そうか マルクスとエンゲルスの共著「共産党宣言」は170年前の1948/02/21だった!
当時の社会が否応なく抱え込まされた社会問題に対する、
一つの「解決策」へのテーゼであり、結果的には彼らが結成する「共産主義者同盟」の「党綱領」になったという。
http://bunshun.jp/articles/-/6275
一つの「解決策」へのテーゼであり、結果的には彼らが結成する「共産主義者同盟」の「党綱領」になったという。
http://bunshun.jp/articles/-/6275
衝撃を持ち、社会の底辺で喘ぐ者に決起を促したとも言われるが、当時のプロレタリアート(労働者)には、その本質は十分な理解を得ていたのか疑問が残る。
いわんや、暴力革命の主体となった「ルンペン・プロレタリアート」は理解の外だったろう。
例えば、それは日本で「経済政策と国際金融また金利を巡る評価」も亦同じで、100人居れば5人程が正確に理解しても残り30人程度は、交わされる議論は「何となく、ふぅ~ん」であり、残余の65人は「参加し聞いた」に過ぎぬのと同じだ。
従って、考え(思想)と「論」を普及させるにはアジテーターを必要とした。
アジテーターは本来の役割を十二分に理解し「煽り」に「煽った」ワケで、プロレタリアートは心の奥底に沈殿させていた杳とした状態の「社会的不満」に対する「憤怒」に火を付けた。現代なら煽り道具には「SNS」が有力手段だろう。
深く考えないため単純な「暴力」に訴える。
どんどん「暴力革命」が進行する事になり、無能に率いられた暴力革命が賛美され、結果的には自壊し続けたのが「共産党宣言」を実践した勢力ともいえる。
亡霊は世界中に跋扈しているようですが・・・
捏ち上げで権力を奪取した愚者の政治権力は特に。
日本でも、
イヤラ志位、タツケン、ミシミシミンシン、チャビンとか。
でも、日本では「共産党宣言」で思想の洗練を受けた側が、プロレタリアートの下位層(アンダークラス)を形成させ、現代のルンプロ(ルンペン・プロレタリアート)を無批判にも収奪対象として恥じないではないか。
マルクスが遺した「資本論」も学術研究の面では、いまも「社会的平等性」を考慮する上では活きている。従って、現在に至る各国の「社会経済政策」で、激烈な議論を闘わせながら改良に寄与しているともいえる。
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