友人のSNSシェア投稿を見て、以下のコメントを付けました。
コメント始め→ 日本は「同調圧力」が過剰な社会だと常々感じる。
基本的に「個性」を尊重できない「社会的価値観」が異常に強いように感じ思う。この過剰な「同調圧力」が集団ヒステリーの基になり、過剰な「排外性」が組織化され「嫉妬」や「被害妄想」が強調され拡大発揮する事で「争い」を生み「戦争」に至る。
実は「一人ひとり」の内面にある事を自覚しなければならないのでは。←コメント終わり
なぜ、個性を尊重し、個性の違いを認めず、同調を強いるのか?
仮に「地球上に65億の人の個体があれば、65億の『個性』があり、日々並存している」のだという事を、なぜ、知ろうとし理解しない(できない)のか?
昨日(8/21)も、「特定の主張(非難・排除)をする者は、相互の存立を尊重し合う事により、特定の主張も存立しているのであり、条件が変化すれば(立場や空気が変わると)存立を許されず、排除される側に陥る事もある」との例えを、コメントしたところ、読み切れない与太アホが「(お前が)排除すると主張するのは傲慢だ」と与太コメント返しをしていた。
理解力を欠く与太アホの個性を尊重し相手にしない。
以前にも触れた事だが、SNSは両極が「集団ヒステリー」の同調者を求め合い、歪み合っていると常々眺めている。
「安倍政権」の脆さは、
然して「中身」のない「同調圧力」や「空気」に依拠する点です。
実は深刻な問題なのですが、SNSという正体不明の感情や情緒による支持が基盤とも言えます。崩れる始めると存外に弱体なのです。
その意を汲み(忖度し)、先回りするように自民党の議員が党の政策と異なる事を平気で脱線し発言するのが「アベチルドレン」で、それがニュースとして流されると、盲目的ヒステリーが直ちにSNSで発言を擁護するスレッドを立て、メディアや批判者を公然と非難し、同調者を募るワケで、それをSNSで批判しようものなら「同調圧力推進者」が瞬く間に結集し徹底的に議論擬きを展開し「炎上」へ追い込み潰すのだ。
そこには、無軌道な脱線発言議員を擁護しても、反論したり批判する者は「言論テロ」とも言うべく攻撃を執拗に加えるベクトルが働くのだ。全く「複合的・多面的・多様な思考や知見」を排除し「オルタナティブ」を認めようとしないし「ダイバーシティ」すら存在しないというワケだ。
現在の日本で形成される平均的な価値観から、韓国の政治を巡る大騒ぎや反日行動は異常に見える。
あるいは北朝鮮の金王国礼賛と忠誠は異常に見える。
それを激しく非難する人もSNSの世界には多い。
しかしながら一歩退いて考え眺め観ると、それを執拗にSNSで日々指摘し主張し同調者を集める個性も中々なのだが、その現象のみを捉え拘泥せず、大きく考えるなら半島の北や南の思考や表現も何ら変わる事がないのだ。
それに気付かず距離を置けないのは、些か滑稽に見えるが。
もぅ一度、触れておきたい「地球上には、65億個の異なる『個性』があり、それが互いに刺激し磨き合っている」のだ。
" 完全に同じ 殆ど同じ 少し同じ 少し違う だいぶ違う 大きく違う「それでヨイのだ!」 だって人はミナ同じでミナ違うそれぞれ違う個性を持つのだヨ なぜ同じを強要し されるのか " などを眺め、時に「同調」し時に「反目」しながら・・・・・・・