神戸は今日から恒例の「ルミナリエ」飽きもせず情感に浸る
一度でも始めた事は、当初の役割を終えても「幕を降ろす」事もできずに、新たな目的や理由をつけて継続し、その都度の喜びに浸るのは日本人の特徴なのか。
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/201712/0010798998.shtml
最初は「震災犠牲者の鎮魂」が第一義だった。
現在は「震災犠牲者の鎮魂」を降ろさずに「冬の神戸観光の一翼を担う」が加えられた。
そして、徐々に主催者の顔ぶれが変わり。
主催団体が変わるワケじゃないものの、それを構成するメンバーは大きく変わった。
ステージは準備されているのだから、プレーヤーが入れ替わり維持するのは止むを得ない(当然だ)が。
という理屈をつければ、いつまでも継続できる。
費用負担者と観客は大いに異なる。
観客の中には、個人的に幾ばくかを「ルミナリエ募金」に投じてみても、大半は物見遊山の観客に過ぎない。
そして何よりも外野の衆である。
神戸ルミナリエの費用負担を見ると、花火大会の費用負担も含め「公共タダ乗り論」を、どうしても「NHKの受信料」負担を巡る議論を考えてしまう。
とはいえ、まぁ今日から10日間の開催期間にたくさんの方が愉しまれる事を・・・・・・・
(元は一部ながらも関係した者として願う)
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