何よりも「自然災害」に対する問題意識がなければ「水害」被害には対処できない!
日本人は固より「農耕民族」である。
そのため、何事にも「棲む」なら、土地(地面)に執着するケースが多い。
同時に「都市生活」の利便性を追いたがる。
https://this.kiji.is/390312633046942817?c=39546741839462401
この希求を軸に「不動産経済」を大きくし「住宅建設」と「内装設計+什器開発」を進め同時形成する事により、今日の「社会経済」を構築した。
大都市近郊というか周辺の平地は埋め尽くされ、公共交通機関が点と点を線で結び住居開発が可能な地域を拡大した。
その過程で「里山」の雑木は伐り棄てられ、里山は切り崩されコンクリートで固められ、仮初めの街区が開発された。
それで止まらず、いよいよ「里山」が山麓として抱えられ「壁」として立ちはだかる背後の「山」にも開発の手をつけた。
そこは「宅地開発威勢地域」であったと思われるが、そこは「規制緩和」や「規制撤廃」を求める圧力を形成し「開発政策」として許容させ着手した。
「里山」を越え山麓の壁を切り拓き開発された地域は「見晴台」であり「眺望」がウリでもあった。
開発者は「巨額の利益」を手に入れ、関与できた建築事業者も「一定の利益」を手にしたと思われ、見栄を張り「見晴台」の「戸建て住宅」を手に入れた住民は、暫しの「幸福と満足」を手に入れ「自己実現」を大いに祝福した。
しかし、安易な「自然破壊」や「自己満足」は、より大きな「自然変動」や「自然の猛威」に対しては全く無防備であり無力であった。
それは、ここ数年にわたり同様の時期に繰り返され「悲劇」を生み、その都度「政治の無策」が批判され非難される。
その地域や土地を選んだのは「被災者」であり「国や地域の行政」が指定したワケではないのだ。
その点がスッポリ抜け落ちた「行政非難」は如何ともし難い。
江戸末期の人口は凡そ3000万人と推計され、人は里山を抱く危険の少ない平地を上手く分け合い、生産手段と生活の基礎を形成構築していた。
それから150年で、約1億人が同じ国土に増えたのだから、住空間の開発提供は、行政府に課された重要な「政策」である。
特に後半の70年~80年は、大都市を中心にした社会政策を推進し「都市国家」を形成した結果が今日の日本である。
その流れ(コピー)が、いわゆる枢要なローカル地域へ波及し、然したる「都市政策」を持たないまま、謂わば急速に「ローカル地域の都市化」を推進したツケが、棲む側も無防備なままで、一気に繰り返し請求された事情が近年の「自然災害」ではないかと受け止めている。
被災地には申し訳ないですが、防災上の観点から「宅地開発規制」は徹底される必要があると考えますね。
また、規制緩和を主張し、私的利益を得ただけで「素知らぬ顔を決め込む開発事業者」とその地にハリボテの「住宅建設」を行い販売し利益を得た事業者は共に非難され断罪を受けるべきではないかとも・・・・・
大都市近郊というか周辺の平地は埋め尽くされ、公共交通機関が点と点を線で結び住居開発が可能な地域を拡大した。
その過程で「里山」の雑木は伐り棄てられ、里山は切り崩されコンクリートで固められ、仮初めの街区が開発された。
それで止まらず、いよいよ「里山」が山麓として抱えられ「壁」として立ちはだかる背後の「山」にも開発の手をつけた。
そこは「宅地開発威勢地域」であったと思われるが、そこは「規制緩和」や「規制撤廃」を求める圧力を形成し「開発政策」として許容させ着手した。
「里山」を越え山麓の壁を切り拓き開発された地域は「見晴台」であり「眺望」がウリでもあった。
開発者は「巨額の利益」を手に入れ、関与できた建築事業者も「一定の利益」を手にしたと思われ、見栄を張り「見晴台」の「戸建て住宅」を手に入れた住民は、暫しの「幸福と満足」を手に入れ「自己実現」を大いに祝福した。
しかし、安易な「自然破壊」や「自己満足」は、より大きな「自然変動」や「自然の猛威」に対しては全く無防備であり無力であった。
それは、ここ数年にわたり同様の時期に繰り返され「悲劇」を生み、その都度「政治の無策」が批判され非難される。
その地域や土地を選んだのは「被災者」であり「国や地域の行政」が指定したワケではないのだ。
その点がスッポリ抜け落ちた「行政非難」は如何ともし難い。
江戸末期の人口は凡そ3000万人と推計され、人は里山を抱く危険の少ない平地を上手く分け合い、生産手段と生活の基礎を形成構築していた。
それから150年で、約1億人が同じ国土に増えたのだから、住空間の開発提供は、行政府に課された重要な「政策」である。
特に後半の70年~80年は、大都市を中心にした社会政策を推進し「都市国家」を形成した結果が今日の日本である。
その流れ(コピー)が、いわゆる枢要なローカル地域へ波及し、然したる「都市政策」を持たないまま、謂わば急速に「ローカル地域の都市化」を推進したツケが、棲む側も無防備なままで、一気に繰り返し請求された事情が近年の「自然災害」ではないかと受け止めている。
被災地には申し訳ないですが、防災上の観点から「宅地開発規制」は徹底される必要があると考えますね。
また、規制緩和を主張し、私的利益を得ただけで「素知らぬ顔を決め込む開発事業者」とその地にハリボテの「住宅建設」を行い販売し利益を得た事業者は共に非難され断罪を受けるべきではないかとも・・・・・
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