誰もが容易にそれらにアクセスし、個々人の金融事業(ビジネス)を企案するようになります。
「ファンド」など、自由に個人が「(金融)投資協同組合」を組成し、有利で有益な「投資対象」を見出し、自己責任で「投資」する事は、法令さえ遵守すれば縦横無尽の自由度が約束され、市場には所謂「金融機関」以外の資金が供給されるようになりました。
社会経済で「金融の自由度」が低い条件下では、例えば商品流通も固定的な概念の下でのシェアも成立しますが、元手(資金)調達の自由度が高まれば、市場参入自体の自由度は急激に大きくなります。
そこで、アパレル(知識集約型)などの分野は「資金リース」を利用する事で、例えば、市場競争での店頭(見映)差別化を競うようになりました。
百貨店(設備集約型)などは「リート資金」を得る事で、都心店舗の充実拡大や都市域の郊外拡大(住宅地の開発=モゲージ資金活用)型への対応店舗の開発に着手しました。
勿論、既存の大手流通業は「都心の商業施設」は言うに及ばず「巨大ショッピングセンターやモール」の開発を推進し、一挙に店頭の「売り場面積」を拡大しました。
「アパレル」は、これらの何れもで「場所埋め」に総動員され、吾が世の春だったと思います。
何よりも「金融」と「商品流通」も「経済のグローバル化」に支えられ「発展途上国での生産品」を市場で自らが「直接販売」する事で「利益」を得られるため、「ファンド」受けた「投資」への「配当(リターン)」あるいは「リース資金」の償還などで善循環を維持拡大したワケです。
顧客との接点ともいえる末端市場の急拡大が進む一方で、そのスペースを埋める事ができる「商品供給事業者」は、必要な能力を十分に持つ側は限界に達し、「百貨店」も「SCやモール」も差別化も何も感じられないほど一気に質の低下を招きました。
同様に、流通への参入自由化は「設備を要する大型店舗・SC」だけではなく、インターネットの発達拡充により、従来型の「通信販売」の事業も一変させ「ネット販売(知識集約型)」は大きく発展充実し、日常的な消耗品消費財の流通多様化が急拡大しています。
しかしながら、何れの流通事業者ともに、都心店も郊外店も「食品流通(販売)」以外は、顧客を十分に捉え切れていないように観ています。
「アパレルを殺す」のは誰かへの回答は「アパレルを殺すのはアパレルに従事する者達である」と。
先ず何よりも「金融」の環境条件変化により、競争の質が「商品の質」も大切ながら「金融条件」をクリアするために、表面上の「末端価格と予定利益」だけの設定条件に囚われ、本当に必要なビジネスの企画が為されていません。
それに大半を依拠する「百貨店」は、顧客(市場)から期待されず悲惨な状況にあります。それは「巨大商業施設」も亦同じです。
全体を通じて言えば「アパレル」も「百貨店」も「巨大商業施設」も「金融に頼った事で『金融』にシステム毎、殺される」と言えます。あるいは同じ事ですが「自死」を選ぶかです。
「現象」批判に口角泡を飛ばし「本質」を理解できないまま、「踏み潰され」本当に「自死」を選んだ「アパレル」や「雑貨」の経営者は枚挙に暇がありませんね。
現在の日本国内の「流通市場」は、金融でいう「デリバティブ」です。
「デリバティブ」は極めて限られた市場で、様々な「条件」を変化させながら、自らの「利益」を確保する事を目指すのが思考の基本です。
既に「百貨店事業」も「アパレル」も、実は「金融工学」なのです。
兵隊が考える「個別のデザイン」の優劣、兵隊に過ぎない店頭スタッフのセンスや知恵あるいは技量になど、「マンパワー」も重要事項ですが、勝負は企業(事業)としての「戦略」とそれを担える「人材の質(思考能力)」の問題に焦点が移っているワケです。
アパレル事業者や実際デザイナーと呼ばれる現場の実態は、
事業経営の思考回路が無茶苦茶な「アパレル」関係の会議は疲れるだけで、殆ど生産性がありません。
(よくそれで事業をやってますね)会議にはテーマに基づく「カテゴリー」というか「クラス」とか「ポジションやランク」があるワケでして、ナンでもカンでもヒトを集めて会議すりゃぁヨイというワケではありません。
全体を貫く商品企画会議をするなら、
少なくとも、その対象期間の「事業計画(目標)」を提示する事が先でしょう。
分かりやすく言えば、懸かる経常費用(経費)が300円だとすれば、必要な粗利は300円以上でないと経営できませんよね。
経費には借入金の支払い利息を含みますが、返済資金は含みませんので、返済分は「資金勘定」で計算しておいて下さい。
ざっと、乱暴に粗利に含め計算して貰っても結構ですが。
会社のカネは「資本金」か「借入金」または「売上高」の何れか以外にはありませんのでね。全部ひっくるめ、それらの資金の必要額合計が「売上高」の40%なら、1000円の売上高で粗利を400円稼ぎ出す必要があるワケです。
勿論、粗利の計算で「仕掛品」や「在庫高」を無視する事はできません。それらの整理があって、まず全体の商品企画(体系)なんですよ。
その上で、それぞれのポジション毎に「売上高構成」があり「商品毎のデザイン」があるワケでしょう。
その際、企画する商品を担当するデザイナー(という名の職種者)は、最適素材(最適原価に基づき)を選定する、加工生産する工場の価格を考えながら作業を進めるワケで、それらがビジネスモデルとして一定のレベルで「体系化」されている事業者と、それが成されない事業者が「同様に市場で争う」のはご自由ですが、そうでない事業者が結果的に「同様の商材」生産を形の上だけで求めるのは、「資源の無駄」であり「時間の無駄」ですね、尤も「人生の無駄」なのですが、全く分からないオヒトは「何が無駄か」も分からないようで、いやまぁ真に不思議な世界です。少なくともアパレル製品の流通は「工業と商業」なんですから、軸に座ると思う側が経営の基本くらい整理した上で、作業を指示しませんとねぇ、された方はその指示の目的も目標も分からずに、どうして適切な業務ができますか。
結果は、作業を依頼する工場へ「この価格でやって下さい。でないと困るんです」と根拠も無しに押しつけ言うだけになります。
アンタら、「モノ造り」をナメとんのか!?一方では、「工芸的世界」にドップリ浸かって「嬉しかった」と言って、その日の売り上げを飲食で使い切る幼稚なオバカ多も居ります。
ホントに、幼稚でオバカ多なビジネスと、周りから眺められ呆れられているのですよ。例えば、
サマーバーゲンの店頭価格の私見:「店頭で70% off の 70% off というフザケた価格での投売りを見せられると、製品の一点単価を値切られ、抑圧され続ける縫製加工場を経営する者として情けない」との、
大切なお友達のコメントを拝見し、長年にわたり「マーケティングに伴う思考とマーチャンダイジング(MD)」について愚考また助言してきた者として、本当に申し訳なく受け止めました。まず最初に、市場に対するMD上の間違いがあり、それが具体的には商材の混乱を招き「捨値処理」になっていると考えます。
SPA事業者でよく見受ける 70% off の 70% off (実際は21%の価格)は、以下に示す極めて粗い経営論考に因り生じていると考えます。店頭事業者Aの限界利益(絶対必要経費)が40%だとします。
そこで希望小売価格(上代)10,000円の商品を100枚企画します。
100枚を狙いどおり正常に完売すれば、
売上げは1,000,000円になります。
限界利益(必要な経費)は40%ですから、400,000円です。
店頭で販売する商品(製品)の製造価格(仕入価格)を200,000円に抑えれば、400,000円の利益を得られると考え、
製品縫製加工場B事業者へ、仕入れ総額200,000円厳守で発注します。
(ここで受ける側が「足」の引っ張り合いという自殺行為もあります)店頭事業者Aは、それらも利用し「バイイングパワー」を発揮して、
1,000,000ー(400,000+200,000)=400,000円を得る計算を成立させます。しかしながら、世の中そうそう思いどおりにはなりません。
そこで店頭の動向を事前想定した商品消化計画を準備します。
条件は同じく10,000円(仕入れ原価2000円)?100枚です。
店頭事業者Aが想定する店頭値引き消化の目安
①10,000円?30枚=300,000円
② 7,000円?20枚=140,000円
③ 5,000円?15枚= 75,000円
④ 3,000円?20枚= 60,000円
⑤ 2,100円?15枚= 31,500円
累計606,500円
⑥606,500円ー(400,000円+200,000円)=6,500円(予定の100万円に対し6厘5毛)を得る事ができます。
*これは「マネーゲーム」です。(マネーゲームで観ると容易に理解できます)
*2,100円という最終処分価格は、2,000円の仕入れ価格を切らず、仕入れ原価に対し100円高、即ち5%高を保ち年間金融利息を十分に上回るワケです。
*在庫を廃棄すれば「産業廃棄物」になり、処分費用が必要になりますから、店頭で上手く「廃棄物処理」ができ(しかも消費者が幾ばくかでも仕入れ価格を上回るカネを払って持ち帰りしてくれ)るなら、なお良く、大きな「利益」は得られないが、大きな「損失」も生じないとの考えが基底にあると観ています。それでは、仕入れ原価率を20%に抑えるには、縫製加工場の利益や原料素材事業者の利益、あるいは物流事業者の利益を考えると、どのような「原料・素材」を用い、関与する人員(付加価値)を抑える事になるのか、そこはお友達のコメント指摘のとおりで。
しかしながら、業界を口先評論する憐男は、捨値処分価格をも下回る、最終店頭価格(バッタ価格)の商品を買い漁り、それをコーディネートし単純に喜び、無邪気にハシャギ、さもモノ知りで倹約家だと自画像を撮りfbへアップし自慢するやら、それを観て羨ましがりヨイショするヤカラもありで、世も末としか言いようがありません。
誰の、何を、どう、幾らで、解決するのかを考え、それは誰の犠牲により「成立」する(している)のかを真摯に考え省みる必要があるのでは・・・・・・・
つまり「アパレル」であろうと「百貨店」であろうと、真に「モノやサービス」に姿を変えた「金融商品」を扱い販売している事を理解する必要があり、その点を十分に理解し対応できている事業者は規模の大小に関わらず「利益」も得て「成長」もしています。
モノ事や社会環境の変化、あるいは参入与件が理解できない者は、周到に準備し囲い込み収奪を図る者により確実に餌食にされると言えます。
以下は「トピック」です:
阪急百貨店「うめだ本店」の婦人服売上高が絶好調というワケでは!?
他店が「ノーアイデア」のまま、低迷する状況を比較すると
「相対的に好調な数値」と言えるかも知れませんが。
この記事を目にした他店の関係者が、今日は「うめだ本店」を偵察しに来る事だろう。同時に、物事の本質を深く考えない「軽チャァ~・モノ書き(恥書き)」が押し寄せアレコレ的外れの記事を垂れ流す事でしょう。
それを観て「知ったバカぶり」が、またぞろ「的外れ」で参入し枯れ木も山の賑わいになりますか。
この記事は、実際を丁寧に取材しレポートしている点で、よく書けていると評価します。引用開始→ 「阪急うめだ本店」なぜ婦人服が絶好調なのか
広域から顧客を呼び、足元の売上高は2割増
(菊地 悠人 :東洋経済 記者 2017年08月03日)衣料品が売れなくなって久しい。日本百貨店協会によると、全国百貨店における衣料品の売り上げは2017年6月まで20カ月連続の前年割れ。衣料品、特に婦人服は百貨店の主力商品であり、その低迷は百貨店の業績にも大きな影響を与えている。
そんな中にあって、売上高を前年同期比で2割も増やす売り場がある。大阪・梅田にある阪急うめだ本店の婦人服売り場だ。
改装から半年で状況が一変
阪急うめだ本店は「東の伊勢丹、西の阪急」と、伊勢丹新宿本店と並び称され、もともとファッションに強い百貨店だ。ただ、婦人服の売り上げは、近年伸び悩んでいた。同店の佐藤行近(ゆきちか)本店長は、「化粧品売り場には若い女性が多く、高単価の有名ブランドを買ってくれるのに、婦人服の売り上げにつながらない。婦人服売り場にどう集客するかが課題だった」と語る。
同店は2012年11月に全館改装し増床開業している。そして2016年3月には、3階と4階にある婦人服売り場を再び改装オープンした。
状況が変わったのは、改装から半年が過ぎたあたりからだ。2016年11月から本店の婦人服の売り上げが前年実績を超過。特に足元の4~6月期には、3階の婦人服売り場の売上高が前年同期比約20%増と、本店全体の牽引役となっているのだ。
改装によっていったい何が変わったのか。
阪急うめだ本店3階にある自主編集売り場「Dーラボ」。国内外の新進気鋭のブランドを取りそろえている(記者撮影)
これまで阪急百貨店で取り扱いのなかった個性の強い欧米やアジアの若手デザイナーブランドを中心にそろえた。世界中から商品を調達するようになった結果、取引先の構成がこの1、2年で大きく変わったという。ほかには、訪日客からの人気の高い「コム デ ギャルソン」なども誘致した。3階のフロアは、他社にはないもの、差別化を図る売り場というコンセプトがある。それによって、客層の幅が広がり、関西エリアだけでなく広域から新規客を取り込めるようになった。
海外も含め広域から集客
「広域」には訪日外国人客も含まれる。大阪地区の百貨店は今年に入り、訪日客数が再び増加、免税売上高が大幅に伸長している。阪急うめだ本店でも7月の免税売上高は前年同月比約7割増と絶好調。化粧品など免税品を買いに来た訪日客を、婦人服売り場に呼び込むことにも成功している。4階は、現代的な旬なファッションを楽しむコンテンポラリーファッションフロアに改装した。その特徴は服を使うシーンごとに分けた提案型売り場に変えたことだ。
たとえば、「都会の要素を意識し、旬のアイテムをそろえたアーバンスタイル」「友人の結婚式に行くスタイル」「休日に近場に外出し食事を楽しむときのスタイル」「ビジネスカジュアルも意識したオフィススタイル」といった具合だ。
売り場の鮮度にもこだわる。7月に4階を訪ねると、ちょうどその時期に着るのにぴったりな盛夏物だけでなく、晩夏や秋物も同時展開していた。季節を細分化して提案することで、お客がいつ訪ねても新鮮味を感じられるようにしている。
また、アパレル大手・ワールドの「アンタイトル」やオンワードホールディングス傘下のオンワード樫山の「23区」など、これまで独立型ショップの多かったブランドを1カ所に集め、比較購買できるようになったことも大きい。
「服の好みに年齢は関係ない」
たとえばトップスはアンタイトル、ボトムスは23区など、お客は自分の好みに合わせて服を選べる。通常、百貨店の婦人服売り場では、アパレルメーカーから派遣された店員が接客するが、阪急うめだ本店の売り場には阪急百貨店の従業員もスタイリング販売員として常駐する。そして、1人ひとりのお客に対し、ブランドの垣根を越えて着回しコーディネートを提案する。アパレルメーカー側も、阪急の取り組みに理解を示しているという。
佐藤本店長は「服の好みに年齢は関係ない」と言い切る。これまで婦人服売り場は、顧客の年齢と商品の価格帯で分類していた。しかし改装によって、主に商品の嗜好性を軸に売り場を再編成した。それにより「20代から60代まで年齢を問わずお客様が来店するようになった」(佐藤本店長)。
アパレル不況の中、気を吐く阪急うめだ本店。訪日客に支えられている点はあるとはいえ、不況脱却の一つのヒントになりそうだ。←引用終わり
Ⅱ> 誰が「百貨店を殺すのか」「誰がアパレルを殺すのか」:
先進工業国の消費市場は「ゼロサムゲーム」の認識が考え方の基本です。
新たな投資を産むにも、まず、それを必要とする基本的なニーズがありません。
従来の設備を更新する改良投資は継続されていますが。
従って、現在、世界には巨大な「資金」が余っています。
「カネ余り」ですから、国際金融市場では「低金利」が継続されています。
でも「カネ」を寝させていても始まりませんから、小規模でも短期的に利益を得られる「投資案件」に目が行きます。
1990年以降、経済のグローバル化に呼応し、簡単な「投資」で大量に「雇用」を生む事で、投資国から歓迎され「有利な条件」を得られるのは、然したる技術を必要としない「人手(単位当人件費)勝負」で且つ「幼稚産業」の代表でもある「繊維加工業」に着目されたワケで、いわゆる単純消費財は軒並み諒解された「価格」が崩潰する事にもなりました。
この流れは、当初の「中国」でも「東欧」でも「ASEAN」でも同じで、最近は「南アジア」「アフリカ」「後発東欧」へ国境を超え無限の拡がりを見せています。
生産すれば消費が必要ですから、その市場を創り出せば良いわけで、これも大量の投資を必要としませんので、同様に国境を超えた投資を競うようになりました。但し「消費」は先進国市場へ一気に「投資」する事になります。
なぜなら、求める「リターン(利益)」を得られないからです。
投資資金の回転が速く獲得利益も見込める先進国のボリューム市場をターゲットにした「デリバティブ」の手法を形成し、この流れを巧妙に創出したのを、アパレルで例にとれば、ZARA、H&M、GAP、FE21、UNIQLO、IKEAなどを上げる事ができますし、スポーツウェア(グッズを含む)は、トップ選手をイメージリーダーにして低価格ボリューム商材を大量に市場へ供給する事で、裾野を拡げると同時にトップ選手への支援費用や技術開発費用を吸収する方法で、相乗効果を得ています。
ここに「短期大量生産」「短期大量消費」の市場構造(環境)が形成されました。
発展途上国または後発国では「大量の労働機会が創出され」、先進工業国や新興国の一部では「大量の労働機会が損傷を受け消滅」しました。
グローバル化が進んだ結果、本質的な「付加価値を保たない単純な消耗品的消費財」は一気に価格を崩落させ、従前の「先進国型生産方式による価格設定」は無意味になり、事業経営そのものが成立しない状況を招来させ、先進工業国の単純労働分野が大幅な合理化を迫られ、大量の解雇が生じ「社会不安」の素にもなりました。
先進工業国は、多くの現実的な困難に直面させられましたが、同時に消費財の市場価格は抑制され「政策上の困難」はあっても「社会不安」には至りませんでした。
この間、生産点から流通点への「労働シフト(労働移動)」を円滑に進める事ができた分野では「労働機会」の提供回復を成し遂げましたが、そうではなく困難を抱え込んだまま「労働シフト(労働移動)」ができなかった分野が生じました。
「労働のサービス業シフト」が喧しく言われました。
「経済構造」の大胆な転換に取組み、労働構造の転換による労働機会の新たな創出と吸収を効果的に進めた先進工業国の一部は、短年月の間に再び「成長軌道」に戻す事ができています。
日本は、金融機関の不良債権処理や社会構造の大胆な変化に取り組む事もないまま、徒に歳月を喪い、今や完全に乗り遅れ、かつての仲間から取り残されています。
消耗品的単純消費財の価格低下または崩落は、言うまでもなく1990年代から始まり、既に四半世紀25年以上継続されているのです。
この間に、これといった「経済社会の構造改革」もせず、「金利政策」で「国際金融」への対処や「富の創出」ができると考え続けた「日本」は完全に間違った途を歩んでいると思います。
百貨店という業態の「都心店舗」また「ターミナル店舗」。
あるいは「都心型商業施設」また「ターミナル型商業施設」の何れもが、大規模郊外型商業施設に取り巻かれ、殆ど「商品構成」も「価格帯」でも変化がなく差別化もできない状況では「輝きも煌めき」もありませんから、必ず日常的に反復継続的な一定額の購買で支持を示す大量の熱い顧客を抱えていなければ難しいですね。
実際には、百貨店が強みや魅力を示し、自店の顧客を惹き付けてきた「アパレル」の分野は、アウトレットモールを含む大規模郊外型商業施設への大量出店もあり、基本の部分での「差別化」ができない状況に追い込まれ抜けられないまま、経営体力を疲弊し続けています。
いずれの「店頭」も、在庫の損失は被りませんので、百貨店、商業施設出店者に関わらず、取引先(協力先)への損失補填シフトが進みます。
結局は「価格勝負」へ追い込まれた事業者も多く、急激に経営体力を低下させ、力尽きた事業者から息の根が止まる事情にあります。
そのような状況で、8/03の「東洋経済」の記事
"「阪急百貨店うめだ本店」は婦人服分野で売上げを伸ばしている”に出会いました。
我々は、一定の付加価値を生まない(売らない)のであれば「百貨店」は不要。
その小判鮫のアパレルも不要と指摘し続けています。
「付加価値」とは関わった「人の知恵」ですから、「付加価値」を否定し「低価格」を自慢する人に「付加価値」について、アレコレ的外れの批判を受けたくないと考えています。
我々が第一に指摘し追究する「付加価値」の原点は「旬」の形成と提供です。
日本の「二十四節気」と「月暦」を基本に「陽暦」での展開を、過去10年以上にわたる日々の気温変化(最高と最低・また平年の日々平均)を参考に「季節(素材+色)重合」での展開を、その知恵を求める学校では必要な学生相手に講義し、リスクを張らせ実践に取り組ませてきました。
「ノーアイデア」の人材は、「面倒」「邪魔くさい」「難しい」「分からない」など、様々な理由や理屈を付け逃げ出し続けましたが、正面から取り組む人材は伸び代も多く、適切な「プラットホーム」を得る事で大きく伸ばし得たと考えています。
現在は、消え物消費財の代表とも言える「飲食事業者」が、この流れの洗礼を受けつつあるように観ています。
Ⅲ> 誰が百貨店やアパレルを殺すのか:
(最後も長文です。ご辛抱下さい)
ここまで2章に分けて、簡単な「カネ余りの金融」と「経済のグローバル化」が背景の要因と解説してみました。
ゼロサム社会でのデリバティブが大きな要素なのですが、
それだけでは、結論としては乱暴ですから、もう少し詰めてみたいと考えます。
先にも触れ、指摘したとおり、世界の事業者が主力製品の製造拠点を海外に求め移転しました。
そこに待ち受けた途上国側の条件は、単純労働に見合う「コスト安」=「大量生産」でした。
要は「規模の経済」を求め(られ)たワケです。
第二章で触れたいくつかの事業者は、その数量条件を達成する事と、それを達成するために「生産品種の絞り込み」を徹底しますると共に、市場価格に見合う「品質」を求めました。
それには「生産技術者」を大量に送り込み「品質向上」や「技術移転」を徹底したワケです。
この条件に見合う「製品」が輸入され、市場へ消費財商品として「供給」されると、既存の事業者は太刀打ちできず、アタフタと狼狽するばかりで、製品製造の仕組みが根本的に異なる事を省みず、国内の製造事業者にも「同一品質と同一価格」を求めました。
それは根本的に無理な要求にも関わらず、仕事(受注)が無くなる事を懸念する弱体事業者が後先も考えず応じ、結果的には「自死」を強いられる惨憺たる結果を生んでいます。
現在時点で、仮にアパレル製品の「日本国内生産品」が20%だと仮定します。その内の80%は「外国人技能実習生」制度を利用し、来日した「中国人」「ベトナム人」主体の非日本人の手に依ります。
実際には、この段階で「構造改革」すべきだったと考えています。技能実習生制度により弱体で経営体力を有しない事業者を救済し、事業転換をさせず延命した事で、ますます日本の経済は弱体化し国際的には全く競争力を喪いました。
これはアパレルだけに関わらず、全産業の分野でも優勝劣敗が進まず構造的な弱体要因になっています。
また「海外へ生産拠点」を移した事業者も、小規模は小規模なままで「技術」の高さ、あるいは「品質」の高さを自慢しても、それらの製造品の殆どは「日本国内市場」へ輸入(還流)されるばかりで、積極的に他国の市場を開拓するとかする事はありませんでした。
この結果、川下の小売商業分野では「在庫が溢れ」それを処分する「崩落価格」の投げ売りが続く(いまもなお)状態です。
それらもあり「消費者」の価格に対する猜疑心が一層高まる事はあっても、上昇に転じる環境にはありません。
これらも結果的に「弱体な構造」を残存させただけで、日本の弱さを延命したと言えます。
この状況では、とても「政府・日銀」がマイナス金利を導入したところで、消費財については、どの分野でも「空耳の如く空回り」するばかりで改善傾向を見出す事はできません。
これらの要素が複合的に「百貨店の店頭」を覆い、百貨店の主力商材でもあった「ボリュームゾーンの商材」は全体の在庫過多もあり「値引き販売」を常態化させ、結果的に「販売商品の不信」を招き、その殆どの店頭では「販売不振」を招き、アパレルの側と百貨店の側が、お互いの不実を責め合うだけで根本的な解決を見出すには至っておりません。
第一章の投稿でも記述しましたが、多くのアパレルが兵隊としてのデザイナーやマーチャンダイザーの個人的能力に依拠するばかりで、あるいは店頭スタッフの販売技量に依拠するだけで、根源的な解決を探る事すらせず、相互に不信を高め口汚く言い合うとか責任を擦り付けるだけで、双方共に「体力を消耗」させているワケです。
百貨店に限らず商業施設も「ボリュームゾーン」の商品では全く同様の事態を抱えています。
ネット通販も構造的には同様なのですが「機会と場」を提供しているだけですから、店頭を持たないだけ有利な事情にあるだけです。川中に分類されるアパレルなどの中間事業者の体力が尽きると、別の事業者が「機会と場」を求め参入しますから、痛手なく「ECサイト」の維持はできます。
最初にも指摘し記述した事ですが、
①従業者、②株主(出資者)、③市場(顧客)、④利害関係者、⑤社会責任
その事業は、一体、誰のためにあるのかの整理が必要で、それができれば自然と「適正規模」が見えてくるはずです。
その適正規模を考える上で、自らの能力を正確に測定する事から始めませんと、何も残りません。
事業者としての「人材プラットホーム」も形成せず、顧客の絞り込みも十分にできない「百貨店」が食傷気味の「アパレル」の尻を叩いてみた処で、阪急百貨店の狙いに迫れるワケではありません。寧ろ悲惨な失敗が予測できます。
「適正規模」には「立地」に合わせた「顧客」の絞り込み、更に「階層の絞り込み」が基本与件です。
そこから「顧客」の「生活スタイル」や「生活シーン」の提案があり、その顧客が満足して支払える金額(予算の制約)が自ずからあるワケです。
それを一切考えず、単に目標もないまま彷徨しても誰の幸せにもなりません。
「モノやコトの価値」評価は、
それぞれの人の価値観や所得階層また社会観あるいは受信情報の質などにより左右されますから、一概に規定できませんし。
また、人を包む「衣服」は、その包む人の固有の体型などにより、好き嫌いを含め、大きく制約を受け左右されますので、全く一律には論じられないワケで。
それをマネジメントする能力が求められるワケです。
現状は「ゼロサム社会」で「デリバティブ」なのです。
単なる与件で兵隊に過ぎない、デザイナー、マーチャンダイザー、店頭スタッフの能力や技量に一喜一憂するのは、ビジネスでもなければ、産業などというのは烏滸がましいと観ています。
顧客を忘れた「規模の経済」などあり得ません。
顧客を忘れた「小売業」などあり得ると考える方が狂っています。
そのマーケティングの建て直しが最も重要な事と言えます。
それができない「百貨店」も「アパレル」も、金融の駒として煽てられ、使い捨てられるだけの存在でしかありません。
<了>
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