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2018/02/14

西銀座「泰明小学校」の「服育」と言うが、根源的に「制服・標準服」は必要なのか?

「制服・標準服」を強制する事は多様性や個性の育成を阻害すると考えないのか?
自由な発想を育成する、成長に合わせ自由に組み替える事を学ぶ方が教育としては重要ではないか?
良い素材、良いデザイン、それを身に付けるのは「制服・標準服」でなくてもできる。いや、その方が幅広い可能性に満ちている。


半世紀以上前は「中学校」が「制服(学生服)」で「鞄」も推奨品だった。
冬の「学生服」は、ドスキン、サージ、ビニロンなど、家庭の収入に合わせ様々な素材が入り乱れていた。
鞄も「肩掛けズタ袋」と「手提げ学生鞄」に分かれたが、ドスキン派は手提げ学生鞄、ビニロン派は肩掛けズタ袋で、サージ派は相半ばしていた。それは社会の現実的な縮図であった。
イジメもあったろう。弁当持参ができないチャブメシもあったろう、しかしそれは社会の縮図として受け容れられていた。
物質的には決して「豊」ではなかった。しかし各家庭の収入に合わせ「現実を受け容れる」姿があり、時には助け合う事も可能だった。
「服育」も大事と考えますが、その前に「心育」がより大切であり、現実を受け止める「チカラ」が、社会を受け止め克服する「チカラ」の源泉になると思います。



その意味において、小学校の「制服・標準服」についての議論を進めれば良いと考えます。
「制服・標準服」があるのもヨシ。「制服・標準服」は不要もヨシ。
「デザイナー監修」するのもヨシ。「推奨服」に止めるのもヨシ。
その多様性を含め「認め」「許容」し合える社会でありたいと願います。
やっかみというか嫉妬に満ちた外野の無責任で一過性の批判(ヴェルサーチでヨイとか、給食は高級割烹でとか)は、書き込む「ひくえ」ならではのバカ者ならではの知性・言論などは、SNSが普及して以降、現在の日本の知性の劣化を十分に示し残念でなりません。

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