« 「森友学園」の経営実態を記した記録文書が公開され! | トップページ | 就職市場で「金の卵」の変遷を眺め 現在時点のワーカーを考える: »

2018/05/21

是枝裕和監督の「万引き家族」がカンヌでパルムドールに耀いたと!

分かりやすい「社会表現」としての「映画」。
映像を介し「社会」を切り取り「文化」として見せる。
細部に拘る緻密なモノ造りの思想が底流にあるとも言えるか。


  https://www.sankei.com/entertainments/news/180520/ent1805200019-n1.html


アニメも同じくだが、社会の何を切り取り、何を掬い取り追い、どう見せるか、そしてどう覚醒を刺激するか、幅を拡げると焦点を絞れず、幅を広め深みを追えば、快く思わない側から非難や攻撃を受ける。
散漫にせず、焦点を当て、手際よくまとめる。


映像表現を観て、ネット社会で、右や左を論じる事は何らの意味もない。
「万引き家族」は日本の一端を描き上げているだろう。
その現実に触れられたくないヒト達が、自らの無知を棚に上げ「右だ、左だ」と騒ぎ立てるだけだろう。それは真に「無知なモノ言いの応酬」に過ぎない。
現実から逃避し、仮に過ぎない繁栄の幻想に浸ってみても、国や社会が抱える矛盾が解決できるワケではないのだ。
それも理解できない「灰燼(人)」は、真に憐れとしか言いようがなく、バカの所業に過ぎないのだ。


問題提起としては、宮部みゆき女史が、社会の片隅に焦点を当て「火車」を発表した時のように、リアルに迫る点で、当時(1992年)の衝撃を上回る。


日本の現実を、的確に切り取り見せた作品と受け止める。
演技者の自然な振る舞いが、一際「リアリティ」を印象付けたと評されもしている。
演劇も映画も同じく、完成度の高い作品を形成するには、シナリオ、演出家(監督)、理解し表現できる演技者、先ずこれらに恵まれなければ難しい。その上で映画は、カメラワーク(映像表現者)の技術が的確で高質が求められる真に総合芸術表現だと考える。

|

« 「森友学園」の経営実態を記した記録文書が公開され! | トップページ | 就職市場で「金の卵」の変遷を眺め 現在時点のワーカーを考える: »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「森友学園」の経営実態を記した記録文書が公開され! | トップページ | 就職市場で「金の卵」の変遷を眺め 現在時点のワーカーを考える: »