座間の猟奇事件で考える どこまで可能か「SNS」規制と社会的トラブル防止!?
例え「A I」をフル動員し、SNSを監視しようが、
その「監視や規制」は、どこまでどれだけ有効だろうか?
受け手の情緒や理解力まで制御できないだろうし、
イヤイヤそんな事が可能なら、それは本当に怖ろしい!
容疑者が取り調べで発した言葉が真に興味深い、
「死にたいという人はいなかった。全て殺人です。ロフトの鴨居にロープを吊して殺害した」というのがメディアで報じられてきた。
この容疑者にも国選弁護士がつき、裁判員裁判に委ねられるのだろうが。
弁護人が事件の背景を解明する事の意味は認めるが、まさか売名のために争い上告を繰り返すのじゃないだろうな。
容疑者も、裁判が始まると一転し供述を覆すのじゃなかろうな。
「依頼(要請)を受けたから殺害に至った」などと、連続殺人を否定し嘱託殺人だと主張するのじゃないだろうな。
そんな事になれば、真に「死人に口なし」の迷路に陥るし、容疑者は「悪魔の証明」を求められるワケだが。
しかしながら、何らの警戒も疑いもしなかった高校生3人が被害者ともいう。
ここから「SNS」への対処や、リテラシー能力が求められるワケで・・・・・
ナンと言うか「暗澹たる気分」に陥ってしまう。
Twitter の利用者には、口さがない人もいれば、自慢の押し売り人もいるし、我こそは正義の味方だという人も、当に素人の軍事評論家や政治評論家も目につくし、犯罪ではないかと思える手口を開陳する人もある。
そんな世界に、十分な思考能力や判断力を持たない若年の被害者が出たワケだ。
なら「SNS]を規制すればよいとの声が出るようで、その方法に「A I」による監視が推奨されている。
その規制を敷いたとして「何を得られ、どれほどの効果を期待できる」のか?
ナニよりも、受け手の能力について考えなければダメだろうと考えるが。
人は、人が智慧を用いて創り出し提供した「文明」により、厳しく「仕返」されている。
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