2017年10月の衆議院議員総選挙で考える事
感想を先に言えば、力量を欠く政治屋の醜さを思いっきり露呈させた選挙だった。
真の力量を備えない政治屋志望の愚者が、ここまで酷いとは!?
国民の多くは、これまでの幼稚な馬鹿騒ぎの繰り返しを見せられ、薄々は感じていただろうが、それが臆面もなく眼前で繰り広げられ、逃げられない状況へ追い込まれた事で、心底「呆れ果て」たのではないだろうか。
国会(衆議院)議員という名誉欲とそれで得る「生活費」を死守するためなら、ナンとでもするし、どれだけ罵声を浴びても恥じる事などないのだ。
まず「前原誠司」は、以前から胡散臭い人物で肚の据わらない脆弱だと眺めていたが、この度、それを裏切る事なく存分にその弱体本性を見せてくれた。
「名を捨て実を取る」とか「深慮遠謀」と綺麗事でかたづければ収まりも良かろうが、実際は見通しの甘い思慮の足りないオバカでしかないのだ。正確なメガネをかける事が先だろう。
この男を支持し支援する京都は東山区と山科区の有権者の考え方はどうなのだ!?
観る目があるのか? 何を理由に支持し支援し投票するのか?
この「前原誠司」の求めに応じ「組織とカネ」の乗っ取りを安易に描き、自分勝手な絵物語で配下を得て勢力を拡大し、無能メディアを焚きつけ煽り上げて「頂上決戦」に成功すれば、日本を支配できると都合良く考えた、狡猾さ満載の「小池百合子」の怪しさが一挙に爆発するトコロだったが、メディアもそうそう馬鹿ではなく、騙される前に踏み止まり「ウソ」を暴き「無責任」を追究し、個人商店としての政治姿勢を糾弾した。
「前原誠司」を同志とし、また「小池百合子」の政治的能力を正しく評価せず、無原則で無責任な前原の口車に乗った「枝野幸男」とその7人衆も、筋を通した英雄ではなく、同様のオバカである。如何に「政権を打倒」すると言っても「水と油」の関係でしかない「小池百合子」の足下に跪く決定に異議を唱えなかったのだから、その一点においても政治屋としての思考力も判断力も鈍っている。
途中で、気付き「立憲民主党」の結党に至っただけのことだ。一度は軍門に下る事に異を唱えなかった政治的責任は重いのだ。つまり「枝野幸男」も「辻元清美」も「前原誠司」と何ら変わらない「無知」「無原則」「無節操」「無定見」「無責任」なのだ。
「前原誠司」を同志とし、また「小池百合子」の政治的能力を正しく評価せず、無原則で無責任な前原の口車に乗った「枝野幸男」とその7人衆も、筋を通した英雄ではなく、同様のオバカである。如何に「政権を打倒」すると言っても「水と油」の関係でしかない「小池百合子」の足下に跪く決定に異議を唱えなかったのだから、その一点においても政治屋としての思考力も判断力も鈍っている。
途中で、気付き「立憲民主党」の結党に至っただけのことだ。一度は軍門に下る事に異を唱えなかった政治的責任は重いのだ。つまり「枝野幸男」も「辻元清美」も「前原誠司」と何ら変わらない「無知」「無原則」「無節操」「無定見」「無責任」なのだ。
この流れに、将来を展望(果たしてあるかどうか)し、食らい付いた「志位共産党」は捨て身で、野党共闘を成功に導こうと「小異を捨て」ても「枝野幸男」と「辻元清美」へエールを送る事へ踏み切った。これこそ「深慮遠謀」そのものだろう。
ほとんど「野党(民進党)勢力」を巡り交わされた醜い「内ゲバ」でしかない。
「小池百合子」に率いられる事を期待し、小池百合子の選挙戦専売特許でもある「テレビが選挙戦をしてくれる」に対し、テレビは「踏み止まり」ながら「フェイクとトルー」を適宜混ぜ込みながら期待に応えようとしているが、有権者の大半は「茶番」と「馬鹿騒ぎ」に辟易させられ一気に熱が退いてしまった。
B層相手の「オバカテレビ」以外の紙媒体は、一斉に「小池百合子」が率いる個人商店「希望の(ない)党」へ冷ややかな批判を浴びせている。空気も冷え込んできたから「急性肺炎」でも起こしそうな状況らしい。
選挙戦での有権者の目線や批判を受け、泥船の「民進党」から都合良く逃げ出した理念など持たない「政治屋」は、早速「(民進党)再結集」やら「安保法制」「憲法改正」という政治信条や政党のコンセプトに懸かる「政策」で「小池百合子」に「踏み絵」を求められ、軍門を潜る上で承諾し署名した事など、かなぐり捨て、元の「安保法制反対」「憲法改正反対」を唱え始めている。
僅か、1ヶ月にも満たない時間軸の中で、平然と「主義主張」をコロコロ変える「政治屋」を信用し「一票」与えるか、否かは、それぞれの有権者の自由な判断だが、「枝野幸男」や「辻元清美」が立派なワケでは無く、所詮は人と政治の「思考知能」を深める事すらできない人物と断言しておく。
また、それらの軍旗の下に馳せ参じた配下は、政治的に稚拙な「迷える子羊」に過ぎず、彼らは「生活共同体」の一員でしかなく、政党という「選挙互助会」の利益共同体の利用者に過ぎず、現実の政治社会から「排除」されるしかないのだ。
結局は、9月初旬に描いた「(各政党の)勢力分布」を上書き追認する事になるワケだ。
日本の社会は「政治屋」の中に巣喰う「無知」「無定見」「無節操」「無原則」「無責任」で肚の座らない不適格者を辛抱強く摘まみ出す事をしなければならない!
それは実に悲しい事だが、その種のオバカを国会(衆議院)へ送り出す「有権者」の責任なのだ。
B層相手の「オバカテレビ」以外の紙媒体は、一斉に「小池百合子」が率いる個人商店「希望の(ない)党」へ冷ややかな批判を浴びせている。空気も冷え込んできたから「急性肺炎」でも起こしそうな状況らしい。
選挙戦での有権者の目線や批判を受け、泥船の「民進党」から都合良く逃げ出した理念など持たない「政治屋」は、早速「(民進党)再結集」やら「安保法制」「憲法改正」という政治信条や政党のコンセプトに懸かる「政策」で「小池百合子」に「踏み絵」を求められ、軍門を潜る上で承諾し署名した事など、かなぐり捨て、元の「安保法制反対」「憲法改正反対」を唱え始めている。
僅か、1ヶ月にも満たない時間軸の中で、平然と「主義主張」をコロコロ変える「政治屋」を信用し「一票」与えるか、否かは、それぞれの有権者の自由な判断だが、「枝野幸男」や「辻元清美」が立派なワケでは無く、所詮は人と政治の「思考知能」を深める事すらできない人物と断言しておく。
また、それらの軍旗の下に馳せ参じた配下は、政治的に稚拙な「迷える子羊」に過ぎず、彼らは「生活共同体」の一員でしかなく、政党という「選挙互助会」の利益共同体の利用者に過ぎず、現実の政治社会から「排除」されるしかないのだ。
結局は、9月初旬に描いた「(各政党の)勢力分布」を上書き追認する事になるワケだ。
日本の社会は「政治屋」の中に巣喰う「無知」「無定見」「無節操」「無原則」「無責任」で肚の座らない不適格者を辛抱強く摘まみ出す事をしなければならない!
それは実に悲しい事だが、その種のオバカを国会(衆議院)へ送り出す「有権者」の責任なのだ。
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